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3月, 2015の投稿を表示しています

14日間の隔離

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10/24(日)  日本に帰国してから新しい職場になり、しばらく忙しくて、更新できていませんでした 今後も忙しそうなので、マイペースで更新していこうと思います いつもどんな風に書いていたのか忘れていました 以前の記事を見て思い出しながら、書きました 14日間隔離したのは、半年前の話です  インドから帰国してから14日間の隔離をしていました 隔離期間中はテレワークで、すぐに次の勤務先の仕事を開始 以前、11月に帰国した時よりも隔離に関して厳格になっていました スマホにアプリをインストールし、毎日ボタンを押して位置情報の報告 メールで毎朝、体調チェックの回答 アプリの方は、毎日不定期に通知が来ますので外出できません 1日4回来るときもあれば、午前と夕方に1回ずつの日もあったりしました ビデオ通話のアプリもインストールしましたが、かかってきませんでした メールとアプリの回答が遅れたりした方々にビデオ通話がかかってくるのだと思います 2020年の11月に帰国した時は、位置情報などの報告はありませんでした そのため、自由に外出してご飯を食べに行ったりしていました  帰ってきて困ったことは食事 Uber Eatsや出前館で簡単に注文できると思っていました しかし、実際は日本の電話番号がないとアカウント登録ができなかったりしました Uber Eatsに関しては、決済がうまくいかずに注文できませんでした 仕方ありませんが、1日目は機内食で食べきれなかったものでご飯を済ませました おかきとパウンドケーキのみ 2日目からは、アマゾンで注文した袋麺、レトルトカレー、缶詰など お米と炊飯器、卵や納豆、豆腐などもアマゾンで購入 2日目からは何とか食糧も確保  SIMカードを契約するにも住所が必要 そのため、面倒ですが実家の住所で登録 実家に届いたSIMカードを送ってもらいました 14日間の隔離期間中なのに、郵便局員からは転入届を出してくださいと注意されました 14日間の隔離期間中で外出できませんと答えても、同じことを繰り返されました 肩身が狭く感じたのを覚えています 役所にも転入届を出さないといけませんが、当時はできていませんでした 【今日のことば】 Más vale tarde que nunca. 2021年8月 日本 地元の風景

進むだけが旅じゃないのかも

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3/28(土) 【ブダペスト】 現在、ブダペストのホステルで働いている 前回はそのホステルでの仕事内容の話 今回は、自由時間の使い方 朝は遅くとも11時に起きる ゲストのチェックアウトが12時 そのため、12時から仕事開始 それまでに軽く朝ごはんを済ませる 食欲がない日は食べず、コーヒーだけ 仕事が終わってから食べる 掃除が終わると、最近は図書館に行っている 日本の図書館が近くにある そこで、ひたすらジャンプを読みあさっている 夕方になると、ホステルに戻ってくる その後、ゆっくりする日もあれば、ランニングに行く日もある ランニングでは、マルギット島まで走って島を1周する この島はランナーが多い また、路面が1コース分タータンが敷かれてある ドナウ川沿いを綺麗な夜景を眺めながら走ることができる 1ヶ所お気に入りのポイントがある 橋越しにライトアップされたパーラメントを眺められる ドナウ川、橋、パーラメントが綺麗に収まるアングル 1時間ほどのランニングを終えると、ホステルに帰ってくる シャワーを浴びて、夕食 食べた後は、20時からパーティースタッフ 週末などは、ポルトガル人の友人と食事に行ったり、食事会に誘われたりもする この前はメキシカンパーティーでタコスを作ってくれた こんな感じで毎日、何かと充実している 2015年3月 ハンガリー ブダペストの有名なパブのオブジェ

ホステルで働くということ

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3/25(水) 【ブダペスト】 今、働いているホステルの仕事の紹介 レセプションとクリーニングスタッフ 2つのポジション これを12人のスタッフで振り分けている 私はクリーニングスタッフ クリーニングスタッフは、同時に夜はパーティースタッフとなる 週4の勤務 月曜日はスタッフミーティング 火曜日はシフトが入っていないスタッフもみんなで大掃除の日 レセプションは昼、夜の2交代制 拘束時間が長く、暇なときはめっちゃ暇そうにしている そして、私のポジション クリーニングスタッフ ゲストのチェックアウトが12時なので、仕事はそれから 遅くチェックアウトする人がいつもいるので、実際は12時半に開始 12時半までは自由時間 仕事内容はシーツの洗濯、部屋、バスルームの掃除、枕やブランケットの整列など 部屋の数は13 バスルームや通路の数を合わせると、20以上 それを4人のシフトで掃除する 床は掃き掃除のあと、モップで水拭き バスルームの洗面台や鏡も拭く ゴミ箱のゴミの回収 トイレのトイレットペーパーのチェック 終わるのは大体2時頃 早く済ませば、自由時間も長くなる これが主に午後の仕事内容 そして夜 夜はパーティースタッフ 20時からの開始だが、いつも遅れて、20時半開始 これはドリンキングゲームとパブクロールのオーガナイズ 共用スペースや部屋に残っているゲストにも、 積極的に声をかけゲームの参加を呼びかける キングスカップやマッシュルームカップ、フリップカップなどのゲーム キングスカップは中央に置かれた空のジョッキの周りをトランプで囲む カードを引いて、その数の指示に従う 例えば、4を引いたら女性全員が一口自分の飲み物を飲む 9を引いたら、引いた人がカテゴリーを考える 例えば、俳優の名前 それを言えなかった、または同じのを言った人が飲む そしてKを引いたら、引いた人のドリンクを中央のジョッキに注ぐ 4番目のK を引いた人が負け バラバラのドリンクを注ぐので、時にはワイン、ビール、 ウォッカのミックスなどにもなる 次にマッシュルーム これはホストがトランプを引く 参加者はそのカードが赤か黒を

旅に出てから1年

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3/16(月) 【ブダペスト】 私はある決断をした 1ヶ月、ブダペストに滞在すること ホステルでボランティアスタッフをしながら、住み込みで働く 今のホステルはスタッフも仲良く、居心地も最高 旅は一時中断 シェンゲン協定ギリギリまで、ブダペストに留まることにした… こうして、ブダペストでホステルスタッフとしての日々が始まることになった 2015年3月 ハンガリー ブダペスト ドナウ川

私たちは1990年生まれ

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3/15(日) 【ブダペスト】 昨日、今日とまたパーティー 3夜続けてのパーティー 昨日が友人の誕生会の続き 友人、彼氏、彼氏の双子の姉、私 みんなが1990年生まれ もちろんそれ以外の同僚らも参加 この日のテーマが90年代 90年代に流行ったお菓子などを買ってきて楽しんだ 風船ガム 舐めたらパチパチなる飴 音楽はバックストリートボーイズやスパイスガールズ 当時人気だったグループの曲をかけた 友人の部屋は風船や画用紙で飾り付けられていた たまごっちやゲームボーイなど私たちが小さい頃ハマったおもちゃ その絵をネットからとってきて、プリントし壁に貼りつけていた 特大のピザも注文 直径60cm超の大きさ 1キレでも30cm近くあるので食べごたえ抜群 みんな昨日の誕生会の疲れもあるため、お酒は控えめ そして、今夜は双子の姉の家でまたパーティー 彼女の同僚らも一緒にホンジュラス料理を堪能 姉と母親がバレアーダスという料理を作ってくれた 4才の女の子も来ており、とても賑やかな会となった そして、この日の終わり 私はある決断をした… 2015年3月 ハンガリー ブダペスト 英雄広場

楽しい13日の金曜日

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3/13(金) 【ブダペスト】 今夜は友人の誕生会 誕生日は明日 0時になったらお祝いするようだ 20時を過ぎると、ちらほら人が集まりだした 総勢10人ほどのホームパーティー みんな友人や彼氏の同僚 スペイン、メキシコ、ポルトガル、イタリア、ホンジュラス、 ハンガリー、エジプト、日本 めっちゃインターナショナル 彼氏はこの日、色々準備に奔走したようだ 仕事を終え、お酒などの買い出し また、中南米では有名なピニャータも作っていた くす玉のように中にお菓子やおもちゃを詰め込んだもの それを吊るし、叩き割って中身を手に入れる 誕生会の重要なイベント 一度ピニャータ作りに失敗して、2個目のものらしい 友人は美容室に行ったり、ショッピングしたりして遅れて登場 とてもいい顔をしていた 友人らにも恵まれとても楽しそうだった お酒は進み、グミをウォッカ漬けにしたもの テキーラのショット スパークリングワイン ビール 夜もどんどん更けていった あっという間に0時 友人とは別に、2日前誕生日だったエジプト人のお祝いも一緒にやった 小さなデコレーションされたケーキ 上にはHAPPY BIRTHDAY のろうそくが刺さっている 「HAPPY BIRTHDAY to you ♪」 とみんなで2人をお祝いした その後は外に出て、ピニャータ割 棒で何度か叩いてやっと割れた 中から出てきたのはお菓子、たばこ、コンドーム、コイン とても盛り上がった その後も会は続いた 彼氏は準備に疲れたようで先にダウン ラテン系の国出身が多いので、もちろん音楽をかけながらダンスも踊った 13日の金曜日はもう終わった 今日は14日の土曜日 2015年3月 ハンガリー ブダペスト セーチェーニ鎖橋

ブダペストでまったり生活始まる

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3/12(木) 【ブダペスト】 数日間まったり過ごした これでヒッチハイクの疲れも抜けきった 友人の彼氏に観光案内をしてもらった ドナウ川沿いに並んだ鉄の靴 ここに、ユダヤ人が並ばされた 銃殺され、そのまま川に放り込まれた場所だった 真相は分からないが、女性の靴やこども靴もあった どの靴も川に爪先を向けて並んでいた 夜景も見に行った 丘に登って、ドナウ川を挟んで見る夜景はやはり綺麗 昼間に見る景色とはまた違う 別の日にはポストカードを買って友人らに送った 物価はもっと安いかなと思っていたが、ホステル代以外はそこまで感じない 先日の洗濯代も高かった それでも、ホステル代の安さは他のヨーロッパに比べても抜きん出ていると思う 日記も新調 もうすぐ旅に出てから1年が経とうとしている ハンガリー料理のグラーシュも食べた ホステルでは毎晩ドリンクゲームに参加 それ以外は、ホステルでだらだらと過ごした 次どこの国へ行くか考えるのも面倒になってきた そのくらいブダペスト滞在は心地いい 2015年3月 ハンガリー ブダペスト ドナウ川沿いに並ぶ靴の像

4年の時を経て再会

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3/9(月) 【ブダペスト】 数日前から体のあちこちがかゆい ダニに噛まれたみたい ホステルのベッドが悪かったのか 野宿したのが悪かったのか 分からない とりあえず、服を全部洗濯に出した ハンガリーのランドリーは高い 2000円以上もかかった 同じ量でも、アメリカは500円ほどだったので完全になめていた… 予想外の出費が痛い 昨日、今日とリラックスデー だが、今夜は予定がある 以前から約束していた、ポルトガルの友人と会う 世界一周に出た理由の1つは、彼女に会うため 4年前NYでできた友人 絶対もう一度会いたいと思っていた それが、今夜叶う 彼女からディナーに誘われた 今は、ホンジュラス出身の彼氏とアパートの1室を借りて一緒に暮らしている そんな彼らと食事をすることになった 彼らの部屋は意外なことに、私のホステルから歩いて1分のところだった かなり近いことに驚いた 私がアパートの前に到着すると、上の窓から声をかけてくれた ドアを開けてもらい、3階にある部屋へと階段を駆け上がった 階段の上で待っていた彼女 夜は肌寒いブダペスト 黒いカーディガンを羽織っていた 久しぶりの再会にハグして喜んだ 4年前とほとんど変わらない姿 素敵な笑顔 部屋に案内されると、彼氏と彼氏の母親がいた 後から、彼氏の双子の姉も合流 母親は彼らをホンジュラスから訪ねてきていた 昨日、友人と彼氏はポルトガル旅行から帰ってきたばかり ポルトガルワインやチーズ、ポルトガル牛のステーキなどを夕食に頂いた 母親はスペイン語しか話せないので、スペイン語、英語混じりの会話となった ホンジュラスのことなどについて、色々教えてもらった ホンジュラスといえば、私が飛ばした国 でも、チキンバスの運転手など人を見た限りとてもいい印象を受けた そのため、時間があれば周りたいと思っていた国の1つでもある ネットなどでは危ない情報ばかり出てくる 実際は、そうでもないようだ 行く場所によるらしい ブラジルにファベーラと呼ばれる危険地区があるような感じと変わらない 海沿いは特に安全でスキューバダイビングの観光スポットとなっている オーストラリア人、

ブダペストでの1日

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3/7(土) 【ブダペスト】 朝起きると、隣のベッドに人影 私が寝ているうちに、やって来たようだ シングルベッドのドミトリーで広々とした部屋 とても使いやすかった 今朝はホステル探し 今のところは今夜から満室 でも、近くでもっと安いところを見つけた 一安心して、街歩きへ しかし、脚の疲れは抜けきっていない 鈍痛が脚を引きずらせる 14:30からのフリーツアーに参加 参加者が100人以上 こんなに賑やかなのはブラジルのサンパウロのフリーツアー以来 3グループに別れて行動 ペスト側を最初に回り、バシリカやブダ側に架かる橋を見て回った ハンガリー語のレクチャーやハンガリー料理、ハンガリー出身の有名人などの紹介 その後、橋を渡ってブダ側へ 丘の上の城に登って景色を堪能した この日は雲ひとつない天気 集合したときは、ポカポカの陽気だった ツアー終了後は、丘を下って橋を渡ってホステルに戻ってきた ホステルでは、結婚前の女性だけのパーティーが行われていた 海外だと独身最後のパーティーを盛大にやることは知っていた 映画『ハングオーバー』も然り 彼女らが泊まるので、今夜から満室のようだった 黒いドレスを着飾ってピザにワイン、ウォッカ 何故か私も乾杯に加えてもらった 花嫁との写真も撮った そこを離れて、別のホステルへ 無事チェックインして、ダイニングで日記をつけながらゆっくりしていた どうやらここはパーティーホステルのよう 今からビアポンなどのゲームをやるそうだ 私もビールを買ってきて混ざった マッシュルームというゲームや王様ゲームみたいなもの トランプを使ったドリンクゲーム その後は、そのままパブクロール ホステルスタッフが連れていってくれた ここ1週間は1人旅を漫喫していた 久しぶりにみんなとワイワイして楽しい夜となった このホステルに移ってきて良かった 新しい人にたくさん出会えた ブダペスト滞在は楽しくなりそうな予感 2015年3月 ハンガリー ブダペスト 夜のブダ城

ヒッチハイクでやって来たのはブダペスト

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3/6(金) 【レテンイェ ~ ブダペスト】 朝出発しようとするも、モーテルの玄関が開かない 渡された鍵を突っ込むも回らない 閉じ込められた… 受付にあった様々な鍵を試すもどれも回らない 幸いにも10分ほどで係りがやって来て、外から開けてくれた 今日こそはヒッチハイクでブダペストへ 親指を朝から張り切って立てる やはり反応はない 今日もまた歩き 10km歩いた 緑色の車がスーッと速度を落として近づいてきた 10km先の街まで乗せてくれた ハンガリー語で何を言っているのか理解はできなかった でも、笑顔が素敵なおじさんだった また、親指を立てていないのにヒッチハイク成功 不思議… ここからまた、歩きながらヒッチハイク 一ヵ所に止まってやらないのは、じっとしていると寒いから 歩いていても寒いが… 10kmさらに歩いた すると、不自然に1台のトラックが100m先に停車した 大きなトラックでトラックを牽引している そんなうまい話しはないなと思いながら、横を通りすぎようとした すると、おもむろに助手席のドアがパタンと開いた 中を覗くと、ドライバーが乗りなと手で合図してくれた それはまるで、映画のワンシーンのような出来事だった オレンジも頂いた ブダペストには行かないが、ハイウェイ乗場近くのいいポイントでおろしてくれた こんな所で捕まるのかなと半信半疑でヒッチハイク開始 流石トラック運転手がおろしてくれた場所 車の通りもそこそこあり、反応もまずまず そして、5分 あっという間にブダペスト行の車をゲットした 親指を立てて成功したのはヨーロッパでは初めてのことだった ここから約200km ハンガリー語を話すお兄さん やはり、英語はそんなに得意じゃない 日本でヒッチハイクする外国人も、こんな感じなのかなと思った 会話に困りながらも、ブダペスト近郊まで乗せてもらった 彼は電話で1時間近く、母親と話していた もちろん時速120km 近い車の運転をしながら 車内のミラーにはロザリオがぶら下がっていた 本当にいい人たちに巡り会えている 近郊からは、バスとメトロを使ってブダペストの中心地へ バスは450フォリント(

歩いてハンガリーに入国

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3/5(木) 【ムルスカソボタ ~ レテンイェ】 寒すぎて、5時になると、寝袋をたたんでバスターミナルへ 暖房が効いていて、目を閉じるとすぐに気を失った 仮眠から覚めると、ヒッチハイクポイントを探す 寝ているとき、若者から 「チンチョン」 と、バカにされたような声が聞こえた気がした 寝ぼけていたので、今となっては空耳かもしれないが… とりあえず、早くこの町から出たい そう思った だが、この街にもヒッチハイクできる場所がない 仕方なくバスターミナルに戻ってバスに乗った 9時発 AVTOBUSNI PROMET 社? 3.6ユーロ(約460円) 1時間弱の移動 スーパーの前で降ろされた そこでパンとチョコレートを買って朝食にした 小さな町を歩く 10分も歩けば、町の中心から離れる そんな小さいところ 教会の鐘がまた鳴っている この町にもヒッチハイクできるような場所はなさそうだ ここから今日は30kmも歩くことになるとは思ってもみなかった… 国境までのバスは14時過ぎ 今は10時 歩いていった方が早いと判断 歩道もないような道をトボトボ歩いていく 泥でぬかるんでいる場所もある 車はたまにしか通らない 大きなトラクターも通る のんびりとした田舎道 左右に広がる畑 作物を植える時期が近いのか耕運機で耕している そんな茶色の畑と、雑草が生えたまだ耕してない鮮やかな緑色の畑が延々と続く しばらく歩くと国境に到着 審査官がいるわけでもない 看板が立っているだけ ハンガリーにひっそりと入国 バスがハンガリー側の近くの町へ出ていることもなかった 国境まで来れば、何とかなるかなと思っていたが予想とは反する形となった ハンガリーのお金もないので歩くしか移動手段がない この時点で10kmはすでに歩いている 銀行やATMもない 延々と広がる畑から抜け出し、住宅地に入ったのはスロベニアから歩いて20km先 どこの家も番犬がおり、家の前を通る度に吠えられる 歩いている人も見かけない 風が冷たい 無駄に広い公園にさびれた遊具 自転車に乗ったおじいちゃん、おばあちゃんとすれ違う 油が足りていない、錆び

スロベニアは難しい

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3/4(水) 【マリボル ~ ムルスカソボタ】 うまくいかない 今日はそんな1日 ホステルをチェックアウト 歩いてヒッチハイクポイントにやって来た 拾った段ボールに行先を書いて掲げる 1時間やっても、反応が薄く心が折れた… リアクションをくれるドライバーはほんの数人 手を上げたり、親指を立て返してくれたりするだけ それだけでも、こちらとしては気が晴れる もう少し頑張ってみようと思えるのだ シンプルだが、そんなもん 場所を変えようとするも見つからず… 夕方まで粘ったが、結局バスで向かうことにした 20:30発 ARRIVA社 6.3ユーロ(約810円) 1時間の移動 スロベニアも移動費が高い 夜10時前に着いた知らない街 人もほとんど歩いていない ホテルがバスターミナル横に1件だけ 高いので今夜は野宿 歩いて教会近くにたどりついた 芝生の上に寝袋を広げた 寝袋にくるまったのはいいものの、寒すぎる 毛布を下に敷いたが、地面の冷たさが寝袋を通り越して伝わってくる また、この辺りの教会は15分置きに鐘が鳴る 15分には1回、30分には2回、45分には3回、0分には4回 と、分かりやすい 教会前の芝生の上なので、音がけっこう大きい そのせいで、ほぼ眠れなかった… 楽しいことばかりが、旅ではない 辛い時期があるからこそ、小さなことでも感じられる幸せがある 2015年3月 スロベニア マリボルの教会

愛がある国へ入国

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3/3(火) 【グラーツ ~ マリボル】 空港の朝は早い 消灯していた照明は4時に点灯 搭乗客らもちらほらやって来た しばらくボーッとして出発 この日もヒッチハイク場所が見つからない 途方に暮れる ダラダラと歩き続けるしかない ザックが肩にくいこむ 歩きながら親指を立ててみるが、反応はない 途中にあるスーパーでチョコチップクッキーを買った すると、レジの後ろに並んでいたおじさんにお酒をおごってもらった 空きっ腹にアルコールが染み渡った そんな嬉しいこともあった いいことは続くと信じ、親指を立てる だが、やはりそんなうまくはいかない バス停のベンチで休みながら歩き続ける 朝から4時間以上は歩いている 歩いていると、1台の車が止まった 指を立てると止まらず、指を立てていないと止まってくれる ライブニッツという町の先にある国境まで送ってくれた 大学1年生のときドイツ語を1年間学んでいた もっと真面目に取り組んでおけば良かったと、今になって後悔… オーストリアではドイツ語が公用語 乗せてくれた男性もドイツ語を話すが、英語は苦手だった チリ、アルゼンチンのヒッチハイクを思い出す 必死に聞いて理解しようと努めたあの頃 ここから先はスロベニア sLOVEnia 国の名前の中にLOVEがある この国では、いいことがあるのかな 国境で待つこと1時間 マリボル行をゲット マリボル在住のドイツ人男性 ドイツからの帰り道 彼は英語が話せたので、会話が今までよりも楽だった 農場で働いているらしく、ドイツから木を持ち帰って来ていた ありがたいことに、マリボルの中心街まで送ってくれ、ホステルも探してくれた ちょっと予算オーバーだが、せっかくの好意 歩き疲れていることもあり、今夜はそこに決めた マリボルはスロベニア第2の都市 といっても、小さな国 オーストリアのグラーツ同様 小さな街 疲れていたのでそこまで街歩きすることもなく、ホステルに帰った 4人部屋に1人 ザックの荷物を床に広げ、自由にした 2015年3月 スロベニア マリボル

ヨーロッパで初のヒッチハイク

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3/2(月) 【ウィーン ~ グラーツ】 3泊したウィーン 結局この街を好きになることはなく、何もしなかった日々 ホステルでゆっくりと過ごした キッチンがないホステル ご飯も2ユーロ(約260円)のケバブばかり食べていた レストランは高いし、マクドナルドのようなファーストフードは好きじゃない ケバブなら野菜もたくさん入っているので、大分マシな方かと思う 今日はグラーツという街に向かう オーストリアではウィーンの次に栄えている街 久しぶりのヒッチハイクで向かう ヒッチハイクは南米以来 といっても、指を立てるやり方ではなく、ガソリンスタンドで声をかけるパターン 実は昨日もやろうとしてみたが、いい場所がなく断念した ハイウェイ前には車が止まるスペースがなく、困難なことが予想された そこで、ガソリンスタンドで声をかける作戦に変更 それでも、なかなか捕まらない ガソリンスタンドも2回ほど場所を変えた 1回目にやったガソリンスタンドに戻ってきたときのことだった シルバーの車がクラクションを鳴らし、手招きをしている 運転手をみると、それは先ほど別のガソリンスタンドで声をかけた女性だった 2km先のハイウェイじゃない道を行くからと1回は断られた しかし、私が来た反対方向にあるガソリンスタンドにまで戻ってきてくれた 私が歩いて向かった先を確認していたのだろう 進行方向とは逆向きなのに、わざわざ戻ってきてくれてありがたい そして、次のガソリンスタンドまでならいいよと乗せてくれた ハイウェイにあるガソリンスタンドなら、グラーツ行が捕まりやすいと言っていた 元々予定にもなかったハイウェイに乗ってまで、送ってくれて本当に助かった 出身はコスタリカだが、オーストリアに来て23年になるという女性 10分ほどの短い距離だが、ヨーロッパ初のヒッチハイク成功 私にとっては、そのちょっとの距離がとても大きな進歩に違いなかった ここでも声かけを行う 指を立てるヒッチハイクもやったが、悲しいことに反応がほとんどない… 雨も降りだしてきて、風も強まり寒くなってきた ハンガリーに行くというハンガリー人の女性ヒッチハイカーにもここで会った 彼女は一足先に車をゲットして出発

興味が湧かなかった街…

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2/27(金) 【ブラチスラバ ~ ウィーン】 ホステルをチェックアウトすると、バスターミナルへ向かった 旧市街から東へ 少し離れた場所にあった 11時発 Slovak Lines Express 社 8.7ユーロ[荷物代1ユーロ](約1140円) 1時間ちょっとの移動でこの値段はエグい それより、荷物代1ユーロ取るの! 日本人旅行者っぽい人も3人見かけた 車内はほぼ満席 Wi-fiも付いていた ウィーンの中央駅で降ろされた とりあえず、トイレに向かった 駅のトイレは有料なので、もちろん隣のマクドナルドへ ファーストフード店は無料のとこがあるので助かる 有料だったり、ロックがかかっている場合もあるが… 駅のwi-fiを使ってホステル探し スロバキアよりも物価が上がった ポーランドと比べると倍近く値段が違う 何より、交通費が高くなった 今回使ったバスも然り バスで移動するのも、電車を使うのも日本と同じくらい 荷物をホステルに置くと、旧市街へ歩いて向かった 貴族みたいな衣装を着て、オペラの客引きをする人 教会の隣には観光用の馬車 美しい建物や街並み その分、人もいっぱい とにかく人、ひと、ヒト… あまり私は好きになれなかった街 どちらかといえば、自然豊かな場所が好き 音楽や建築、芸術に興味がある人には最高の場所なのかもしれない この街から早く移動しよう… 2015年2月 オーストリア ウィーンの大聖堂

スロバキアの首都は1日で充分か?

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2/26(木) 【ブラチスラバ】 スロバキアの首都 ブラチスラバ歩き フリーツアーに参加し、スロバキアの歴史、料理、スロバキア語などを学んだ ポーランドで会った旅人たちによると、ブラチスラバは1日あれば充分と言っていた 確かに…そのようだ やはり、スロバキアもポーランド同様ロシア、 いやソ連の影響を受けた時代が背景にあるようだ また、ブラチスラバの旧市街には一風変わった銅像たちが存在する マンホールから飛び出したおじさんの像 レストラン前にある銀ピカの像 メインスクエアにある顔はラジオで体は人間の金ピカの像 クマの像 これは、他のEU諸国にも1体あると説明していた 記憶が定かではないが、Beer bearと言っていた気がする… それから、スロバキアはよくスロベニアと間違えられるらしい スロベニア人はスロビンスカ スロバキア人はスロベンスカ あれっ、反対だっけ? とにかく、一文字違いというだけ メインスクエアには日本の国旗が大きく掲げてあった そのビルには、日本大使館が入っている そういえば、夜に宗教の勧誘を受けた その女性も日本の名古屋に短期間いたと言っていた スロバキア人にとって日本は身近な存在なのかもしれない また、同じ広場にはナポレオンの時代に被害を受けたと言われ、 壁に大砲の玉がめり込んでいる建物もあった それから、ブルーチャーチと呼ばれる水色の教会も見た 外装はとてもファンシー 花が外壁の彫刻に施されていたり、網の部分が薔薇になっている スロバキア料理にチーズのニョッキがあるそう お勧めしていたレストランに行ってみたが、1人で入れるような雰囲気ではなかった… 久しぶりにニョッキを食べたかった その後は、丘の上にあるブラチスラバ城に登って夜景を眺めた テーブルをひっくり返したような形の城 オレンジ色の屋根の塔が四角に並んでいる UFO bridgeと呼ばれる橋も見れた ドナウ川に架かる橋 ドナウ川 名前は聞いたことある川 ネオンもあまりないこの街では、暗くゆっくりと流れていた 2015年2月 スロバキア ブラチスラバの有名なマンホールの銅像

ヨーロッパのルートに悩む

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2/25(水) 【ポプラド ~ ブラチスラバ】 朝起きると、ルートをどうするかに悩んでいた 昨日、断念した湖をスロバキア側から目指すこともできる しかし、昨日の二の舞になることは容易に予想できた 行ってみたい場所だが、今回は断念 いつか必ず戻ってきて、登ってみせる ポーランドにはやらなければいけない忘れ物ができた 元々はこのまま南下を続け、ハンガリーのブダペストに行くつもりだった そこには、友人がいるので是非会いたかった 4年前ニューヨークで語学留学を1ヶ月やっていた その時、一番仲良くしていたのがポルトガル人の友人 彼女は今ブダペストで働いている だから、彼女に会いに行く予定だった しかし、彼女はバケーションでしばらくポルトガルに帰っているらしい… だから、この先のルートに悩んでいたのだ 彼女とは2週間後以降にブダペストで会う約束をした ということで、先に隣のオーストリアやスロベニアを回ろうかなと考えている ひとまず、スロバキアの首都ブラチスラバを目指すことにした ここの方がポプラドよりも安宿が集まっている ポプラドからは列車が走っていた ブラチスラバ行 11:31発 ZSSK社 14.92ユーロ(約2010円) スロバキアに入国して、通貨がユーロに戻った あと、物価も少しだけ上がった コンセント、wi-fi付きの快適な移動 途中で乗ってきたスロバキア3人組の女性 全員美人でビックリした! 14:30少し前に到着 駅近くのホステルにチェックイン ホステルの近くにあった中華料理屋さんでチャーハンを食べた この日は、宿周辺だけをブラブラして1日を終えた… 2015年3月 スロバキア ブラチスラバのクマの銅像

ポーランドの雪山を前に敗れた日

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2/24(火) 【ザコパネ ~ ポプラド】 雪山登山を断念した 私には装備とスキルが足りなかった… …遡ること数日前… 私はこの日、ある場所を目指していた ポーランドの南の国 スロバキアにある湖 ここザコパネからは、山を越えて、スロバキアに入国できる その湖は、スロバキアについて調べていた時に知った 昨年12月にYou Tubeにアップされると同時に世界中の多くの人々を魅了した 私もその中の一人 たった38秒の動画には、何が映っていたのか? そこには、氷った湖を男性が歩いている映像 彼の足下をカメラがとらえた瞬間、驚嘆した ガラスのように透明なのだ 湖の底の石がはっきりと写し出されていた 一瞬でここへ行ってみたいと虜になった そして、今朝8時に宿を出た 2日かけて、その場所を目指す行程 食料も買っておいた そのため、いつもより重いザックを担いでその日は出発した 9時に登山口に到着 国立公園内なので、入場料を払った 5ズロティ(約160円) そしていざ登山開始 足下は一面真っ白 トレースがあるので、それを辿っていけば目的地につけるはず このときは、安易にそう考えていた 他にもトレッキングの観光客らがいた 登っていくに連れ、急な斜面や険しい道のりが増えてきた 軍人のように迷彩柄の服とバックパックをもった15人くらいの団体にも遭遇 途中の集落に来た辺りだろうか 雪がちらつき始めた この日は何かが違った 普段汗をあまりかかない私 余りにも暑かったので、途中で一枚ジャケットを脱いだ すると、下のTシャツはびっしょりと濡れていた こんなに寒い地域に来たはずなのに アドレナリンが出ていたのか、手袋をしなくても手は動くし指もかじかんでいなかった 歩き始めて、1時間半 道も狭くなり、足を滑らせればそのまま崖 雪を被った木々よりも岩々が目立ち始めた 1つ目の湖に到着 前を行っていたポーランド人に話しかけられた 「今日はどこまで進むのか」 「この山は始めてか」 次のポイントまでは4、5時間くらいという情報もくれた 氷った湖を横に先へと進んだ が、さっきまであったトレースはここで途切れていた

ポーランドはカレー弁当を売っていた

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2/22(日) 【クラクフ ~ ザコパネ】 昨夜も懲りずに、ホステルでできた友人らとバーへ出かけた 風邪引いているのに… 無理しない程度に飲んで、みんなとは早めにお別れした そのため、今朝は朝食を食べて二度寝 チェックアウトの時間ギリギリまで横になっていた チェックアウトして、その足でバスターミナルへ ザコパネ行 11:50発 MAX Bus社 15ズロティ(約490円) バスを降りると…寒い!! クラクフではそうでもなかったのに そして雪 私の嫌いな… ザコパネは平野が広がるポーランドで唯一の山岳地帯 スキーリゾート地としても知られる スノーボードやスキーの板やストックを抱えた多くの観光客を見かけた メインストリートは露店やパフォーマーでたくさんの人 鈴を鳴らしながら、カツカツと蹄の音を立てる馬車 たくさんの山岳ショップ 大小様々な店がひしめき合っている 私も山岳ショップでアルバイトして世界一周の資金を貯めた身 色々見て回ってワクワクした さすが物価の安いポーランド 日本で買うよりも安い 短期で来ていたら、様々な装備を確実に買っていた 体調もまだ完全ではないので、早めにホステルに帰った スーパーで買ってきたサラダ、インスタントラーメン、カレーライス それらを平らげて、その日は薬を飲んで就寝した ポーランドにカレーの弁当が置いてあったのは意外だった 2015年2月 ポーランド クラクフの中央広場