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4月, 2015の投稿を表示しています

14日間の隔離

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10/24(日)  日本に帰国してから新しい職場になり、しばらく忙しくて、更新できていませんでした 今後も忙しそうなので、マイペースで更新していこうと思います いつもどんな風に書いていたのか忘れていました 以前の記事を見て思い出しながら、書きました 14日間隔離したのは、半年前の話です  インドから帰国してから14日間の隔離をしていました 隔離期間中はテレワークで、すぐに次の勤務先の仕事を開始 以前、11月に帰国した時よりも隔離に関して厳格になっていました スマホにアプリをインストールし、毎日ボタンを押して位置情報の報告 メールで毎朝、体調チェックの回答 アプリの方は、毎日不定期に通知が来ますので外出できません 1日4回来るときもあれば、午前と夕方に1回ずつの日もあったりしました ビデオ通話のアプリもインストールしましたが、かかってきませんでした メールとアプリの回答が遅れたりした方々にビデオ通話がかかってくるのだと思います 2020年の11月に帰国した時は、位置情報などの報告はありませんでした そのため、自由に外出してご飯を食べに行ったりしていました  帰ってきて困ったことは食事 Uber Eatsや出前館で簡単に注文できると思っていました しかし、実際は日本の電話番号がないとアカウント登録ができなかったりしました Uber Eatsに関しては、決済がうまくいかずに注文できませんでした 仕方ありませんが、1日目は機内食で食べきれなかったものでご飯を済ませました おかきとパウンドケーキのみ 2日目からは、アマゾンで注文した袋麺、レトルトカレー、缶詰など お米と炊飯器、卵や納豆、豆腐などもアマゾンで購入 2日目からは何とか食糧も確保  SIMカードを契約するにも住所が必要 そのため、面倒ですが実家の住所で登録 実家に届いたSIMカードを送ってもらいました 14日間の隔離期間中なのに、郵便局員からは転入届を出してくださいと注意されました 14日間の隔離期間中で外出できませんと答えても、同じことを繰り返されました 肩身が狭く感じたのを覚えています 役所にも転入届を出さないといけませんが、当時はできていませんでした 【今日のことば】 Más vale tarde que nunca. 2021年8月 日本 地元の風景

モスタルから足を伸ばして

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4/24(金) 【ブラガイ】 ブラガイ モスタルから12km 離れた町 先日ヒッチハイクしたフランス人に教えてもらった場所 「モスタルに行くなら、ここも素敵なところだよ」 そう言ってお勧めしてくれた そういうことで、8時に起きてランニングがてら行くことに Google mapでは12km 往復24km 走って行ける距離 最近、運動もしていなかったのでちょうどいい 道幅が狭く、通り過ぎる車との距離が近いところもあった 予定通り1時間半弱で到着 自転車があれば、ちょうどいい距離かもしれない ここには、渓流近くの崖のそばに礼拝所が建っている ムスリムの方がここでお祈りするようだ 朝早くだったこともあり、私1人だけ 店の人たちが開店の準備をしていた 礼拝所のすぐ横には流れの早い川が流れている すぐ後ろは大きな崖がそびえ立っている 水墨画で描かれそうな風景 とても神聖な感じ 帰る途中には、ドラクエに出てきそうな小さい教会も見つけた 近くには小学校があり、やんちゃな小学生らに話しかけられた 20年前にここで戦争があったなんて、考えられないほど平和 人も優しくて、フレンドリー モスタルは好きな街の1つになった 帰りも、もちろん走り 途中からは疲れて歩いたが… それでも、12時には宿に戻ってこれた 宿の洗濯機が無料だったので、汗かいた服を洗濯 しかし、午後からはずっと雨 朝にブラガイへ行っておいて良かった 昼からはどこにも出かけることができず、宿でじっとしていた 次の街の情報を集めるには、ちょうどいい休息日となった 2015年4月 ボスニアヘルツェゴビナ ブラガイの礼拝所

廃墟の銀行とブルース・リー

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4/23(木) 【モスタル】 昨日は私、同じ宿の韓国人女性、ホステルスタッフ 3人で街歩き ホステルスタッフお勧めの場所巡り まず向かったのは、銀行 と言っても、今は廃墟 モスタルで一番高い建物 その辺の新しいホテルや教会などよりも高い 政府はお金がないらしく、取り壊すのも出来ず、そのままになっているようだ ここはグラフィティアートが有名 外壁から中の至るところまで落書きがされている 廃墟なので、もちろん入口はなく、壁をよじ上って侵入 たくさんの人が遊びに来ているようだ FBでコメントをくれた友人のバックパッカーもここの存在を知っていた 1階には、空のビール瓶などゴミが散乱している 階段は壁や手すりはなく、踏み外すと転落する 中には弾丸が散乱している場所もある スタッフが言うには、戦時のものらしい 屋上まで上がると、日射しが眩しい 眺めがとても良い モスタルの街が360°見渡せる さすがモスタルで一番高い建物 1階に降りると、隣の公園へ ここにはブルース・リーの銅像が設置されている はっきりいって、この公園には似つかわしくない… 子供たちが遊具で遊ぶ それを見守る親たち ベンチにはカップルが寄り添って座っている 木陰の芝生に寝そべる男性 そんな平和な公園内に佇むヌンチャクを持って、構えるブルース・リー シュールでしかない その後はカフェで休憩 スタッフがカプチーノをご馳走してくれた オーナーも優しくて、本当にいいホステル 冷蔵庫が壊れていると言ったら、翌日交換してくれた 何でもすぐに対応してくれる 洗濯機も無料で使える 共有スペースも大きなソファがあり、居心地がいい テラスも晴れの日は快適 モスタル滞在が長引きそうだ… 2015年4月 ボスニアヘルツェゴビナ 夜のモスタル橋

アドリア海を少し離れて…

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4/22(火) 【スプリット ~ モスタル】 次の目的地はモスタル ボスニアヘルツェゴビナの街 先日ヒッチハイクで乗せてもらったクロアチア人夫婦に勧められた場所 ヒッチハイクポイントに到着し、親指を立てること10分 オミシュという街に行く青年が止まった 彼は一度通りすぎて、引き返してくれたらしい 幸先いいスタート 彼だけでなく、クロアチア人の多くは英語が話せる人が多い 中学校から全員勉強しなければいけないようだ 彼とは宗教関係の話をした 乗せてくれた人の中には、バックミラーにロザリオをぶら下げている人たちが少なくない クロアチアの交通事情は曖昧模糊 シートベルトはしたり、しなかったり バイクもツーリングする人たち以外は全員ヘルメットをしていない 警察も何故かそれを暗黙の了解としている オミシュに着くと、そこはきれいな景色が待っていた 透き通るような水のビーチ 入りたかったが、ヒッチハイクの途中なので断念 それにしても、今日は日射しが強い 半袖で十分 しばらくすると、フランス人カップルが運転するキャンピングカーが止まった 私の他にもフランス人カップルのヒッチハイカーを乗せていた 彼らにも、モスタル近くのお勧めの場所を教えてもらった こうやってノープランの旅が計画されていく モスタルとの分岐点まで、乗せてもらった そこの景色もまた最高 断崖絶壁の下にコバルトブルーの海 どこまでも広がる水平線 分岐点で親指を立てると、一発で止まった 車の通りが少ない場所だっただけに嬉しかった 途中までの町まで そこまでの道も絶景 今までが海だったのに対し、ここからは山 ぐねぐねした坂道をぐんぐん上っていく 緑がとても美しい 乗せてくれたおじさんに握手しお礼を言って、車を降りた 降ろしてもらった場所は、小さな町 車の通りがほとんどない 歩きながらのヒッチハイクにした 一本道なので迷うことはない 後ろから車が来たら、親指を立てる 歩く それの繰り返し 5kmくらい歩いたところで、ようやく止まった イモツキというボスニアヘルツェゴビナとの国境近くの街まで しかも、家の食事まで招待された 時刻は4時近く

これがクロアチアか~

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4/20(日) 【スプリット】 昨夜はwi-fiを探すのにてこずった ホステルにチェックインしようとするも、ホステルが閉まっている 宿の前で荷物を担いだまま右往左往 何とかアパートの住人や他のゲストに開けてもらい、今朝支払いをすることで落ち着いた 午後からは散歩 スプリットの西側にある自然公園 丘を上ると、スプリットが一望できる さらに、奥に進むと左側にきれいな海岸線を見ることができた ランニングやサイクリングにぴったりの場所 ゆっくり時間をかけ、きれいな景色を見ながら歩いた 往復約3時間 ホステルに帰って腹ごしらえ 昼食を食べたら、旧市街歩き ホステルの人に教えてもらった場所を中心に回った 爪先の親指に触れると、幸運が訪れるという像 東西南北にある門 その中心にある教会 その他にも、スプリットの旧市街は狭い道が入り組んでいて歩くだけでも楽しかった 雨が降ったらめちゃくちゃ滑りそうな石畳だけど… 夕方になり、ビーチ沿いを散歩 スプリットで有名なビーチは意外にもショボかった 景色も昼に行った、西側の方が断然綺麗 港には大きな船が止まっている ここから、イタリアに行く船も出ているようだ また、ヨットハーバーもあり港で船の手入れをする船乗りたちもたくさん ビーチ沿いの道もランニングやサイクリング、ローラースケート ベビーカーを押す家族連れ たくさんの人がひっきりなしに通っていた 夕日は西側の丘が遮っており眺めることはできない 夜景もそこまできれいではない スプリットは昼が似合う街のようだ 2015年4月 クロアチア スプリットの街中にある神殿

ヒッチハイク時々寄り道

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4/19(土) 【ザダル ~ スプリット】 さすがに一昨日、一睡もできなかったので、昨日はホステルに泊まった 昨日はブダペストで一緒に働いていたカップルも偶然ザダルにいたようだ メッセージを交換したが、結局会えずじまい 天気も雨だった そんなこともあり、昨夜はホステルに泊まった そして、今日 ヒッチハイクポイントに向けてザダルを出発 天気は快晴 影が濃い 親指を立てること20分 黒い車が止まった 行先が違ったため、断念 さらに1時間後、今度は緑色の車 しかし、ぼったくりのガソリン代を請求されたので断念 50ユーロも払うくらいなら、ヒッチハイクなんて初めからしていない ちなみにバスなら15ユーロくらいで行ける 風が冷たくなってきたし、疲れた 肩と親指が痛い とりあえず、次止まった車に乗せてもらうことにしよう 止まったのは、開始して3時間半後だった… オーストラリアとクロアチアのハーフの彼とクロアチア人のカップル オーストラリアに住んでいるそうで、亡くなった父親を埋葬するために帰ってきていた 彼らの行先はビオグラード 目的地のスプリットまで、少し近づいた 彼らはビオグラードの街案内も車でしてくれた 「1時間半、車を走らせたら雪山に行けるんだ」 「そこは、夏になっても雪が積もったままなんだよ」 「ほら、見てあの山!」 クロアチアに来る観光客は海ばかりに行って、このあたりは来ない そう言って、連れてこられた場所は、クロアチア戦争があった場所 ここが最前線だった こっち側はクロアチア あっち側はセルビア この辺の廃墟はセルビアのもの 車で横切る度に、スピードを落とし解説してくれる彼 屋根がない家 バラバラに崩れた家 銃弾の痕が残る壁 セルビア人はここを離れると、二度と帰ってこなかったらしい 帰ってくると殺されるから… そんな戦いが5年も続いた 丘に上がると、きれいな景色が見えた 手前に大きな湖 クロアチアの湖や海、川はどこも水がきれい だから、川から直接水を飲む人もいるらしい 釣りをしている老人たちもいた 湖を囲むように緑の自然 辺りにはワインの原料となるブドウ畑 クロアチアはワ

クロアチアの海のメロディー

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4/17(金) 【ザグレブ ~ ザダル】 昨日は体調が悪かった 出発を1日延期 新しく移ったホステルはそれなりに良かった 値段も42クーナ(約710円)とおてごろ 1日中ベッドでゴロゴロしていた 近くに大きなスーパーがあったので、そこで惣菜を買ってきてご飯にした 楽チン 今朝は7時に起きて出発 次の目的地ザダルまでヒッチハイクで向かう ヒッチハイクポイントまでは歩き 天気は昨日、一昨日とうってかわって肌寒い 天気も曇り 久しぶりに親指を立てた … 反応が薄い 車の通りは申し分なし 5車線ある 3車線の大きな通りに、2車線の小さな合流する地点でヒッチハイク その分、スピードも出ているため、なかなか止まってくれない 1時間して、場所を変えてみようと試みる しかし、他にいい場所は無く元の場所に逆戻り すると、他のヒッチハイカーがいた 先程、私がたっていた場所よりも前 2車線が合流する前の3車線の方に陣取っている 30分ほど膠着状態 私の前にいたヒッチハイカーが車を止めた! そして、そのまま去っていく それを見て私も同じ場所でチャレンジ 思うように止まらない でも、反応は車との距離が近くなった分良くなった 親指を立て返してくれたり、クラクションを鳴らす車が増えた 9時に開始したヒッチハイク 時計の針は13時を指そうとしていた と、ようやく青の入ったグレーの車が止まってくれた プジョー ヨーロッパに入って、日本車をあまり見かけなくなった 乗っていたのは女性2人組 ザグレブの大学に通っていて、実家のドブロブニクに帰るところだった 一発でザダル行きをゲット 4時間待った甲斐があった 女性だが、なかなかスピードを飛ばす 途中、スナックを分けてくれたり、私の旅の話をした 雨が降ったり止んだり 2時間半で到着 彼女らはザダルにいる友人のもとへ向かった 私は歩いてメインスクエア方面へ 今日は何も食べていなかったのでスーパーに寄った 惣菜を買って腹を満たす 再びメインスクエアへと向かった Wi-fiのため大きなモールやファーストフード店を探すがない ザグレブの中心地もそうだった 小

クロアチアの世界遺産

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4/15(水) 【ザグレブ】 チェックアウトぎりぎりの時間まで寝ていた この日向かったのは、プリトビツェ湖群国立公園 12:30にバスターミナルを出発するバスに乗った 93クーナ(約1570円) クロアチアの通貨はクーナ 帰りは18時のバスに乗った 86クーナ(約1450円) ネットで往復チケットを購入した方が安かったようだ 2時間ちょっとで到着 韓国人団体の観光客や、修学旅行生が目立つ 入園チケットは110クーナ(約1860円) しかし、チケットのチェックは最初から最後までなかった… 中にはタダで入っている人もいると絶対思う 公園内は船やバスの移動も無料 しばらく坂を下っていくと、水の音が聞こえてきた 見てすぐに違いが分かる 水の色が違う! エメラルドというか、ターコイズブルーというか とにかくきれいで透明度が高い 船で向こう岸に渡ると、しばらくはゆっくり散歩 この日は、ポカポカ陽気 半袖で十分 木の床や階段 ルートに沿って歩いていく 途中には大小様々な湖や滝 16の湖と92の小滝で成り立っている 緑も多く繁っている 木陰に入ると、そよ風が心地よい 国立公園でなければ、泳ぎたい 誰もがそう思っていただろう 倒れた木の幹や落ち葉が湖底に堆肥している 底がはっきり見える程、透明な水 湖には黒い魚も泳いでいた 一定の音でなり続ける滝の音 一番大きな滝の近くは水しぶきがかかってくる その横には虹がかかっている 湖は穏やかで船も揺れない 全部見て回ろうと思ったが、意外に時間がかかった もっと早起きして来れば良かったと少し後悔… ザグレブに帰ってくると、ホステルを変更してチェックイン ちょっと調べ事を済ませて、ベッドの上に横になった うーん…体がダルい 風邪がなかなか治らない ブダペストを離れてから、不意に寂しくなり、毎日涙を流しているような気がする 2015年4月 クロアチア プリトビツェ国立公園

帰国の2文字が頭をよぎる

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4/14(火) 【ブダペスト ~ ザグレブ】 昨日バーから帰ってきてそのまま徹夜 起きているのは私とレセプションのニュージーランド人 コモンルームのソファではいつものように、 シンガポール人スタッフが寝息をたてて眠っている とても静かな夜 ニュージーランド人はキッチンとダイニング、コモンルームの掃除を始めた いつも何も用もないのに、 「ジャッパーーン!!」 と、私と目を合わせたら、叫んでくる 彼を真似して多くのスタッフやゲストが私のことを「ジャパン」と呼んでいた 普段、無口な私に対しよく気にかけてくれた 掃除している彼に別れを告げ、ホステルを後にした 外は白んできている 朝早いので、少し肌寒い 飲み屋街の近くなので、割と人通りはあった 350フォリント(約170円)のチケット 高速のエスカレーターに乗って地下に下る 地下鉄に乗ってバスターミナルに向かった 6:15 時間通りにバスは発車 日本人や韓国人ら数人のアジア人も同じバス 席に着くと、すぐに寝る準備 が、背もたれが倒れない… そして、隣の席に乗客 ベストポジションを探すことができず、寝あぐねていた さらには体調不良 昨夜のお酒の飲み過ぎ 完全に2日酔い お腹も弛んでいた いつもなら1度も行かない車内トイレに2回も行った しばらくすると、イミグレーションに到着 久しぶりのパスポート登場 ニューヨークからノルウェーに来た時以来 ハンガリー側の審査官にパスポートを預け、1度車内に戻される ドライバーが車内で1人ずつパスポートを返してくれた 今度はクロアチア側の審査官がバスに乗り込んできて、車内でスタンプを押し始めた 荷物チェックもなし 30分程で完了 その間も体調は優れない 予定より1時間遅れ 12時にザグレブのバスターミナルに到着 6時間かかった ターミナル内にwi-fiがあったので、すぐにホステルを探して予約した インフォメーションで地図をもらい、メインスクエアまでの行き方も聞いた クロアチアに来て、一気に春らしくなった 公園の芝は青く、赤、黄、白の花が噴水の周りに綺麗に咲いている 気温も暖かい ホステルに荷物を預け、こ

さあ!旅の再開だ

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4/13(月) 【ブダペスト】 昨日はホステル最後の仕事 そして、今日はブダペスト最後の日 1ヶ月超いたブダペスト 1ヶ月前に比べ、多くのものが変わった ホステルで働いてみて、本当に良かったと思う 毎日、帰ると誰かしらいる 木曜日、金曜日には温かい食事もある 帰る場所があるから安心できた いろんな人に出会った 1ヶ月一緒にいたスタッフやゲスト 毎日入れ替わりやって来るゲスト ここで多くのものを得た と、思っている 3月には18時に沈んでいた夕日 今は19時前まで明るくなった 中庭に生えている木 来たときは、スニーカーが2足、ブラジャーが2つ 枝にかかっていた 今では、5足と3つに増えた ゲストやスタッフが置き土産に要らなくなった私物やゴミを引っかけて去っていく… さらに、白い花を実らせている 長袖が必要だったのも、昼間は半袖でも十分の気温になった そんな陽気な天気 チケットを購入するため、午後からバスターミナルに向かった 次はクロアチアのザグレブ クロアチアはEUに加盟しているが、シェンゲンエリアにはまだ入っていないようだ 調べたところ2015年の7月から 私のシェンゲンエリア滞在期間も残り少ない だから、ここブダペストを離れなければいけないのだ… ブダペスト ~ ザグレブ間 6:15発 EUROLINES社 3900フォリント(約1660円) チケットを手にし、重い足取りでホステルに帰った 帰ると荷造り これをするのも1ヶ月ぶり 何だか懐かしい そして、少し下手になっている… いつものように夜までくつろぐ 夜にはもちろんパーティー パーティーホステルにも、ようやく慣れた レセプションにあるティップ入れ それを使って今夜はタダ酒 最後のドリンキングゲームをして楽しんだ ゲストが少なく、ほとんどがスタッフというのもお決まりになった 22時になると、パブクロール 行きつけのルーインバーに酒を飲みながら10数人で向かった 私は23時から友人にお別れを言うため、別行動 滞在中、何度もお邪魔した友人宅 ラムコークを頂きながら、今後の旅のルートなどについて話した ラムコークを2

ホステルで働きませんか?

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4/6(月) 【ブダペスト】 ブダペストのホステルで働き始めて3週間 働くのもあと1週間 私が働いているホステルの紹介 David Hasselhostel 宿泊費はブダペストでは最安だと思う 私が宿泊していたときは、1200フォリント(約530円)だった これにかぎのデポジットが1000フォリント(約440円) 宿泊費とほぼ同じ タオルの貸出しも2000フォリント(約880円)のデポジット また、ロッカーのかぎも1000フォリント(約440円)のデポジット さらに、4月からは朝食のサービスも始まった パンとシリアルの簡単な朝食 コーヒー、紅茶はいつでも無料 木曜日や金曜日には500フォリント(約220円)で夕食の提供もしている レセプションは24時間 ユダヤ人地区に近く、バーやレストランが近くに乱立している スーパーもホステルから30m ブダペストの象徴、バシリカまでも歩いて5分 立地には恵まれている 部屋は主にドミトリー プライベートルームも2つあるが、長期の学生が利用中 合計13部屋 シャワー、トイレは共用 スタッフも住込で働いている スタッフの部屋は別に2部屋ある オーナー以外のスタッフ全員がバックパッカー オーナーはアラスカ出身のアメリカ人 毎週新しいスタッフとしてバックパッカーが来ては、去っていく 今は、アメリカ、ニュージーランド、スロベニア、ラトビア、オーストラリア、 イギリス、エストニア、フランス、シンガポール、そして日本 14人で働いている これに飼っている犬とうさぎ どちらも人懐こい ただし、来週には私も含め6人は居なくなる そのため、ここで仕事の紹介をしようと思った 仕事の内容は前回や前々回書いた レセプションかクリーニング兼パーティースタッフの2種類 レセプションの仕事はお金ももらえる スタッフになるメリットは、やはりたくさんの人に出会えること 私が働いているホステルはパーティーホステル そのため、年齢層は若い人たちばかり 同世代が多い 他のヨーロッパ圏の学生を中心とした客層 そんな彼らと毎晩ドリンキングゲームをした後、パブクロールに出掛けている 2日前にはゲス