投稿

9月, 2015の投稿を表示しています

14日間の隔離

イメージ
10/24(日)  日本に帰国してから新しい職場になり、しばらく忙しくて、更新できていませんでした 今後も忙しそうなので、マイペースで更新していこうと思います いつもどんな風に書いていたのか忘れていました 以前の記事を見て思い出しながら、書きました 14日間隔離したのは、半年前の話です  インドから帰国してから14日間の隔離をしていました 隔離期間中はテレワークで、すぐに次の勤務先の仕事を開始 以前、11月に帰国した時よりも隔離に関して厳格になっていました スマホにアプリをインストールし、毎日ボタンを押して位置情報の報告 メールで毎朝、体調チェックの回答 アプリの方は、毎日不定期に通知が来ますので外出できません 1日4回来るときもあれば、午前と夕方に1回ずつの日もあったりしました ビデオ通話のアプリもインストールしましたが、かかってきませんでした メールとアプリの回答が遅れたりした方々にビデオ通話がかかってくるのだと思います 2020年の11月に帰国した時は、位置情報などの報告はありませんでした そのため、自由に外出してご飯を食べに行ったりしていました  帰ってきて困ったことは食事 Uber Eatsや出前館で簡単に注文できると思っていました しかし、実際は日本の電話番号がないとアカウント登録ができなかったりしました Uber Eatsに関しては、決済がうまくいかずに注文できませんでした 仕方ありませんが、1日目は機内食で食べきれなかったものでご飯を済ませました おかきとパウンドケーキのみ 2日目からは、アマゾンで注文した袋麺、レトルトカレー、缶詰など お米と炊飯器、卵や納豆、豆腐などもアマゾンで購入 2日目からは何とか食糧も確保  SIMカードを契約するにも住所が必要 そのため、面倒ですが実家の住所で登録 実家に届いたSIMカードを送ってもらいました 14日間の隔離期間中なのに、郵便局員からは転入届を出してくださいと注意されました 14日間の隔離期間中で外出できませんと答えても、同じことを繰り返されました 肩身が狭く感じたのを覚えています 役所にも転入届を出さないといけませんが、当時はできていませんでした 【今日のことば】 Más vale tarde que nunca. 2021年8月 日本 地元の風景

ダラダラ、ゴロゴロな1日

イメージ
9/21(月) 【ヒッカドゥワ】 今日コロンボに向けて出発する予定だった 昨日あまりにも何もしていないので1日延長 昨日やったこと 朝起きて、ベッドでゴロゴロ 昼ごはんを食べに食堂へ行き、スーパーでスナックを購入 部屋に戻って、スナックを食べながらゴロゴロ 夜も食堂へ行ったあと、スーパーでスナック ベッドでゴロゴロ 洗濯もせず、シャワーも浴びず、溜まっていた日記すらつけなかった 1ヶ月いや、2週間に1回はこういう日があってもいい 天気も不安定だったことも一因 今日は朝からシャワーを浴びて、洗濯 スリランカ人にさえ、汚いと言われた白いTシャツを洗う ちょっとショックだった 雨や汗でベトベトなのは分かっていたが、直接言われるとへこむ しかも、日本語が話せるスリランカ人 洗濯したら、荷物の整理 私は父親に似てきれい好き 散らかっていると、落ち着かない 整理が済むと昼食 いつもの食堂 そのあとはビーチへ ビーチで日記をつける 1人静かな空間だと、かえって集中できない 周りに誰かいたり、波のように自然の音が聞こえていた方が集中できるものなのだ ブランケットに寝そべり、溜まっていた日記の消化 ここでもスリランカ人に話しかけられた 「マッサージはどうか?」 あとは、お決まりの 「日本で働くのを手伝ってくれ」 結局、その人はマンゴージュースを1本奢ってくれた 正直今日も昨日同様1人になりたい気分だったので、少し面倒くさく思っていた 今日は雨も降らなかった ビーチにも一定の観光客 アルガムベイにはドイツやイスラエルの観光客ばかりだった ここヒッカドゥワは主にロシア人 看板もキリル文字で書かれているものが多い 本当にスリランカはいろんな一面を持っている サーファーはあまりここにはいないようだ もうひとつ離れたビーチにいるのかもしれない 日記が一段落すると、海に浸かった ぬるくて木の枝が浮いてあまりきれいではなかった 一泳ぎすると、ビーチに戻った ヤシの木の影で日記の続きをつける 夕方までビーチで黄昏ていた 明日こそ移動だ 2015年9月 スリランカ ウナワトゥナのビーチ

スリランカでよくされる質問

イメージ
9/19(土) 【ウナワトゥナ ~ ヒッカドゥワ】 朝からシャワーを浴びようと、シャワー室のドアを閉める と同時にかさかさと地を這うように動く黒い物体 ゴキブリ 一気にシャワーを浴びる気を削がれた これで1泊2500ルピー(約2130円)は高過ぎる 今日も雨 小降りになるのを待つ 昼前にやっと出発 まずはゴールという町を目指す その途中に日本のお寺があるようだ 見つけられたら行ってみようかな 日本のお坊さんもいるようだ スタッフは、ここから2kmと言っていた ゴールまではどうやらたったの3km ヒッチハイクせず、歩いて向かうことにした 歩き続けるにつれ、雨も弱まっていった 結局、お寺を見つけることはできず、ゴールに到着 ここにはオランダがかつて築いた城壁が海岸沿いに残っている 入口には時計塔が建っている 城壁には無料で上れる 城壁内には旧市街が残る その多くは建て替えられ、新しいレストランやホテルになっている だから、城壁内よりも城壁自体がメインの観光地 城壁をぐるっと一周 城壁の上は今では草が生え、芝生となっておりベンチも設置されている 荒々しい波が押し寄せる海岸 多くの観光客 ここは海外だけでなく、スリランカ人の観光客も多い 1時間で観光終わり ゴールを離れ、ヒッチハイク開始 向かう場所はヒッカドゥワ 今朝いたウナワトゥナと同じくビーチリゾート 更にアルガムベイと同様、サーフスポット 2台乗り継ぎ、到着 スリランカ人はヒッチハイクに関してあまりよく思っていないようだ 昨日もバスかトゥクトゥクを使うように言われた 言われたというより、注意された タダで旅することを、よく思っていない 何なら泥棒みたいなもんだとまで言われた そのおじさんにはヒッチハイクという旅のスタイルがあることを説いた ツアーガイドらしく、今度欧米人に聞いてみる そう言ってお別れした ヒッカドゥワに到着すると、少し天気が変わった 雲は多いが、晴れ間もある 今夜の宿探し 予算内の1000ルピー(約850円)がすぐに見つかった やはり昨日の2500ルピーは高過ぎる 道端に立っていたおじさんに食堂を聞いた

花金なんてクソくらえ!

イメージ
9/18(金) 【ペルマドゥラ ~ ウナワトゥナ】 シャワーを浴びて、インスタントラーメンを食べたら出発 出発すると、すぐに雨が降りだした 今日も雨か… レインジャケットを着て、雨が弱まるのを待つ 小降りになった所でヒッチハイク 車は止まってくれる そしてやはり、バスを使うことを勧めてくれる 彼らはヒッチハイクを知らない バスターミナルから、歩いてヒッチハイク場所を探す これの繰り返しなので、スリランカのヒッチハイクは疲れる ヒッチハイクは順調 だが、天気がやはりダメだ エンビリピティエという町に到着した時点で、雨はまだ降っていた バスを使うことにした タンガレまで74ルピー(約60円) タンガレはスリランカの南海岸の町 ビーチが綺麗らしい バスに乗ること1時間 タンガレに到着したようだ しかし、雨が降り続いている 予定変更 ウナワトゥナという町まで ここもビーチが綺麗な町 アヌラーダプラで会ったスリランカ人が、 「この辺りのビーチはハワイと同じくらい綺麗」 そう言っていたので楽しみにしていた が、雨なら別の話 ヒッチハイクでウナワトゥナへ 止まってくれたのは日本語を話すスリランカ人 どれだけ日本語を話すスリランカ人が多いんだ みな総じて優しい 最初は彼の車ではないので、乗せるのを渋っていた が、最終的にウナワトゥナまで乗せてくれた 更にウナワトゥナでは部屋を探してくれた といっても割高 2500ルピー(約2120円) 昨日泊まった1000ルピーの部屋と同じような部屋 Wi-fiあると言っていたのに、付いていない ここ5日間ネットに繋いでいない ネットを使わないことには、イランで慣れたのでそこまで苦ではない 野菜トラックからもらったフルーツを食べようとすると、どうやらジュース用らしい ミキサーにかけて、ホストのおばさんがジュースを作ってくれた お店で飲めば200~300ルピーするらしい そこまでは良かった しかし、私にくれた量が明らかに少なかった あとで帰ってきた家族にそのジュースを配っていた あぁ、ひとこと言ってくれればいいのに ミキサーでジュースを作ってくれたのは、おば

アダムズピークの借りはミニアダムズピークで!

イメージ
9/17(木) 【ヌワラエリヤ ~ ペルマドゥラ】 朝もおばあさんがミルクティーを用意してくれた 一息ついて出発 今日はエラという町に行く まずはヌワラエリヤまでヒッチハイク そこから、ヒッチハイクできる場所を歩きながら探す 競馬場のようなところを横切る 近くで乗馬体験もできるようだ 乗馬の客引きらをあしらって先に進む 今度は湖を横切る 外国人は入場料が必要のようだ だが、外からでも十分に景色は楽しめる 雨が降らないうちに、ヒッチハイクしないとなぁ トラックが止まってくれた 薬をドラッグストアに運んでいるトラック 男性2人組 山を抜け、クネクネした道を左右に揺られながら進む 中央に座ったので、掴む場所がない 天井を支えにして、カーブをしのぐ 1時間ほどのドライブ 今度はエラとの分岐点まで歩く そこから、ヒッチハイク コロンボ行のトラックが止まってくれた ここからコロンボにも行くんだ 変なルートだ トラックのおじさんは他の、スリランカ人も乗せたりして進む どんどん山を上っていく コロンボ方面とエラ方面の分岐点でお別れ バンダラウェラという町 ヒッチハイク再開 エラ行の車をゲット 日本語を少し知っていた どうやらスリランカにある日本のお寺で勉強したらしい 全部で5ヶ所日本のお寺がスリランカにはあると教えてくれた そのうちの1つがアダムズピークで見たお寺のことだろう あっという間にエラ到着 案内所で地図をもらい観光地を聞く ミニアダムズピークなるものがあるらしい すぐに登る決心をした アダムズピークの借りはミニアダムズピークで返す 幸いエラの天気はそこそこいい 曇りがちの晴れといったところ 案内所から3kmとちょうどいい距離 荷物を担いだまま向かった 途中で茶畑を抜ける 天気も少し回復 晴れ間が多くなった 新鮮な空気で深呼吸 おいしい空気を吸いながらのトレッキングは気分がいい すぐに頂上へ やはり頂上近くは、アダムズピークと同じように急な階段があった ミニアダムズピークなだけあって、少しだけだったが 1時間で到着 頂上は風が強い ザックを担いだまま、飛ばさ

1杯のミルクティー

イメージ
9/16(水) 【スリーパーダ ~ ヌワラエリヤ】 雨、雨、雨 起きたら寝袋はビショビショ もちろん朝日なんて拝められるはずはない 雨が小降りになるのを待つ 1時間待ってようやく出発 水分で重くなった荷物を担いで階段を下る 昨夜無理してでも、ポストポリスに戻っておけばよかった そこなら、濡れずに済んだだろう こんなに濡れて、朝日も見ずにここを去るなんてことになるとは いつかまたリベンジだな 雨降る山道の中、そんなことを考えていた 昨晩よりもひどい雨 止まない 登山口に帰ってきた頃には既に疲労していた しかし、ここから今日はヌワラエリヤを目指さなければいけない 昨日ヒッチハイクで会った家族と会う約束をしたのだから もちろんヒッチハイクでヌワラエリヤ 昨日バスで来る途中に見た大きな滝 飛沫が道路にいる私の方まで飛んでくる ホントこの辺りは滝ばかりある そこで、1台のトラックをゲット すぐに荷台に乗り込む 止まない雨 赤い乗用車に乗り継ぎ、ハットンまでたどり着いた もうここで面倒臭くなった 列車を使おう ナヌオヤ駅に行けば、家族が迎えに来てくれると昨日言っていた 駅に向かうと、ちょうど5分後の列車があった 3等車、30ルピー(約30円) そこまで混むこともなく、座ることができた 列車内には売り子が行ったり来たりしている 雨は止まない 1時間で到着 同じ席に座っていた乗客に聞いて降りた 向かいに座っていたおばさんは、無言でフルーツをくれた リンゴだったのか何なのか分からない あまじょっぱかった トゥクトゥクのドライバーに電話を借りて、おじさんに電話 ヌワラエリヤで合流できるようだ ローカルバスに乗ってヌワラエリヤへ 22ルピー(約20円) 疲れてザックを抱えて眠っていた バスを降り、目の前にある交番 今度は警官に電話をかけてもらった 10分で来れるようだ 交番の隣に座って待つ 雨も降りだしたので、この10分が長く感じられた 向こうに青いトヨタの車が見えた 中から手を降っている 昨日のおじさんだ 無事に合流した 昨日と同じ息子も乗っていた 妻はあとから合流 ヨ

雨季のアダムズピークは正直行かない方がいい

イメージ
9/15(火) 【キャンディ ~ スリーパーダ】 アダムズピーク 先日、一緒に飲んだおじさんの家にあったガイドブックに載ってあった 気になったので調べてみると、スリランカで最も神聖な山 標高は約2250m そこから拝む朝日が絶景だそうだ スリランカでは海には行ったが、山にはまだ行っていない 面白そうだったので、次の目的地はそこに決めた しかし、今はオフシーズン 加えて雨季 それだけが気がかりだ スリランカ人にはアダムズピークよりも、スリーパーダのほうが通じる インドビザセンター前の道路でヒッチハイク 難しいかと思った場所だが、5分で止まってくれた 隣町へ 歩いてヒッチハイク場所をまた探す 止まる車 数台乗り継ぎ、ハットンという町まで来た 最後の1台はヌワラエリヤ行 「明日、ヌワラエリヤに行くよ」 そう言うと、彼らの家に招待された これで明日の予定も決まった ハットンまでの道は茶畑が広がる山岳地帯 そこを青い列車が走っている 茶畑には麻の籠を背負ったおじさんやおばさんが茶摘みをしている とてもいい風景 と、ここまでは良かった ハットンを過ぎた辺りで雲行きが怪しくなる ヒッチハイクは順調 しかし、スリーパーダまで20km地点 とうとう土砂降りの雨 仕方なくバスを使う 50ルピー(約40円) 短い距離にしては割高 バスを降りる頃には雨は止んでいた 夕方4時半に到着 すぐに登山開始 2000m越えの山だが、約3時間で登れるようだ もしかしたら夕日が拝められるかもしれない 少し足早に登る 近くの山には多くの滝 大小合わせて10以上は左右の山に見ることが出来た しかし、霧なのか雲なのか視界ははっきりしない 登山口の多くの露店は閉まっている 下りてくる人はいても、今から登る人はいない 観光客だけでなく、スリランカ人も数組下りてきた 大きな門と涅槃像がお出迎え 門をくぐって橋を渡ろうとしたとき、雨が降ってきた しばし雨宿り レインジャケットを装着 小降りになったのを見計らって登山再開 緩やかな階段道を上っていく 所々に祠があり、仏陀が祭られている 日本のお寺もあった

刺激が弱いスリランカ旅…

イメージ
9/14(月) 【キャンディ】 昨日は日本語を話すスリランカ人のおじさんと飲んだ 湖の周りを一周してホステルに帰る途中のことだった 声をかけてきたおじさん 他のスリランカ人同様、日本で仕事したことがあった 彼の家に招待されたので、ついていった 白い大仏のすぐ下にあるおじさんの家 紅茶とコーラを飲み、白い大仏を眺めに行った 戻ってくると、おじさんと談話 英語もできるので、日本語、英語混ぜながらの会話 台所には象印の炊飯器 日本から持ってきたようだ パブに移動して、アラックで乾杯 1時間ほどかけて、ゆっくりとボトルを空にした おじさんからはスリランカ滞在の延長を勧められた 本当にビザの延長をしようか迷った そのくらいスリランカはいいところだ そんなことを考えたのが昨夜のこと 今日は朝からインドビザの手続き キャンディにもう一度戻ってきたのは、このため これがなければ、来ることはなかっただろう 9時にパスポートを渡し、受け取りは当日の16時 それまでは、宿でゴロゴロしていた 近くに植物園があるらしく、ホステルスタッフのおばちゃんから勧められた しかし、お金まで払って植物を見ようとは思わないんだよな ホステルには、他にも日本人の大学生がいた 久しぶりに日本人と会話した 日本語が下手になっている実感がある 最近はもっぱら英語、その前だと英語も通じないイランでペルシャ語 南米とかだとスペイン語 日本語に接する機会はあまりなかった いや、日本語を話す外国人には会った 特にイランやトルコ 彼らの日本語は完璧ではない 日本人の私が彼らに伝わるように、下手な日本語を使ってしまう だから、余計に日本語が下手になるのだ 大学生なので短期の旅行 それでも夏休み丸々使って東南アジアとロンドンを回る スリランカのあとがロンドンで最後らしい スリランカに来て、多くのバックパッカーを見かけるようになった でも、何かが違う 旅人という感じがしない アルバニアから一緒に旅したドイツ人 ジョージアで会ったチェコスロヴァキアの女性2人組 アルメニアからイランの1週間行動した、最強のウクライナ人 彼らのような魅力的な旅人と出会っ

スリランカで一番好きな場所

イメージ
9/12(土) 【アルガムベイ ~ キャンディ】 9時に出発 今日はキャンディに戻る お世話になったおじいさん、サーフショップのお兄さん 彼らにお別れを告げる 昼間はよく彼らのお店に行って、何もすることなく長居していた 第一印象はよくなかったアルガムベイ 彼らとの出会いで変わった 今のところ、スリランカで一番好きなスポットになった 歩きながらヒッチハイク 通るのはトゥクトゥクばかり 隣町に行く車をゲット 到着してまた、歩いてヒッチハイク のどかな風景が広がる あばら小屋のトタン屋根が風でカタカタ、キーキーと音を立てる 片道1車線の小さな道 道の両側には黄金色の野原が延々と広がる 車もトゥクトゥクもあまり通らない 天候はちょうどいい 晴れてはいるが、雲が多く風もよく吹く 歩いても汗をあまりかかない ヒッチハイク日和 1台のトラクターをゲット ガタガタ揺れながら、時速10kmくらいで進む のどかな風景にベストマッチした移動手段 ゆっくり急ぐ それでいいんだ 私の旅のスタイル おじさんにお礼を言って、また歩き出す ハイアーされたタクシーをヒッチハイク 後ろの席にはドイツ人カップルが座っていた モナラガラという町まで乗せてもらった 風景は一変 野原から森に入った 緑のトンネルを進む車 オオトカゲやサルも現れた モナラガラからまたヒッチハイク 男性4人組のトラックが止まった マヒヤンガナという町まで 荷台に乗せてもらったが、かなり揺れる 道もカーブの山道が続く 普段あまり酔わない私も、酔ってしまった 荷台で横になり、目を閉じて深呼吸 少しだけ楽になった 途中でバナナとロッティをご馳走になった 何度も言うが、スリランカ人は優しい 2人の男性とは途中でお別れ そして、やっぱり電話番号を渡してくれた マヒヤンガナ近くでは、お寺に連れていってくれた 更には、象牙で作られた指輪までプレゼントで買ってもらった どこまで優しいんだこの人たちは マヒヤンガナからはバス 車酔いしていたということもあり、バスでキャンディを目指す 110ルピー(約90円) 距離の割に、意外と値段が

アルガムベイは今日も1日平和だった

イメージ
9/11(金) 【アルガムベイ】 ここにいると、時間がゆっくり流れる 1日中、何の予定も立てない ただ、ビーチに泳ぎに行って帰ってくる 朝、昼、夕方 その繰り返し 仲良くなったおじいさんやサーフショップのお兄さん 町を歩けば、必ず声をかけてくるトゥクトゥクのドライバー 日本語で話しかけられる 夜にパブなんか行くと、 「葉っぱ」 など、誰が教えたか悪い単語も知っている 「キ〇ガイ」 誰だ、放送禁止用語まで教えた奴は! 大麻のことを「葉っぱ」という当たりだと、30、40代のサーファーか? 「アブナイ」とか、下品な言葉も連発してくるスリランカ人 夜は町のどこかでパーティーが行われる 欧米人らは夜な夜なそこへ通う 今日、金曜日はお店がお昼に一時閉まる 12時になるとどこのお店も閉店 ここはムスリムの町 金曜日が彼らの休日 モスクに行くのだ それを利用して、サーフショップのお兄さんが原付で近くのビーチに連れていってくれた ピーナッツファームビーチ 穴場のスポット サーフィンもできる アルガムベイからは10km弱 アルガムベイビーチよりも、人は少なく静か ゆっくりと寛げる ここでキャンプする人たちもいる レストランが1軒だけ 1時半には開店の準備のため、アルガムベイに戻ってきた 夕方ビーチを歩く 昨夜、会ったベルギー人の女の子と再会 声をかけてきた 友人2人とヨガをビーチでやっていた それに私も加わった 砂に映る4つの影 ヨガが終わると、ビーチを歩いて帰る 夜にはライブミュージック バンドが大音量の音楽を演奏している どこか、この町には不釣り合い それを地元民は奇妙な眼差しで眺めて通りすぎていく 通りはカップルやグループでの観光客ばかり 1人でアルガムベイは少々、寂しさを覚える 明日の朝、アルガムベイを離れよう 2015年9月 スリランカ アルガムベイの朝日

スリランカでサーフィン初体験

イメージ
9/9(水) 【バティコロア ~ アルガムベイ】 バティコロアはスリランカの東海岸 ということは、当然朝陽が拝められる 西海岸のビーチでは夕陽を見る予定だ 水平線からゆっくりと上がる太陽 夜が明けると荷物を東屋に移動 湿った砂で、寝袋が濡れている 乾くまで一時待機 30分後、出発 次の目的地はアルガムベイ ここより南のビーチ サーフィンのスポット 歩いてヒッチハイク場所を探す しかし、なかなかいい場所が見つからない 2車線の道路で、お店が続く やっと1車線の道になった頃には、1時間半も歩いていた ここまで来たら、あとは楽勝 指を立てれば、10台以内には必ず止まってくれる 中には指を立てていないのに、止まってくれた車もあった 歩いて後ろを振り返ってドライバーと目が合っただけで、止まってくれた 無事にアルガムベイに到着 お腹が空いたので、腹ごしらえ 驚いたことに、ビーチリゾート 多くの欧米人が町を闊歩している 少し幻滅 あまり、こういうところは好きじゃないんだよな… チェコ人の旅人にお勧めされた場所 彼女のお勧めはハズレがない 初めてハズレだと思った 更に驚いたことは、多くのスリランカ人が日本語を少し知っている 町を歩いていると、 「アリガトー」 「コニチハ」 「オイデ」 と、声をかけてくる 日本人のサーファーが教えていったのかもしれない お土産店の前に座っていたおじいさんに、安いレストランを教えてもらう 腹ごしらえが終わるとビーチへ 行く途中ではサーフボードを担いだサーファーたちが町を歩いている ボードを屋根に載せたトゥクトゥクとも、よくすれ違う ビーチに到着すると、多くの欧米人 地元民は少しだけ やはり、あまり好きになれそうにないな… サーファーも多い 町のあちこちにサーフショップ ボードのレンタルやサーフィンのレッスンを企画している 暑かったので、さっきのおじいさんのお店に戻った 優しく迎えてくれ、ビールやコーラまで頂いた 60歳のおじいさん しかし、まだまだ元気 隣のサーフショップのお兄さんも加わる 木陰で涼みながら、会話を交わす ここはイスラム教の町で

スリランカの海

イメージ
9/8(火) 【ポロナルワ ~ バティコロア】 スリランカ人のお家で起床 歯磨きをして出発 家からバス停までトゥクトゥクで送ってくれた 所持金は6ルピー(約5円) 必然的にヒッチハイクするしかない 歩きながらヒッチハイク スリランカ人は本当に優しい 止まるのが早い 指も立てていない状態で、バイクも止まってくれた 数台乗り継ぎ、目的地のバティコロアに到着 多くのドライバーとは連絡先を交換 ほぼみんなが、 「何か問題が合ったら連絡してくれ」 といって、電話番号を渡してくる イラン人みたい バティコロアは東海岸にある街 案内所で地図をもらい、街を歩く コロンボのようにチップを要求されることもなかった お金がないので両替を銀行で済ませた その後は、ビーチを目指す 中心地から少し離れた場所 沖縄を連想させるような造りの家が並ぶ そんな路地を抜ける すると、目の前に広がる海 日差しが肌を焼く 木陰で一休み スリランカ人は観光客に興味津々 ベンチに座っていただけで、1時間に5、6組のグループやカップルに話しかけられた 昼寝もした ビーチの木陰は風が気持ち良くすぐに寝付いた バックパックを枕にして、ベンチに横たわる 波のザーザーという音 ヤシの木が風でカサカサと鳴る 野良犬の表情もどこか穏やか グッタリと何の警戒心もなく、寝転がっている スリランカの海にはカモメの代わりにカラスが多い カラスが木に留まり、カーカーと鳴く 夕方になると、ビーチに漁師が集まり始めた どうやら今から漁を行うようだ 地引き網漁 それを見ていると、私も手伝うことになった 大人から少年まで、一丸となって引く 大人たちは腰ひもを網に固定させて引く 後ろまで引いたら前に移動 それをみんなで繰り返す 網が近くまでくると、魚を狙いにきたカラスが大量に寄ってくる 漁は1回だけでなく、数回行う 違う網を舟に用意しており沖へと広げる それが1グループだけでなく、3から4グループが数km続くビーチで行われている 浜からは他の漁師が 「もっとこっちだ!」 と、手をめいっぱい振りながら声を荒げている 漁の成果は芳しくな

スリランカ美女を見たのはこれが最初で最後だった

イメージ
9/7(月) 【シーギリヤ ~ ポロナルワ】 朝からゾウ 今、泊まっているゲストハウスから程近い場所 そこがゴミ捨て場になっている そのゴミを狙って動物たちがやって来る トゥクトゥクのおじさんが無料で連れていってくれた 10頭近くのゾウの群れがそこで食事をしていた 一定の距離を保ち観察 ゴミ捨て場なのでハエが多い ゾウたちは私らのことなんか気にせず、食事に没頭 野生動物の生態を垣間見れた ゲストハウスに戻ってパッキング 今日はポロナルワという街を目指す 荷物を背負ってヒッチハイク場所へ スリランカ人は優しい すぐに止まってくれる アルバニアやトルコ、ジョージア、アルメニアと同じくらい すぐにバスを勧めてくるあたりは、アルバニアに似ている それでも、ヒッチハイクする トラックの荷台に乗り、途中の町まで また歩いてヒッチハイクできる場所を探す バスを勧めてくるので、いつも市街地のバスターミナルに降ろしてくれるからだ すると、1台のトゥクトゥクが止まった 運転していたのは、現地人ではなさそうだ チェコ人のカップル トゥクトゥクをレンタルして、ポロナルワに向かっている ポロナルワ行をゲット ポロナルワで彼らとはお別れ 私は安いチケット探し ここもアヌラーダプラ同様、入場料が3300ルピー トゥクトゥクのドライバーから、安いチケットを探す しかし、彼らは持っておらず、一緒に付いていかないと安くしてくれない 1人でゆっくり観光したいのに… チケットだけは売ってくれない しばらく、考えて彼に付いていくことに決めた 値段は2000ルピー(約1710円) アヌラーダプラ、ダンブラ、シーギリヤ、そしてポロナルワ ここを抜ければ、お金を使う場所はほとんどない 奮発して払った トゥクトゥクに乗り、向かった場所は裏口 チケットのチェックもない トゥクトゥクを降りて、茂みを歩く すると、トイレの裏に到着 すぐ前には遺跡 左はチケットのチェックがあるから、行くなという忠告を受け、観光開始 中にはアヌラーダプラで見た寺院や仏像ばかり う~ん、正直見なくても良かったかもしれない 2000ルピーの価値はないように

バックパッカー的シーギリヤロックの楽しみ方

イメージ
9/6(日) 【シーギリヤ】 朝は買っておいたインスタントラーメンとバナナだけ それを食べると、シーギリヤロックへと出発 自転車をレンタルして行ってもいいかもしれない 節約のため、ヒッチハイク バスの本数は少ないようだ ヒッチハイクは順調 3台乗り継ぎ、シーギリヤの入口にあっという間に到着 敷地内に入る お目当てはシーギリヤロックに登ること ではない! なぜなら、入場料が高い バックパッカーの私はピドゥランガラ シーギリヤロックの奥にあるもう一つの岩 こちらは500ルピー(約430円)と手が出せる 数年前は無料だったようだ あまり人がいっぱいの観光地には行きたくない私の性分 私にはこちらが合っている こちらも見応え充分 急な階段を上り、岩の隙間をくぐり、岩をよじ登る 途中で涅槃像がお出迎え 木陰が多いが、風はない 湿気のあるスリランカでは暑い しかし、頂上は違う 気持ちいい風がビュンビュン吹く すぐに汗が引いた 頂上からはシーギリヤロックが拝める ライオンロックは、ちょうど木に隠れて見えなかった… 岩陰の涼しい場所でしばらく、シーギリヤロックを眺めていた 20分くらいかけて登ってきた道を引き返す 歩いて、またシーギリヤの方へ 天気が良く、歩いたりサイクリングにはちょうどいい トゥクトゥクを使うのが、もったいないくらい シーギリヤロックの近くでは、日本語を話すスリランカ人に会った 茨城で働いていたらしい スリランカ人は本当にフレンドリー、親日だ 初対面でも気さくに何でも話しかけてくる 英語が通じるので、イラン人よりはコミュニケーションしやすい 帰りもヒッチハイク 帰りは1台でゲストハウスまで戻ってこれた ホテルで働く男性 アユールヴェーダというマッサージの誘いを受けた 昨日もホテルで働く人が勧めてきた 人気のマッサージのようだ 相場は1500ルピー 昨日のおじさんからも教えてもらっていた 何度も 「1500、1500」 と、念を押されていた 観光客価格はもちろん高い う~ん、でもマッサージにはあまり興味がないんだよな でも、この日記をつけていると、少し興味が沸いて

もしもスリランカでヒッチハイクすると…

イメージ
9/5(土) 【アヌラーダプラ ~ シーギリヤ】 イスラム教のおじさんのお店 朝から彼はお祈りをしている 朝5時 6時に湖へ泳ぎに行く誘いを受けたが、眠くて断念 せっかくなので、無理してでも行けば良かった スリランカ人と湖で泳ぐなんて機会は、もう二度と来ないだろう 朝食は近くの食堂に連れて行ってくれた 朝カレー ロッティと一緒に食べた 紅茶も飲んだ トルコ入りから、すっかり紅茶を飲むようになった コーヒーはほとんど飲まない 元々コーヒーは好きじゃない 毎回ではないが、飲むとお腹が緩む体質 だから、そんな私に紅茶はピッタリ しかもここはスリランカ 最高の品質を誇る お店に戻ると、荷物をパッキング おじさんにお礼を言って出発 また、日本かスリランカで会えるだろう 次の目的地はダンブッラ そして、シーギリヤ 移動はヒッチハイク 時間はたっぷりある ダンブッラ方面の道路まで歩いて向かう うん、ここならヒッチハイクできる いつもと違う左手の親指を立てる 反応も悪くない すぐに1台のトラックが止まってくれた アーミー 後ろの荷台に乗る 5分くらいのドライブ 歩きながらまたヒッチハイク 車の通りは少ない 緑に囲まれた場所 畑や牧場 牛がのそりと歩いている トゥクトゥクばかりがブーンと通りすぎていく トゥクトゥクの合間を見ながら親指を立てる バイクや車が止まってくれた バイクの人なんかは、親指も立てていないのに止まってくれた また、サモサと呼ばれるあげパンもごちそうしてもらった あとは、トラック 荷台に乗って、後ろから前に通りすぎていく風景 いつもと逆の景色 最高だ! スリランカ人も優しい人たちばかり 親日でいい国 あっという間にダンブラ到着 アヌラーダプラに行くバスの中から見たゴールデンテンプル そこに行ってみたかった 洞窟にあるお寺も有名らしい 入口でドドーンと黄金の巨大な仏像が迎えてくれる 鎌倉の大仏、いや、『こち亀』に出てくる大仏を連想させる 洞窟にあるお寺は、階段を上っていった先にある が、ネックはやはり入場料 1500ルピー(約1290円)

親日国家スリランカ

イメージ
9/4(金) 【アヌラーダプラ】 ヤモリがボトッと目の前に落ちてきた そんな目覚め スリランカは自然の宝庫だ 朝から遺跡巡り と、キャンプできそうな場所探し アヌラーダプラの遺跡は入場料が3300ルピーもする チケットカウンターも各所に点在 しかし、チェックはあまりされていないようだ 私は買うのをためらっていた そこで近くのトゥクトゥクドライバーと一緒に喋っていた 2時間くらい日陰でゴロゴロしていた すると、別のトゥクトゥクドライバーから使用済みチケットを半額で購入 1500ルピー(約1290円) これで心置きなく観光できる 中には自転車やトゥクトゥクで観光している人たちもいる また、野生動物も身近な存在 猿やオオトカゲなど 人懐こい猿 日本では襲われるから、目を合わせるなと言われるが、ここでは大丈夫なようだ 寺院や遺跡が、広い敷地内に点在 寺院に入る前は靴を脱ぐ 日で熱せられた石の地面が足の裏を焼く 足を動かさないと、ジーッと一ヶ所には耐えられない 写真を撮るときだけ、我慢してストップ ボートゥリーという場所に行った 中には観光客だけでなく、仏教徒の姿も 一画ではお祈りをみんなで床に座っておこなっている 椅子に座った僧から説教を受けている オレンジの袈裟をまとう僧侶 彼らに声をかけてみた Welcomeな態度 そういえば、旅の最初の地 オーストラリア シドニーで、同じようにオレンジの袈裟を着た僧と話をした その時は、ドイツ人の友人もいた 雨が降る中だったが、今日と同じように彼らはWelcomeだった あれが1年と5ヶ月前 それから、南米に渡った その後は、仏教徒なんて全く見ていない そう考えると、一周して日本に近づいていることを実感した お土産にブレスレットをもらった 私の右腕にくくりつけてくれる メガネをかけた初老の僧 隣接する家に招待され、紅茶も頂いた 普通の観光客はガイドに付いて彼らの説明を受け、写真を撮って帰るだけ お寺に来ているなら、是非、僧と話をしてみたほうがいい 私はそう思った ゲストハウスに戻って荷物を取ると、キャンプできそうな場所へと出掛ける すると

キャンディでやることは、インドビザ申請くらいしかない

イメージ
9/3(木) 【キャンディ ~ アヌラーダプラ】 朝からインドビザの申請 ここスリランカで簡単に取れるらしい 朝10時くらいに到着 写真とコピーで400ルピー(約340円) 代理店へ移動して、ビザフォームのタイピング 300ルピー(約260円) 父親、母親の名前や出生地、職業まで聞かれた プリントアウトされた用紙を持って、ビザセンターへと戻る 後ろの席で、今度は手書きの申請用紙 全部大文字で記入 途中、小文字で書いてしまったが問題無いようだ すぐに自分の番が回ってきた 簡単なチェックを受けると、申請代1207ルピー(約1040円) 3ヶ月シングルビザ 思ったよりも取るのに時間がかかるようだ 11日後の14日、月曜日にまた来てくださいと言われた インド入国をちょっと遅めに書いたからかもしれない これは予定外 1週間で取れると思っていた このあと、南のヌワラエリヤ周辺を回ろうと思っていたが予定変更 北側にあるダンブラやシーギリヤを先に回ることにした 移動はもちろんヒッチハイクなのだが、ヒッチハイクできる場所がない ずっと狭い道、お店が続く 車が止まるスペースもない おまけに雨まで降ってきた そうだ 今は雨季なのだ 忘れていた 仕方なしにバスに乗り込んだ アヌラーダプラまで 行こうかどうか迷っていた場所 この際、一気に目指す 120ルピー 150ルピー(約130円)渡すと、お釣りはこなかった ちょうど渡せば良かったと後悔 バスはやはり、中米を懐かしく感じる あのときの中米も雨季 バスに乗っていると、雨が降ったり、止んだりの繰り返し そして、屋根から雨漏りするところも同じ そして、狭い車内に売り子がやって来るところまで 大音量ではないが、音楽も流れている そうこうしながら、7時前にアヌラーダプラに到着 相変わらず、雨は止まない スリランカに来て、日没も早まった 8時まで明るいイランとは違う 6時半には暗くなる 仕方ないが、ゲストハウスに泊まる 値切って1000ルピー(約860円) Wi-fiはルーターごと貸してくれるという斬新さ スリランカはイランに比べると旅しやすい

スリランカのキャンディ

イメージ
9/2(水) 【コロンボ ~ キャンディ】 ホステルの朝食を食べ、出発 同じ宿のみんな一緒に朝食 といってもドイツ人が7人 昨日の夜には日本人も1人やって来た 彼らにお別れを言って宿のドアを開ける バスの値段を調べたら安かったのでバスを使う 昨日、道を歩いてみたがヒッチハイクできそうな場所はなかった コロンボからキャンディまで フォート駅の近くのバス停から出発 エアコンなしのバスが来るのを待つ 値段は143ルピー だが、100ルピー(約90円)にまけてもらった 4時間近くのドライブ バスは中米のチキンバスを思い出させる チキンバスよりはぎゅうぎゅうではない バックパックを膝の上に抱えて座る 窓から入ってくる風、見える景色はパナマ国境から コスタリカのサンホセへ向かう風景のようだ キャンディまでノンストップ トイレ休憩などない ドライバー強靭すぎ キャンディの中心街もコロンボと同じで、雑然としている 警官やトゥクトゥクドライバーに尋ねながら、ホステルを目指す キャンディに来た目的は一つ インドビザの申請 また、訪れるので観光はその時にしよう チェックインを済ますと、宿でダラダラする インドビザのことを調べたり、今後のルートについて考える 夜は近くのレストランへ ロッティというものと、野菜を一緒に炒めたもの めちゃくちゃ量が多くてビビった 味はもちろん美味しい 何とか腹がはち切れそうになりながらも完食 ホステルに帰ってからは、スタッフとお喋り おばちゃん2人 スリランカについて、いろんなことを話した スリランカの軍隊はある程度、地位が高く給料もいい おばちゃんの息子がそうらしい 最低でも高卒らしい 中卒ではなるのは難しいようだ ホステルのおばちゃんの給料は、月2万円くらい シンガポールに出稼ぎに行っていたときのほうが高いようだ また、スリランカは雨季が始まったばかり 9月から11月までが雨季 知らなかった インドネシアやフィリピン人が多くいることも、知らなかった 特に女性 スリランカ人男性と彼女らが結婚するケースが多い もちろんインド人も多い 宗教も仏教だけでなく、イス

だから飛行機は使いたくない

イメージ
9/1(火) 【コロンボ】 朝の5時過ぎ 外はまだ薄暗い 飛行機がスリランカの大地へと降り立つ 機内を降り、バスでイミグレーションへ この頃には外が白み始めた スリランカは事前にETAと呼ばれる電子ビザを取得していた 30ドル(約3570円)と決して安くはない 30日間の滞在が可能 1日1ドル アライバルカードを記入して、審査の列に並ぶ 驚いたことに、こんな朝早くにも関わらず10以上ある審査場所はどれも長蛇の列 というか、こんなにスリランカが人気だとは思わなかった 観光客の姿も目立つようになった イランでは観光客はまばらだったので、それが新鮮に映った スマホでETAの画面を見せることなく、審査は済んだ すぐ外には電化製品店が目立つ こんな審査を終わったばかりに、誰が大きな冷蔵庫なんて買うのだろうか そう、思った矢先 カーゴに大きな段ボールを積んで運んでいる人を見かけた 需要があるんだ ベルトコンベアの場所へ行き、荷物を受けとる すぐに荷物が流れてきて待つことはなかった 外へ出て、まずは両替 レートはそこまで良くない 空港なので当たり前か 情報案内所で市街地までの行き方を尋ねる しかし、答えは曖昧 バスでコロンボに向かう人は少ないのかな たくさんの観光客がバスでの行き方や値段を尋ねており、 スタッフは答えるのに慣れているものばかりだと思っていた とりあえず、外に出てバスを探す ここであることに気づく バックパックの胸ベルトの片方がない 飛行機に乗せて壊れたようだ… 時すでに遅し 空港の外に出てしまっているのでクレームを言いに行くことも出来ない 旅終盤だし、腰ベルトじゃなかっただけマシかな こんなこともあるから、飛行機には、あまり乗りたくなかった スリランカの気候は、イランより大分楽になった 日陰に入れば涼しい あとスリランカ人は英語が喋れる人が多い アクセントが強く、聞き取りづらいが… 2日前までいたイランに比べると、かなりの進歩だ 道を歩いていると、あることに気づいた 車が左側を走っている 運転席も右側 空港の近くだけ そう思っていたが違うようだ スリランカは日本やイギ

あっ、スリランカに飛ぶわ

イメージ
8/31(月) 【シャルジャ ~ コロンボ】 空港職員の隠れ家で目を覚ます 朝から2人、清掃員たちがやって来た パキスタン人のようだ UAEにはパキスタン人、インド人、それからフィリピン人の出稼ぎが多いようだ 昨日街を歩いていると、インド人学校のスクールバスが走っていた お店の店員などでフィリピン人をよく見かけた 空港の清掃員などはパキスタン人 Wi-fiのない空港ですることは、ほとんどない たまっていた日記をつけるのに消化した 幸い電源はあるので、充電はできる 充電をしながら、ひたすら日記をつける それでも、時間は余る 昼寝もした フライトの4時間前 チェックインが開始 行先はスリランカ 審査を受け、中に入ろうとするも不具合 1度別の場所へ移された 2回目でやっと出国完了 2回目もスムーズとはいかず、手こずりはした チケットの裏に何か記入された アラビア語でなんと書いているのかは分からない こちらは何の落ち度もないので、恐れることはない しかし、心配になる これだから飛行機はあまり使いたくない 中は免税店とフードコート イミグレーション前のスペースよりは広い が、やはり小さい気がする UAEというと、もっとパーッとゴージャスなものを作っているのかと思っていたが、 イメージだけのようだった Wi-fiもフリーのものがばんばん飛んでいると思っていた 15分もあれば、見終える 中で食事を済ます 中でも相変わらずwi-fiは繋がらない 「飛行機は遅れることはあっても、早まることはない」 親がよくそんなことを言っていた 22:50発 飛行機に搭乗したのは23時から 搭乗率は7割といったところ 乗客も空席へ自由に移動している 3列シートが左右に2つの小さな飛行機 私も3列を1人で使えた 客室乗務員はスリランカの伝統的な衣装なのだろうか 青いヒラヒラした衣装 大胆にも背中がパックリと開いたセクシーなユニフォーム 5時間の移動 にもかかわらず、機内食が出るとは思わなかった… せっかく夕食をいっぱい食べたのに 我慢すれば良かった 飛行機は何事もなかったように、UAEの夜空へと飛び立

ここ6日間で4人目のゲイ

イメージ
8/30(日) 【シャルジャ】 朝の7時過ぎ 久しぶりにベンチで座ったせいか、寝心地が悪かった 朝食も付いていた パンとチーズ、バター、ジャム、チャイ 昨日の夕食に比べると質素になった ないよりはマシだ 船は10時に港に到着 およそ9時間の船旅 船を出るまでに2時間待ち UAEの入国に2時間待ち 昨日の待ち時間と合わせると、9時間の船旅とほぼ同じ さすがイラン 1週間に2便あるので、仕事に慣れてほしいものだ 効率性に欠ける こんなに時間がかかったのはメキシコ、アメリカの国境以来かもしれない 歩いてセンターまで向かう 湿気がない分、バンダラバスほど暑くはない それでも、10分も歩けば汗だく 街中でwi-fiを探すも見つからない ショッピングモールも数ヶ所回ったがパスワードが掛けられている 一番大きなモールでスタバのwi-fiを使った 1時間の制限付 その間に色々と済ませる それが終わると、航空券を買いに旅行代理店へ ネックでもできたが、プリントアウトするのが面倒なのでお店にやってきた 明日のチケットを取ってもらう 行先はスリランカ ただ何となくで決めた目的地 物価の高いUAEに長居する余裕は、旅終盤でない 興味はあったし、行ってみたいとも思ってはいた国 それがスリランカ 航空券の値段も手が出せる範囲内 ネットでした方が安いと言ったら、まけてくれた 結局はネットと同じ値段になったけど、プリント代や入力する手間を考えれば、 こちらが楽 432.6ディルハム(約13990円) 5時間のフライト 明日の夜11時発 今夜は空港泊だな UAEに来てカードが使えるようになった が、3%の手数料がかかったり、最低10~20ディルハム以上の使用額が決められている ネットもフリーwi-fiがなかなか見つからない ネットの規制はなくなった 歩いて空港まで向かう 空港近くまで来ると、タクシーのお兄さんに絡まれた 空港までタダで乗せてくれるようだ 乗る前に気づくべきだった というより、そんな予感はしていた ゲイだと 6日間で4人のゲイに絡まれる私 パキスタン人の彼 出稼ぎでUAEには来

ヨーロッパからイランまでヒッチハイクで来たけど、限界、、、

イメージ
8/29(土) 【バンダラバス ~ シャルジャ】 今日はイランを出国する 船でペルシャ湾を渡り、アラブ首長国連邦へ行く ヒッチハイクでのユーラシア横断はできなかった パキスタンビザがネックとなった イランでの取得は難しい トルコだと簡単にできるらしいが… モヘンジョダロ行きたかったな 前まではインドまで行く船もあったが、今は一般客は乗せていない そのため、ここからは飛行機でアジアを目指すしかない ホテルをチェックアウトすると、イラン人の彼女がまた迎えに来てくれた 船の時間まで、また彼女の家にお邪魔する ランチもご馳走になり、昼寝もさせてくれた そのあとは、またチャイと果物 夕方の6時に港へ向かった 船の出港予定は9時 3時間前には来いと言われたが、やはり6時からチェックインが開始するはずもない なぜならここはイランだから 開始したのは7時半過ぎ 乗船前にパスポートチェック イラン出国 船のチケットは270000トマム(約10720円)と高い 外国人も2組いた バックパッカーとバイクツーリスト 船に乗るまでも時間がかかった 乗船前のパスポートチェック そこでイランを出国 前にいたベルギー人は1日滞在を過ぎていたらしいが、何も言われていなかった ここで、送ってくれた彼女とはお別れ また、イランもしくは日本で会おう 女性や家族が優先搭乗 夜の9時ちょうどに出港するなんてことはない なぜならここはイランだから 乗船し始めたのが9時 乗船すると、すぐにご飯が運ばれてきた ローストチキンとライス 食べ終わっても船は1mmも動いていない これがイランタイム 11時になっても、動いていなかったのまでは覚えている あとは、眠りに落ちた 船は日本で使っていたもののようだ ドアには「おす」「ひく」と書かれている 船内のコンセントも日本式だった 充電できるかどうかは試していないので分からない 明日は何時に着くことやら… 2015年8月 イラン シーラーズ モスクのゴージャスな照明

ここはゲイの街か、それとも私がゲイにモテるのか?

イメージ
8/28(金) 【バンダラバス】 海岸沿いの東屋で寝ていた 暑くて寝苦しい夜 ようやく眠りにつくことができた と思っていた矢先に起こされた 起こされた相手はゲイ ゲイに起こされるのは、トルコのビーチ以来2度目 こいつはたちが悪かった 寝起きということもあり、面倒くさそうに対応した それが良くなかったのか、やたら突っかかってくる 英語で追い返そうとするが、伝わらない 一方的に話を進める 少し強く言うと、道端の石を拾ってそれで殴ろうとする 起き抜けにこれは、面倒くさい 荷物をまとめ立ち去ろうとすると、かけていたメガネを奪われた 「返せ」 というが、 「キスを一回させろ」 と、検討違いな答えが帰ってくる こいつはバカか? それとも、こんなところに寝ていた私がバカなのか? ちょうど、通行人が来たので半ば強制的に頬にキスをされてメガネを返してもらった 通行人についてそいつから離れた 薄暗い夜明け前の5時くらいの出来事だった その一件で枕をなくした ノルウェーの列車から持ってきたもの 浮き輪のように空気を入れて膨らませるタイプ さすがに、今夜はホテルに泊まる 暑くて寝苦しい上に、またゲイにでも起こされたら、たまったもんじゃない お馴染みになったホテルに行って、チェックインする 夕方までネットで情報収集 イラン人に教えてもらったVPN PsiphonでFacebookも前より使いやすくなった 夕方は昨日も会った女子大生と再会 彼女の弟も一緒 弟が運転する車で彼らの家に向かった 彼らの自宅でお茶した 高校で英語の先生だったという父親 今は退職中 イランは何歳で退職という決まりはないらしく、30年働いたら退職らしい チャイやお茶うけの菓子、フルーツを頂いた 夜は彼女と弟の3人でレストランへ またケバブ イランではどこのレストランもメインはケバブらしい 今夜も腹一杯ご馳走してもらい、ホテルに送ってもらった 一人だけの空間で静かに眠る 2015年8月 イラン シーラーズのモスク

ゲイ、女子大生、ビジネスマン

イメージ
8/27(水) 【バンダラバス】 ゲイのおじさんの一室 朝からマッサージを頼まれた やはり、尻を要求してくるおじさん 絶対マッサージしても、気持ちよくない場所 呆れたので、早くここから出ることに 電話番号を手渡されたが、すぐに捨てた 歩いてセンターに戻る 昨日と同じホテルに戻り、ロビーに居座る 宿泊客でもないが、何も言われなかった メールをチェックする メッセージが1件来ていた バンダラバスに住む女子大生 彼女に会うために、ここまで来たと言っても過言ではない Facebookが繋がらず、なかなか連絡が取れなかった 彼女が教えてくれたPsiphonというアプリをダウンロードして解決 イラン人が勧めるのだから、間違いない そんな彼女とホテルで待ち合わせ 時間になると、現れた アメリカン英語をバッチリ使いこなす カフェに行き、喋った 彼女はそこまでお喋りではなかったので、時おり沈黙の時間が流れた といっても、気まずい沈黙ではない 私の旅の話をしたり、先週彼女が行ったドバイ旅行の話を聞いたり カフェのあとは、ペルシャ湾へ 海岸沿いを歩く 堤防に腰掛けた 海の近くは風があって少しは暑さも和らぐ 暑いことに変わりはないが… 冬は過ごしやすいバンダラバス 新年になると、近くの島に行ってキャンプして過ごす 今いる海岸沿いも大勢の人で埋め尽くされる しばらくすると、彼女の母親が車で迎えに来てくれた 私と彼女はそのまま、レストランへ ケバブを頂いた ドゥースと呼ばれるヨーグルトと水と塩を混ぜた飲み物も トルコでいうアイラン 食後はまた、彼女の母親が来てホテルまで送ってくれた 夜になると、ビジネスで来ている宿泊客と仲良くなった エスファハンで働く彼と、その経営者 それから経営者の孫 バンダラバスは商人の街 商港があり、大きなコンテナ船がアラブやインドからやってくる そのせいか、シャツを着たビジネスマンが多い 今、泊まっているホテルだってそう 観光客よりは、ビジネス目的の宿泊客が多い 彼は、そのうちのコンテナを2つ受け取りにきた 荷物は鶏肉や牛肉の食用肉らしい そんな彼とペルシャ湾沿いを歩きながら

2日連続でゲイに襲われたんだけど…

イメージ
8/26(火) 【バンダラバス】 ある部屋の一室 薄暗い室内に人影が2つ横になっている 何で私はこんなところにいるんだっけ… ホテルをチェックアウトしたあとも、ロビーに居座り続けた ホテルに連泊するほどのお金はない その夜、キャンプをするためにホテルをあとにした 海岸沿いを歩いて、寝られそうな場所を探す すると、1人の男性に声をかけられた 帽子を被り、口ひげを伸ばしたおじさん 英語は喋れないが、話した印象は悪くない そんなこんなで彼の家に泊まることになった 歩いて彼の家に向かう けっこう歩いた すでにホテルから歩いてきていたので、暑さで体力は削られている それにウォーキング中だった男性 歩くスピードが速い 彼のスピードに合わせてついていく 家に到着した頃には、履いていたデニムが重くなっていた Tシャツも色が変わっている すぐにシャワーを浴びさせてもらった と、ここまでは良かった シャワールームは鍵が壊れているらしく、ロックできない 突然おじさんが乱入 おじさんも一緒にシャワーを浴び出した 「はぁっ、この人もか… 」 2日連続でのゲイとの絡み 何なら、私の体を触ってくる 背中を洗えというし、あそこを触らせようとする やんわりと、断る いや、まだ分からない 裸の付き合いは日本でもあることだ シャワーを浴びたあとは、軽い食事 私は夕食を済ませたあとだったのでお腹は空いていなかった 突然電気を消して、スマホの明かりだけにした そして、シーッと合図するおじさん 誰かに追われているのか? 暗くなった室内でスイカなどのフルーツを頂く 果物ならお腹に入る 水分たっぷりのスイカなんてありがたい お酒まで持ってきたおじさん トルコのラキ 久しぶりにお酒を飲んだ気がする そして、スマホでポルノ写真、AVの鑑賞会が始まった 完璧ゲイだな パターンが昨日と一緒 スキンシップも同じ 頭を撫で、頬をつまんでくる 私は疲れていたので、なあなあと返事をしておいた 夜の1時近く たくさん歩いたし、お腹も満たした 眠くないはずがない お酒を飲みながら、薄暗い室内でポルノ鑑賞 これがイラン人独

これぞ、イランの夏。そして、ゲイに襲われる

イメージ
8/25(火) 【バンダラバス】 夜は静かだった青果市場 聞こえるのは、クーラーのブーンという音 うってかわって、朝は活気に満ちていた オフィスを出ると、熱気でかけていた眼鏡は一瞬で曇った 冬の寒い日、外から家に帰ってきたとき、起こることだが、 まさか夏に室内から外に出るときも起きるなんて思ってもいなかった バンダラバスの暑さを舐めていた 街全体がサウナ 日陰でさえ涼しくない バスターミナルに行って休憩 微弱なwi-fiを拾い、現在地を確認 センターまでまだまだ距離があるようだ 暑さで思考も低下 こんなに暑いのにペルシャ湾で、泳ぐ人はまばら これも宗教の関係か 数kmあるビーチ 泳いでいるのを見たのは、1回だけ ホテル探しに疲れて芝生で寝転がっていた 1人の男性が近づいてきた 色黒でポッチャリ バンダラバスはイラン人だけでなく、インドやパキスタン、 アラブからの労働者が多いとは聞いていた 彼もそのうちの1人だろう バイクに乗ってどこかに行かないかと、誘っている ペルシャ語でそう言っているようだ 面倒だし、喉が渇いていたので 「水」 とだけ、答えた 水もくれるらしい それなら、ということでバイクにまたがる ホンダのバイク ペルシャ湾沿いをしばらく走る 右折して団地に入っていくと、バイクは止まった ここが彼の家のようだ 中には誰もいない クーラーを付け、冷たい水をすぐに持ってきてくれた おもむろにテレビをつけ、ビデオを流す彼 流れたのはAV そして、クーラーの前でパンツ一丁になる (うん、おかしい) ここで気づいた パンツをめくって、 「バッチこーい!」 と、言わんばかりにお尻を突き出す奴 あいにく私は、そんな趣味は持ち合わせていない 座っていた私を床に押し倒してきたが、押し返す そんなに強くは襲ってこない 気分を害した私 すぐに家を出ようとする すると、奴が呼び止める 私「!?」 奴「水!」 残っていたペットボトルの水を手渡してくれた なんだ優しい奴なのか? ただの変態なのか? 歩いて、さっきまでいた通りに戻る 途中でバイク乗りにまた声をか

イラン最後の街

イメージ
8/24(月) 【シーラーズ ~ バンダラバス】 ようやくシーラーズを出発する 行先はバンダラバス ペルシャ湾の港町 家を出発し、空港近くまで2時間歩く いつもなら歩きながらヒッチハイクするが、いい場所がなかった それにヒッチハイクが通じない国 場所選びは慎重にならざるを得ない すぐに止まってくれた 空港の先の町まで ヒッチハイク再開 …するも、また警察に連れていかれた お金がないというと、いつも連れていかれる これも慣れたことだ 警察署の前で少し休憩 ヒッチハイク再開 サルベスタンという町に帰るお兄さん サルベスタンに着くと、やはり始まった 友人達に、私の紹介 「彼は日本人の旅人なんだって」 と、車を止め3ヶ所くらいで言っていた 彼の家にも招待された ここで昼食も頂いた 家族の誰一人として、まともな英語は喋れないが、とてももてなしてくれている 言葉ではなく、気持ちが伝われば十分なのだ そんなお兄さんは、バンダラバス行のトラックまで手配してくれた ヒッチハイクせずに、バンダラバス行きが決定! オレンジ色の長距離トラック 荷物は野菜 トラックのおじさんももちろん英語は話せない 助手席の背もたれがない 毛布や寝袋など生活感のある空間 やかんやガス缶も常備 砂漠のような場所に一本だけある道 そこをひたすら直進していく 時おり休憩所やガソリンスタンドに立ち寄る 同じトラック仲間と談笑 水や氷も補給 こう暑いと、冷たい水もすぐにぬるくなる そして白湯くらいに温かくなってしまう 窓からはぬるい風しか入ってこない 何をせずとも、全身からジワリと汗がにじみ出る 車内ではおじさんがガス缶を使ってタバコを吸ったり、 チャイ用のお湯を沸かしたりするもんだから余計に暑い 乗せてもらっているのだから文句は言えない さらにチャイやクッキー、リンゴ、ジュースも頂いているのだ 言うとしたら、 「ありがとう」 この一言に尽きる 長距離トラックらしく、ゆっくりと着実に進む 高い席から景色を眺めるのが好きだ バンダラバスに近づくにつれ、暑くなっていくのが分かる イラン人の誰もが言っていた 「

イラン人に旅のコツを伝授

イメージ
8/23(日) 【シーラーズ】 昨日はホストの弟 私がバスで知り合った男性と再会 それも束の間、彼はまたインドビザのためバンダラバスに旅立った 今日もホストの彼が外に連れていってくれた 改修工事中のモスクや公園 公園では彼の友人とベンチでお喋り そのあとは、大学教授だった男性の家を訪ねた ホストの大学時代の教授らしい 御年93歳のおじいちゃん 耳も遠くなっている 歴史について博識 家の書棚にはペルシャ語のハードカバーの本 床にまで山積みになっている 中庭のガーデンでは、夜になると学生らが来て、おじいちゃんの話に耳を傾けるらしい みんなから愛されているおじいちゃん 帰宅すると、ホストの彼に旅のコツを教えた 特にカウチサーフィンに興味をもった 無料で家に泊まれることに驚いたようだ 仕切りに、 「いいサイト」 「面白いシステムだ」 と、べた褒めしていた 私がシャワーを借りている間、すぐにアカウントを作っていた(笑) これで彼の家に外国人らが来て、彼の英語力もUPするだろう またヒッチハイクも教えた イラン人のほとんどはヒッチハイクが通じない 知っていたのは、タブリーズで泊めてもらったホストだけ ヒッチハイク、アウトストップと言っても彼らの頭には?が浮かぶ イラン人はあまり旅をしないのか イランに来る旅人が少ないのか いずれにしても、イランでヒッチハイクはメジャーではない ヨーロッパならbla bla carも使えるよと言っておいた あとは、ホステル探しのサイト Booking.comやHostel world、Hostel bookers、Agodaなど イランがこの先、旅行しやすい国になり、 いつか彼の役にたつ日が来ることを願うばかりだ 夜になるとナイトピクニック イラン人のピクニック熱は計り知れない アザディ公園で彼のいとこ親子と待ち合わせ スイカを1玉、パンとチーズ、チャイ こうして、彼らはこどもが成人したあとでも家族との コミュニケーションを大切にしている イラン人の夜は長い こんな時間に食事するから、肥満体になるのではないか 結婚した女性のほとんどはポッチャリ これがイランの常

イラン人の結婚祝いに参加

イメージ
8/21(金) 【シーラーズ】 テヘランからのバス そこで一緒になった男性 彼の兄の家 ここで生活している 最近は眠りが浅く、寝ても寝ても眠い 暑さで寝ている時も体力を消耗しているようだ ホストの彼は、典型的なイラン人 好奇心旺盛でよく質問してくる そんな彼に近くのモスクや博物館に連れていってもらった モスクというか偉い人が祀られている場所 入口ではボディーチェック 中は豪華絢爛 金銀で装飾されている 凄みのあるシャンデリア 祀られているケージに信者たちはキスしていく 次に行ったモスクはさらに広かった 金曜日ということもあって、人の数も多い 大勢の人が来るため、最近拡張工事をしたそうだ そのため、とても綺麗なホールができていた 中はクーラーが効いており、人々の憩いの場としても活躍している コーランを読んだり、お祈りをする人のみならず、喋りに来ている人も少なくない 輪になって語らっている 前の場所もそうだったが、入口では靴を脱ぎキーパーに預ける そのくらいちゃんとした場所 ホールだけでなく、中庭も広い が、暑いのでやはり大多数は室内で過ごしている そこでボランティアしているおじさん 彼から記念にお祈りで使う石をもらった イラン人は総じて優しい ホストの彼がイランの歴史を説明してくれる 英語はあまり得意ではないが、私のためによく喋る 午後は博物館や聖職者の学校などを訪れた 学校の中庭ではイタリア人観光客らと一緒になる 彼はもちろん積極的に話しかける しばらく会話して別れた 博物館は入場料が15000トマム(約600円) 安くはない 全部のガーデンやモスクを回ると、お金は大変なことになりそうだ イラン人は無料 こういう場所が多い サアディの墓にも行ってみた ここも入場料がかかるので外から眺めるだけ ここはイランの100000リアル札に描かれている場所 中はガーデンと墓がポツンとあるだけらしい それなら、外から眺めるだけで十分だ 夜には披露宴 ホストのいとこの結婚祝い ラフな格好でもいいらしい Tシャツとデニムで参加するも、やはり周りはスーツを来た人たちばかり ここでも男女

イラン人のピクニックに対する情熱は凄まじい

イメージ
8/20(木) 【シーラーズ】 一昨日は市内観光 昨日はペルセポリス観光 テヘランでは見つけられなかった観光案内所が、シーラーズにはある おネエのようなスタッフは英語も話せる さらには、日本語のガイドブックと市内地図もくれた シーラーズは暑い そう聞いていたが、テヘランと変わらない というより、この時期イランで涼しい場所なんてあるのだろうか 市内の見所はモスクと庭園 しかし、どこも有料 柵の外から眺めるしか出来なかった 無料なのはバザールくらい あとは、水飲み場 暑いから水は必須 1時間置きには汲んでいた ペルセポリスは正直行かなくても良かったかもれない 行きはバスとタクシー 帰りはタクシーだけを使った 7000トマム(約280円)、8000トマム(約320円)と安くはない それから入場料で15000トマム(約600円) イランに来てこんなに使ったのは初めてだ 帰りのタクシーではトルコ人の旅人と会った カウチサーフィンのホストの家に泊まっている 夜まで、カフェに行って彼と少し話していた あとは、2人とも遅すぎるwi-fiを使ってメールなどのチェック 彼はタイ、スリランカと旅して、 これからコーカサスを通ってトルコのイスタンブールに帰るらしい 夜に彼とは別れた ここ2日間はキャンプ コーラン門の向かい側の丘の上 東屋が建っている そこでキャンプ 丘の下では大勢のイラン人がピクニック 彼らのピクニック熱は半端ない 歩道や中央分離帯でもシートを広げる 調理用に中型のガス缶を持参 丘の上はそれほど人も通らず静か しかし、昨日は警察に注意されたので別の場所へ移動して寝た そして今日は1日中、暇していた ある人に電話をかける 彼とは面識はない テヘランからのバスで知り合った男性の兄弟 彼は忙しいようで、夜からしか会えないらしい イラニアンタイムには、慣れた 夕方5時に会う予定は、夜9時までずれ込んだ 朝はバスターミナルへ行き、スマホの充電 夕方はシャハド広場前で行われているデモを見学 日本人は珍しいのか、子供たちに囲まれた 夜は広場前にある法廷の警備員らと仲良くなって喋っていた

テヘランで迷子

イメージ
8/17(月) 【テヘラン ~ シーラーズ】 昨日はイランに来て初めてホステルに泊まった テヘランに住む大学教授のおじさん家族は、旅行でコムに向かった 22年コムに住んでいた 一昨日はテヘランで迷子になった 6時間 灼熱のテヘランをさまよう 電話のメモを家に忘れたのだ メトロの駅までタクシーを使ったので、帰り道も分からない 連絡先も分からない 思いついたのが、バス会社のおじさん 彼の携帯に電話番号が記録されているかもしれない 微かな希望を持ってバスターミナルへ 昨日と同じおじさんを見つけることができた 番号も残っていた さらには、車で送ってくれた 彼には2回も助けられた こうして無事に家に帰ってこれた そして今日 ビザのことで、日本大使館に赴いた が、まさかの移転 しかも、昨日から 旧日本大使館に貼られていた新しい住所の場所へと向かう 聞きたかったのは、パキスタンとインドビザ このまま、ヒッチハイクで東進するなら最低でもパキスタンビザが必要 しかし、結果はダメ サポートレターは発行していないとのこと 危ないからの一点張り インドも15日以上のビザ取得は航空券が必要とのこと パキスタンとインドはビザの発行には、サポートレターが必要 テヘランでのビザ発行は諦めた ホステルに帰り、荷物を取って出発 テヘランに用はない 一気にシーラーズを目指す その前に、お世話になったお喋りおじさんに電話 エマムホメイニ広場の前に座っていたおじさんに電話をかけてもらった すると、電話を貸してくれたおじさんがバスターミナルまで送ってくれるというサービス 水とメロン付 バスターミナルでは、なぜか交番に連れていかれ、お金が無いことに なんだかんだで、バス代もおじさんが支払ってくれた 優しすぎるイラン人 バスの中で食べるお菓子も買ってきてくれた あっという間に3時半、テヘランを出発 隣の席のおじいさんも優しかった クッキーをくれた バスではクッキーと水が支給された イランのバスのクオリティは高いようだ バスは冷房もついており、カーテンで日光は遮られている 景色は楽しめないが、快適な移動 長距離バスは久

もう誰とも喋りたくない、そう思った

イメージ
8/14(金) 【シャフリアル ~ テヘラン】 昨日は1日おじさんに付き合わされた 観光らしいことは、一切していない 観光とは関係のない銀行や英語学校に連れていかれた 昨日も1日喋りたおすおじさんに私は両手を挙げるしかなかった ありとあらゆる人に私の説明 英語が話せる友人に電話をかけては、私にバトンタッチしてくる イランの家族は多い 「あいつは、いとこで名前は…」 「こいつは、いとこの息子。名前は…」 など、30人くらい言われて何がなんだか分からない 英語学校では、クラスに参加 中学から高校生くらいの生徒に質問攻めされた そこの学校の先生が一番質問してきた 質問が終わると、写真撮影 有名人でもないから、こんなに写真を撮られるのには慣れていない… 夜は英語学校の先生たちとディスカッション このときには喋る気力は、ほとんど残っていなかった 夜、帰宅するとバタンキュー そして今日は、朝からモスクへ 金曜日のモスクなんて人がいっぱい もうこれ以上、新しい人に会うのはこりごり やはりここでも、祈りそっちのけで喋りまくるおじさん やっと出発したと、思ったらおじさんではなくタクシーでテヘランへ メトロを使って中心へ イランで英語を話せる人を探すのは難しい 少しだけ話せる人が、中心地まで連れていってくれた 電車の中では、 「日本では電車の中でsexするのは本当?」 という、質問をくらった 痴漢のことを言っているのか、AV のことなのか とりあえず、 「普通じゃない」 とだけ、答えておいた テヘランの中心は特に何もなかった ツーリストインフォメーションも見当たらない ツーリストインフォメーションを求め、バスターミナルに行ってみる しかし、ここにもない イランは旅人にとって旅しづらい国かもしれない 仕方なく、テヘランにいるおじさんの友人に電話 電話はイランの人なら頼めば、貸してくれる人が多い バス会社のおじさんが貸してくれ、ペルシャ語のメモまで書いてくれた これを見せてバスに乗り込む バスの運転手は英語が少し話せ、韓国語も少しだけ話せるようだ バス代はタダにしてくれた BRTと呼ばれる長いバス ドライ

イラン人ってお喋りだよね…

イメージ
8/12(水) 【タレシュ ~ シャフリアル】 朝の9時に起きた イラン人若夫婦の家 いとこと友人も一緒 起きてすぐに朝食 最近、夏バテで食欲は減っている 最低限の量だけ、腹に詰め込む どうせ、あとから 「もっと食べろ、食べろ」 と言われるに違いない 朝から出発 と、いきたいところだが、やはりイラン ここでもランチのあとに出発するように言われる ランチは昨日連れてきてくれた、トラックのおじさんの家 さっき朝食を食べたばかりな気がするんだけど… テヘランに連れていってくれるおじさんが、 「Let’s go」 と言って、3時間後に出発 おじさんの「let’s go」は当てにならない ちなみにおじさんは、英語が話せる 英語の先生をしていたようだ あと、めちゃくちゃお喋り あまりお喋りじゃない私 一緒にいると、少し苦痛 そのおじさんの親族も一緒にテヘランへ 彼らを拾いに家に行くと、スイカを頂いた さっきランチを食べたばかり 何なら、スイカもさっき食べた なかなかテヘランに向けて出発できない おじさんは小遣い稼ぎにタクシーもしている 道で客を拾っては、降ろしていく 車の中でもお喋り さらに何回も電話する そうしては、私に向かって 「お前と話したい奴がいるから、話せ」 と電話を渡してくる このやり取りが10回くらいあった 「Hello. How are you?」 から始まり、何度も知らない、顔も見たことない人に自己紹介をした 疲れて、途中で寝てしまった マンジルダムという、エロい名前の場所も通った 景色は良かった 湖ほどの大きなダム なぜか写真撮影は禁止 おじさんに理由を聞こうと思ったが、喋り疲れて尋ねることもしなかった 同乗している親族の親子は英語が話せない 彼らもお喋りじゃない ドライバーのおじさんだけが、1人で喋りたおしている おじさんが住んでいる町に到着 テヘランかと思ったが、そうではなかった シャフリアルというテヘランから車で30分離れた場所 町に到着すると、お喋りは勢いを増す 車を止めては、私の紹介 道で出会った知らない人、お店の店員、おじさんの親族

イランでヒッチハイクは厳しい…

イメージ
8/11(火) 【アスタラ ~ タレシュ】 6時にヒッチハイク開始 朝ではない 夕方の6時だ まさかこんな時間から、移動しないといけないとは… 昨日はイラン人の家に泊まった 朝の9時に起床 家にはお兄さんと、いとこの2人 お兄さんは仕事で出かけた 12時に戻ってきて、やっと出発できると思った が、やはりそううまくはいかないのがイラン イラン人はなかなか解放してくれない 彼らにランチに誘われた イランのランチは3時4時 ランチの後には、もちろんチャイ トルコのチャイと違うのは、普通のカップを使うこと 熱々のチャイ好きなトルコ人と違って、イラン人は少し冷めたのが好き 冷めやすいように、トルコのような小さなグラスではない 彼らと話していたり、ビデオを撮られたりした イランではヒッチハイクが知られていない クロアチアからここまでヒッチハイクしてきたことを伝えると、驚いていた その流れでビデオを撮られた ようやく解放され、6時にヒッチハイク場所まで送ってくれた 今日も止まる車はお金を要求してくるものばかり 1台だけ、同乗者がおごってくれた タレシュという町 繁華街で降りたので、歩いて郊外へ その頃にはもう8時 暗くなり始めた やはりスタートが遅すぎた 止まる車も、ヒッチハイクを理解してくれない 1台の青いトラックが止まる 今日はそのおじさんの家に泊まることになった 英語が話せる姪に電話をかけ、通訳してもらった 息子が迎えに来てくれ、あとで姪と合流 息子は英語があまり話せなかった 何回も 「I’m sorry. I’m not speak English.」 と言ってきた すぐ謝るところは、日本人と似ているかもしれない 姪は19歳ですでに結婚している 昨年結婚 イランの地方では早い年齢で結婚するらしい 姪以外は英語が話せない その家で夕食やスイカを頂いた ヒッチハイクで止まったおじさんは、お祈りをしている 私は姪夫婦が住む2階へ 夫はテレビをつけ、バルサとセビーリャの試合観戦 サッカーには興味がない私 その間にシャワーを浴びさせてもらった チャイとお菓子が出てきた 時間は1