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14日間の隔離

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10/24(日)  日本に帰国してから新しい職場になり、しばらく忙しくて、更新できていませんでした 今後も忙しそうなので、マイペースで更新していこうと思います いつもどんな風に書いていたのか忘れていました 以前の記事を見て思い出しながら、書きました 14日間隔離したのは、半年前の話です  インドから帰国してから14日間の隔離をしていました 隔離期間中はテレワークで、すぐに次の勤務先の仕事を開始 以前、11月に帰国した時よりも隔離に関して厳格になっていました スマホにアプリをインストールし、毎日ボタンを押して位置情報の報告 メールで毎朝、体調チェックの回答 アプリの方は、毎日不定期に通知が来ますので外出できません 1日4回来るときもあれば、午前と夕方に1回ずつの日もあったりしました ビデオ通話のアプリもインストールしましたが、かかってきませんでした メールとアプリの回答が遅れたりした方々にビデオ通話がかかってくるのだと思います 2020年の11月に帰国した時は、位置情報などの報告はありませんでした そのため、自由に外出してご飯を食べに行ったりしていました  帰ってきて困ったことは食事 Uber Eatsや出前館で簡単に注文できると思っていました しかし、実際は日本の電話番号がないとアカウント登録ができなかったりしました Uber Eatsに関しては、決済がうまくいかずに注文できませんでした 仕方ありませんが、1日目は機内食で食べきれなかったものでご飯を済ませました おかきとパウンドケーキのみ 2日目からは、アマゾンで注文した袋麺、レトルトカレー、缶詰など お米と炊飯器、卵や納豆、豆腐などもアマゾンで購入 2日目からは何とか食糧も確保  SIMカードを契約するにも住所が必要 そのため、面倒ですが実家の住所で登録 実家に届いたSIMカードを送ってもらいました 14日間の隔離期間中なのに、郵便局員からは転入届を出してくださいと注意されました 14日間の隔離期間中で外出できませんと答えても、同じことを繰り返されました 肩身が狭く感じたのを覚えています 役所にも転入届を出さないといけませんが、当時はできていませんでした 【今日のことば】 Más vale tarde que nunca. 2021年8月 日本 地元の風景

イランビザ取得に国をまたぐ

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7/7(火) 【トラブゾン ~ バトゥミ】 朝からイラン大使館に行ってきた トラブゾンで、イランビザが簡単に取れると聞いたからだ しかし、結果からいうと駄目だった システムが変わったようだ 玄関のベルを鳴らして中に入る すでに1組のカップルが申請をしているところだった 女性は頭にスカーフを巻いている 神妙な面持ちだ 審査官にビザを取りたいという旨を伝えると、紙切れを渡された このサイトでリファレンスナンバーなるものを取得しなければならない それならば、トラブゾンに用は無い ホテルをチェックアウトすると、ヒッチハイクに向かった 行先はバトゥミ ここからはジョージア そして、ここでのイランビザも簡単に取得できるようだ およそ40日いたトルコともおさらばだ いろんな出会いに溢れていた また、いろんな荷物が寿命になった スマホの充電器が壊れ、スマホのバッテリーも寿命 Wi-fiを使うと、30分も持たない シューズとサンダルもボロボロ 長ズボンも穴が開いている ジョージアで新しく買い揃えようかな 1台、2台と順調に乗り継ぐ 降ろしてもらった場所もヒッチハイクしやすい 昨日のように、毎回1時間とか歩かなくて済む 3台目が止まる 行先はジョージア しかも、バトゥミまで送ってくれるようだ これなら、バトゥミでのイランビザ申請に間に合うかもしれない 首都のトビリシで働くトルコ人 トルコのトラブゾン、リゼ辺りは茶畑で有名 ここから、あのチャイが作られているようだ 右は山の斜面にある茶畑 左は黒海 こんな道を通ってジョージアとの国境を目指す 国境で一旦お別れ 私は徒歩で、男性は車で入国 審査場所には多くの出国待ちの人だかりができていた 窓口は2つ それでも20分もすれば、自分の番が回ってきた 特に何も聞かれることはなかった ちらりと顔を一瞥されただけ トルコ出国 歩いて、今度はジョージアのパスポートコントロールへ 大きな免税店の横を通りすぎる ジョージア側にはほとんど並んでいなかった すぐに、ジョージア入国 国籍と行先を聞かれた 審査官の女性はにこやかに、 「Welcome」 と

名古屋はトルコ街だった?

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7/6(月) 【オルドゥ ~ トラブゾン】 昨日と同じように、タクシー会社のオフィスで起きた そういえば、また日本語を話すトルコ人に会った やはり、名古屋で働いていたそうだ この人も、強制送還されたらしい 15~10年前の名古屋はトルコ人ばかりだったのか 何があったのだろう ここ2週間で、名古屋で働いた3人のトルコ人に出会った さて、昨日やったことといえば、ボズテペという山に登ったくらい ケーブルカーが通っている が、バックパッカーの私はもちろん徒歩 景色はいまいち ここ数日、黒海沿岸の天気は微妙… 梅雨のような天気が続いている そのため、昨日も曇天の空 そして今日も ラマダン中のムスリムにとっては、暑くなくて楽なようだ そんな天気の中でのヒッチハイク 今日はトラブゾンまで ヒッチハイクできる場所まで歩く ヒッチハイクポイントさえ見つかれば、こっちのもの トルコでは、すぐに捕まる 1台止まり、次の町へ また、ヒッチハイクポイントを探す 雨も途中で降りだした 途中で、カフェにいるおじさんたちにチャイをご馳走になった 雨宿りも兼ねて、しばらくここで休憩 パンも頂いた さらには、乗り合いバスを呼んでくれ、タダで乗せてくれた これに乗って次の町へ さらに歩いてヒッチハイク トラブゾンの手前まで行く車をゲット また、歩いて町の中心街から離れてヒッチハイク トラブゾン行をゲット 白髪のおじさんは英語が喋れた トラブゾンの隣町リゼに行くおじさん 用も無いのに、トラブゾンのセンターまで寄ってくれて降ろしてくれた ヒッチハイクポイントを探すのに、今日は疲れた 6時間かかった フリーwi-fiでホステルを探す 安宿はないようだ Wi-fiを探すのにも苦労した 同じ場所を行ったり来たり 結局、歩いてホテル探し メインスクエアの脇にホテルが集まっている場所がある そこで、探した 1軒目で決定 他のホテルをチェックすると言ったら、値引きしてくれた ネットの最安値より良かったので、ここに決めた 今日は本当に歩き疲れた すぐに、ラマダンご飯を食べに、公園へ 8時を過ぎていたので、おかずは残っ

予期せぬ出逢いは偶然か、必然か

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7/4(土) 【サムスン ~ オルドゥ】 昨日と同じ線路横 そこにある公園の芝生で朝を迎えた 曇り空 ヒッチハイクに支障をきたさなければいいのだが… 今日はオルドゥという場所を目指す ケメルで会った日本語を話すおじさん 彼の出身地 彼の父親を訪ねることになった すぐに1台の車が止まる 途中の町まで 薬学を勉強し、動物のエサの会社で働いている 会社の工場に立ち寄る 獣臭がすごかった 車が進むにつれ、雲行きが怪しくなってきた 遂には雨が降りだした 雨宿りできる場所で降ろしてもらう 少し歩き進むと、お店から手招きする男性たち 近寄ってみると、さっき車から見た他のヒッチハイカーもそこにはいた イスタンブールでの留学を終えたアルゼンチン人 ジョージアを目指しているようだ 雨宿りしている最中、お店の少年たちからいろいろ質問されたのを英語に訳してくれた 30分の足止めは予定外だが、新しい出逢いがあった 雨も弱まり、彼と一緒にヒッチハイク再開 30分で止まる ジョージア近くの町まで ジョージア人男性2人組 トルコ語を操るアルゼンチン人を介して、いろいろ会話した 昼ごはんにキョフテまでご馳走してもらった さらに食後のチャイまで チャイ屋のおじさんが強烈なキャラクター アインシュタインのような風貌 コミカルなリアクション 両手を上げ、後ろにのけぞるように驚きのリアクションをとる人は、 今日にはあまりいないだろう オルドゥには3時到着 5時間かかった ケメルのおじさんに連絡するが、なかなか返信がこない そうこうしていると、スマホのバッテリーも限界がきた 充電できる場所を探すが、見つからない 教えてもらっていた車屋の名前だけを頼りに自力で探す ガソリンスタンドでトイレを借りると、メガネをかけたおじさんに会った すると、8時にここに来て食事しようと誘われた おじさんは、タクシードライバー ガソリンスタンド横にオフィスがある オフィスといっても、4畳ほどの小屋 タクシードライバーは優しい人が多い サムスンでも話しかけられ、オルドゥではもう一人にも別の場所で声をかけられた 暇なんだろうか? 町をぶら

トルコの韓国みたいな名前の場所で、イラク人に囲まれる

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7/3(金) 【サムスン】 昨夜は雨が降って、2時に一回目が覚めた それとも、公園のスプリンクラーだったのかな 昨日は眠くてマットレスと寝袋だけで寝ようとしていた ツェルトを張っていて良かった 日がツェルトに当たり、暑くなって起床 爪を切ったり磨いたり、荷物の整理をして朝を過ごす アウトドアのお店に行ってみたが、欲しいものは見つからなかった そう言えば、ここの警備員に声をかけられた トルコでは、 「日本人?」 と、聞かれることが多い 南米のように、 「中国人?」 と聞かれることはなくなった まあ、一部では 「カザフスタン人?」 と、聞かれることもある そう聞かれて、俄然カザフスタンに興味を持った 同じルーツがカザフスタンにもあるように感じる 今後のルートをどうしよう… その後は、マクドナルドに行ってスマホの充電 日記を書いたりしていた フリーWi-fiスポットに向かうと、昨日と同じタクシードライバーに声をかけられた 何の用も無いのに、声をかけるトルコ人 タクシードライバーは暇なようだ 公園に行って一休み 今度はイラク人に声をかけられた スマホの翻訳機能で会話 トルコにはイラク人が多いようだ すれ違う人を見て、 「イラク」 と、教えてくれる アラビア語とトルコ語を話せる 彼と別れると、私はラマダン用の食事へ サムスンはモスクの前ではなく、メインスクエアが会場 全部で千人くらい イスとテーブルがずらーっと並んでいる 座りきれない人は、近くの階段や、立って食事 ここに秩序はなく、ご飯の配給元に人だかりが出来ている 列を作って並ぶということはなかった サムスンの会場が今までで、一番大きく、一番カオスだった もみくちゃにされながら、パンとスープ、水、アイランをゲット ゆっくりと味わう 食後は海沿いを歩いて、キャンプ場所に戻ろうとした すると、さっきのイラク人に声をかけられた 友達も一緒 3人で海辺のベンチに座る サムスンの海沿いは整備されている ランニングコースやサイクリングコースになっている 露店も少しある また、ライトアップされた馬車も観光客用に走っている 若者た

ヒッチハイク1日最長距離達成か!?

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7/2(木) 【ギョレメ ~ サムスン】 9時起床 朝早く起きれたら、またバルーンを見に行こうと思っていた が、ダメだった 朝食を食べてチェックアウト 思えば、3日前にヒッチハイクで拾ってもらい、そのままホステルにお世話になった とても居心地のいいホステル 1階にあるレストランのスタッフもフレンドリー いろいろサービスで頂いた 「ノルドゥ、カンカ?」 「イーム、イーム」 と言って、握手を交わし、左のこめかみ、右のこめかみ同士を合わせる 顔なじみになったスタッフ これが、トルコ流の挨拶 「ノルドゥ」は、この地方の方言 「How are you?」と同じ 「カンカ」はトルコ全体で、「my friend」と同じ ラテンの「amigo」、コロンビアの「マリカ」といった感じだろうか 11時にヒッチハイク 黒海を目指す ギョレメ郊外を歩きながらヒッチハイク アバノスという隣町へ行く車をゲット 次に止まったのは長距離トラック カイセリ行 1時間のドライブ 順調、順調 分岐点からちょっと離れた場所で降ろしてもらった 分岐点まで40分歩いて戻る 止まったのは、またしても長距離トラック サムスン行 順調過ぎる 3台で今日のヒッチハイク終了 トラックのおじさんとは7時間のドライブ トルコ語を推測しながらの会話 それでも、やはり限界はある おじさんは私が被っていたキャップが、気に入ったらしい 「ジャポン、ジャポン!」 と、連呼していた ステレオからはトルコの音楽 演歌みたい トルコ人は演歌が好きと聞いたことがある それは、トルコの音楽と似ているから 途中で昼ごはん おじさんにおごってもらった そのあとは、洗車 トルコでヒッチハイクすると、よく洗車の時間がある 高圧洗浄機で汚れを洗い落とす トラックなので時間がかかる 重さを量るトラックの検問所がある 38トンあった 荷物を覗くと、マスカット 夜8時 サムスン到着 お礼に折鶴をあげた それから、気に入っていたキャップもあげることにした 中心街から、離れていたので歩いて向かう 知らない街を夜に1人で出歩く 南米とかだ

ギョレメは居心地のいい町

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7/1(水) 【ギョレメ】 朝5時に起床 他のルームメイトは既に出発していた 急いで丘へ上る 歩いていると、丘の向こうにバルーンが見えた 早歩きで上る 間に合った 他のバルーンは準備中 まだ地上近くで待機している 20分後 徐々にバルーンが空高い場所へと上がっていく ゴーゴーという炎を焚く音が、こちらまで聞こえる 5時40分頃がピーク バルーンの数を数えると、およそ90 太陽も向こうの山から顔をのぞかせた 6時前には、バルーンの数も減ったので帰宅 二度寝 9時に起きて朝食 9時半からはツアー グリーンツアー 105リラ(約4740円) 昼食と入場料込み グループ割引でこの値段 同じ部屋のオーストラリア人、イギリス人、韓国人2人と一緒 他のツアー客も合わせて10人 日本人も他に1人いた まず、向かったのはパノラマ景色が楽しめる場所 ここは、まあまあ ギョレメから近く、1人でも来れる 昨日のハイキングのあとだからか、景色が同じように見える 10分で移動 地下都市、デリンクユ 狭い入口を下っていく 喘息の人の治療所でもあるようだ 洞窟療法 以前、テレビで見たことがある 中にはキッチン、教会、墓、ワイナリーなど 生活できるようになっており、8層構造? 唯一の謎がトイレらしい どこでしていたのか、まだ分かっていない 敵に見つからないように、料理するのはいつも夜 エアーダクトがいくつかあり、換気はそこでしている ひんやりとしている洞窟内 長時間いると肌寒く感じる 中は複雑に入り組んでいる これも、もし敵が入ってきた時に容易に脱出させないため だから、道幅が狭く天井も低い通路がいっぱい 中腰で頭を下げないと、歩けない ここが、私にとってこのツアーのハイライトだった その後は、谷に行って4kmのハイキング 川沿いを下る簡単なコース 木陰も多く、ほぼ平坦 川もそこまできれいではない 谷の岩壁を見ると、多数の穴が見られる それらは鳩の巣らしい その鳩の巣がいっぱいあるから、このあと行く谷の名前はpigeon valley と言う ハイキングが終わると、レストラン

これがカッパドキアか~

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6/30(火) 【ギョレメ】 同じ部屋の韓国人2人と近くの谷をハイキング 朝のバルーンを見に行ったら、天気が悪くて中止 4時半に起きたのに… その影響もあり、ハイキング中は雨が降ったり止んだり 洞窟やトンネルで雨宿り カッパドキアには洞窟やトンネルがあちこちある 雨宿りには困らなかった こういった天気は珍しいようだ ホステルの受付が教えてくれた 10年いるが、この時期にこんな雨が降るのは初めてだと言っていた 私が到着した前日も雨が降った 迷いながらもバラの谷、パシャバイという場所を訪れた カラフルな谷 地層ごとに色が違う 緑や赤、黄色 はっきりと線が見える そして、パシャバイ キノコの形をした奇形岩がある場所 そこを歩き終わると、ヒッチハイク 車の通りは少ない 歩いてヒッチハイク 韓国人2人は初めての体験 5台目がすぐに止まってくれた ギョレメまで10分 すぐに帰ってきた ホステルの下にあるケバブ屋で昼食 あとは、疲れた体をホステルで休める チャイが飲み放題なので、それを飲みながら、日記をつけていた 夜はメキシコ人たちと喋った 久しぶりにスペイン語を使った ぎこちなかったが、伝わってはいたようだ 83歳のおじと来ている女性 そのおじいちゃんがかなり元気 0時過ぎだというのに、今から丘に上ると言い出した 「バモノス!」 と言われ、私まで上るはめに… ギョレメの夜景 格別すごいというわけでもない 満月に近い月 その明かりで星はあまり見えない 1時にホステルに帰ってきた 疲れた私は就寝 おじいちゃんたちは、夜のギョレメへとまたホステルをあとにした 2015年6月 トルコ カッパドキア バラの谷

ヒッチハイクで築くwin-winの関係

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6/29(月) 【コニャ ~ ギョレメ】 眩しい空港内で目を覚ます 明るくてあまり眠れなかった 6時起床 トイレでスマホを充電しながら、歯みがき 空港内にwi-fiはなかった 6時半 空港を出発 歩いてヒッチハイクポイントへ 歩いていると1台の車が止まった 指を立てずに、ヒッチハイク成功 2分のドライブだったが、ありがたい また、歩いてヒッチハイクポイントに向かう 8時ヒッチハイク開始 40分で中継点のアクサライへ行く車をゲット クッキーを途中のガソリンスタンドで買ってくれた ここで猛烈な睡魔 ちょっと寝てしまった アクサライ到着 右を見ると、まだ山頂に雪を少し被っているきれいな山がある 1時間歩いてヒッチハイクポイントに到着 止まってくれたのは、長距離トラック トルコではイズミル以来2回目 トルコ人はきれい好き 座席は土足禁止 カーペットが敷かれていた トルコ語を推測しながら、会話する 1人旅に戻ってから、急速にトルコ語を覚えるようになった イスパルタで会った友人の存在も大きい 同じトルコ語が母語でない外国人同士、いろいろ教えてもらった ネフシェヒルという、ギョレメ近くの町で降ろしてもらった また、歩いてヒッチハイクポイントを探す 10分でゲット ギョレメ行 しかも、ホステルで働いている男性2人組 値段を聞くと、7ユーロ(約960円) 行こうと思っていたホステルとほぼ同じ値段 部屋を見せてもらい、即決 ここに泊まることにした ヒッチハイクでホステルも探さずに済んだ 彼らにとっても、ヒッチハイカーを宿泊客としてゲットした 正にwin-winの関係 14時には着いたので、部屋には一番のり あとから4人来るようだ 昼ごはんを、食堂で食べる 値段はやはり少し高め 観光地価格 イスパルタの食堂は4品選べ、パンとサラダ付で6.5リラだった 夕方まではのんびり明日の計画を立てたりした ここにきて、ショックな出来事 スマホの充電器が故障 朝の空港では充電できたのに… スマホを購入した4年前のものだから長持ちしたほうだろう ホステルの充電器をしばらく借りることになった

ムスリムの優しさに触れる

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6/28(日) 【イスパルタ ~ コニャ】 昨日は4時に帰宅 毎日、ラマダンのドラムが鳴り響いたあとに、帰宅する 3時頃になると、街中にドラムが鳴り響く イスラム教の人は、その時間に起きて食事 その時間を過ぎると、日が沈むまで食事ができないからだ そのため、朝早いにも関わらず、電気がついている家庭が多い 食べたあとは、また寝るらしい 9時に起床 シャワーを浴びて、友人が作ってくれたホットサンドとパスタを食べた 食器を洗って、荷物をまとめる 友人も今夜、ここを離れるようだ レポートも無事に昨日、書き終えたみたい 2日後にはスペインに帰る 別れを言い出発 彼や彼の友人からは、トルコ語や文化などを教えてもらった 歩いてヒッチハイクポイントへ 行先はコニャ カッパドキアまで行くつもりだが、1日ではちょっと遠い距離 中間にあるコニャを、ひとまず目指す 30分後 おじさんが、途中の分岐点まで乗せてくれた 降ろしてもらった瞬間 次の車が捕まった この先にある湖のそばの町 幸先いい滑り出し さらには、乗せてくれた家族がバスターミナルまで連れていってくれた 何をすのるかと思えば、コニャ行のバス代を支払ってくれた ヒッチハイクで行きたかったのだが、彼らが熱心に説得してくる 2回断ったが、それでもダメだった 彼らの好意に甘えた 出発は1時間半後 やはり、ヒッチハイクした方が良かったかも バスより早く着いただろう ターミナルのベンチに腰掛け、時間になるまで日記をつけていた 15時になり、バスに乗車 チケットを見ると、40リラ(約1830円) 家族に支払わせて申し訳なく思った 乗った車からは、決して裕福そうには見えない彼ら 久しぶりの長距離バス ドライバーだけでなく、乗務員も添乗 飲み物やスナックのサービスもあった Wi-fiと電源、トイレは付いていなかったが、トルコのバスはサービスがいいようだ 18時 コニャに到着した 近くをうろうろし、wi-fiを探す センターはここより、少し離れているようだ とりあえず、お腹が空いたのでターミナルの食堂でご飯 バスターミナルの前にモスクがあった もちろん、

お腹が空いたらモスクに行こう(ラマダン限定)

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6/27(土) 【イスパルタ】 イスパルタでは友人と会っていた 彼のアパートに滞在中は、特に変わったことをする訳でもなく、ゆっくりとしていた 友人もトルコ人にタダで借りているアパート 3部屋と6つのベッドがあるが、今は友人と私だけ それにリビング、ダイニングキッチンもある広い間取り 一番上の階にあり、見晴らしがいい 日当たりもよく、風もよく通る 他のルームメイトは、卒業したり、旅行で家を空けていた これでリキアンウェイの疲れも癒されたことだろう 友人は卒業レポートで忙しく、日中はずっとパソコンとにらめっこ アラスモスという、ヨーロッパの留学制度 それを使って、トルコにやって来ている 彼の友人もトルコ人だけではなく、ポーランド、ルーマニア、チェコと多国籍 その制度の終了時期らしく、母国に帰る学生や新しく来た学生が多い 日中は、一人で街を歩いたり、湖まで歩いて行ったりしていた 夜は一緒に行動 8時になると、毎日中心街のモスクに行っていた 目当ては夕食 今はラマダン中 毎日、時間は違うが夜明けから日が沈むまで食事をしないイスラム教の方々 今年は18日に始まったようだ 友人がラマダンのカレンダーを見せてくれた お祈りの時間、食事していい時間など、毎日書かれていた 日が沈む時間に、モスクでは無料の夕食を配っている それ目当てで毎日通っていた みんなも同じ考えのようで、時間前になると、モスク前に行列ができる 日本人だろうが、スペイン人だろうが問題ない 仏教でもキリスト教でも関係ない 日替わりのメニューでデザート付 ご飯、パンとおかず2品、デザート、水 遅く行くと、品切れしていることもある そこで食事したあとは、小腹を満たすために、毎回どこかに行っていた チーキョフテやキュヌフェなど チーキョフテはケンタッキーのツイスターみたいな食べ物 キュヌフェはトルコのデザート キュヌフェはかなり甘いが、美味しいチーズのスイーツ バクラバよりも私はこっちが好き また、腹にたまる これが済むと、ビールを購入 買ってポーランド人の家に行って飲む 毎日2時3時過ぎまで語る こんな毎日が続いた 本当に海外の大学生活って楽しそう

トルコ大好きスペイン人

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6/24(水) 【アンタルヤ ~ イスパルタ】 アンタルヤではのんびり過ごした 何もしなかった 暑くて、どこにも行く気にならなかった 1日中、個室のベッドに横たわる 涼しくなって、出掛けたがあまり面白くない アウトドアショップやスポーツショップを少しのぞいてみた お目当ての物は見つからない そして、今日はイスパルタというところに向かう そこにはポーランドで会った友人がいる スペイン人 トルコの大学に留学中 ヒッチハイクポイントまで歩いていく 4時間もかかった しかし、アスファルトで舗装された平らな道は、 リキアンウェイに比べると、なんてことなかった 車も10分で捕まる 一発でイスパルタ行 女性が止まってくれた 彼氏に会いに行くらしい 女性が止まってくれることは珍しい タバコや水など勧めてくる 音楽もクラブミュージック系のものをかけている 私がうとうとしていたら、シートを倒して寝ていいよと言ってくれた お言葉に甘え、少し仮眠 1時間半で到着 センター街でおろしてくれた Wi-fiを拾って、友人に連絡 30分後に迎えに来てくれた 今日からは、彼の家でお世話になる 彼は大学のレポートで今は忙しい 夜だけ、一緒に過ごせる 荷物をおかせてもらうと、彼はすぐにレポートにとりかかった 私はゆっくりくつろぐ まだ、リキアンウェイの疲れが抜けていない 夜は彼の友人らと一緒に会った 安い食堂でご飯を食べ、友人宅でビール 何だろうこの感じ 久しぶりだな 心地いい 2015年6月 トルコ イスパルタにある湖

旅をする理由なんて単純

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6/22(月) 【ヒサーチャンディル ~ アンタルヤ】 いくつの山を越えただろう いくつの川を渡っただろう 1日中 歩いた日もあった 登りだろうが 下りだろうが 崖だろうが 沢だろうが 人の家の裏庭や畑だろうが 顔が蜘蛛の巣だらけになろうが シューズに穴が開いていようが そんなことは関係ない 何度も立ち止まった マメが潰れても ザックの紐が肩にくい込んでも 犬に吠えられても 道に迷っても 暑くても 雨が降っても お腹が空いても 喉が渇いても 歩き続けた 毎日 赤と白のサインを追い続けた カメがのそのそと動き ヤギがメェ~と鳴き 虫がブンブン飛び回り 風がスースーと吹き 木々はザワザワと揺れ 太陽がさんさんと照る 歩き続けた 何のため? すべてはこの日の為に 山の向こうはどうなっているのだろうか 川はどこから始まっているのか この先には何があるのか ゴールはどんな風になっているのか ただただ それだけが知りたくて 歩き続けた リキアンウェイ 旅にも同じことが言える この先の出逢い 見たことない景色 それを見たい、知りたい そんな簡単な好奇心があるから、旅をしている 全部の道のりを歩いた訳ではない 計10日間のチャレンジ それでも、このトレイルに出会って本当に良かった 全部歩くと、509km いつかまた挑戦したい 今度は全部の道のりを 山に登って、海で泳ぐ 遺跡を見て、古代リュキア人に思いを馳せる そんな毎日の連続 リキアンウェイのゴール地点に到着 本当は、あと1日はかかると思っていた ゴール地点からはヒッチハイク 1台目で青い車が止まった 一発でアンタルヤの中心街へ 止まってくれたのはドイツ人男性 冷房が効いた車内が心地良かった 私を降ろし、男性はケメルに向かっていった 見つけたマックでwi-fiを使って、宿探し ホステルではなく、ホテル それが最安だった 個室の部屋 シャワーを浴びて、汗を流す 夜は近くの食堂でご飯 久しぶりにまともな食事 腹ペコだったので、吐きそうなくらい食べた

中だるみのリキアンウェイ

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6/21(日) 【ギョイヌク ~ ヒサーチャンディル】 野宿にしては、しっかりと寝れた 静かで、蚊もいなかった 荷物をまとめて、出発 国立公園に向かう リキアンウェイが中には続いている 6リラ(約270円)の入場料 ここでは、沢登やターザンロープのアクティビティもある ビデオを見せてもらったが、特に沢登は面白そうだった 私には、そんなお金はないので山登り 受付のお兄さんに道を教えてもらい出発 地図も見せてもらった 赤と白のサインをたどっていけばいいので、地図は頂かなかった 川沿いの山を登っていく 昨日降った雨が、木や葉っぱには付いており、横を通ると肌を濡らす 川の流れる音を聞きながら カエルが跳ねる道を歩きながら 一歩一歩前へと進む 次の町まで20km 山を、川を越えていく 相変わらず、登山客はいない 私一人だけ いくつか山を越えた所で、車道に出た ピクニックに来ていた家族、湧き水を汲みに来ていたトラックを見かけた 今日は日曜日か そんなことを思いながら、車道を下っていく 途中でピクニックに来ていたトルコ人にご飯を頂いた サラダと焼きパプリカ、焼き肉、パン、コーラ トルコ人のおもてなしは日本以上かもしれない エネルギーを蓄え、再出発 車道、山道を交互に歩いていくコース 下りなので、足の負担は大きい 5時間歩いて、町に到着した ヒサーチャンディルというところ 今日はもう少し歩き進める 昨日、一昨日とあまり進んでいないから 同じように、車道、山道の繰返し 川沿いを歩く 近くでトラックとすれ違った リキアンウェイを歩いていると言うと、道が間違っていると教えてくれた さらには、サインがあるところまでトラックに乗せてくれた 教えてもらった場所は、川の反対側 幅10mくらいの小さくはない川 本当かよと思いながら、目をこらすと、確かに岩にサインがペイントされている 橋はない どうやって渡ろう 川の流れは速い ダムのように、塞き止めている場所があった その堤防を使って反対側へと渡った 渡った先はまた登り坂の山道 後半で、この登り坂はかなりこたえた また、車道、山道の繰返し

いいことばかりが旅じゃない

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6/20(土) 【ケメル ~ ギョイヌク】 久しぶりのベッド 8時半からは朝食 パン、チーズ、ジャム、バター、オリーブ、スライスされたトマトとキュウリ、ゆで玉子 これが一般的なトルコの朝食のようだ ここの朝食は、それに加えハムとメロン、クロワッサンもあった ジュースも4種類 パイナップル、レモン、サクランボ、オレンジ コーヒー、紅茶 それらがブッフェスタイルで提供される プール横 ゆっくりと口へ運ぶ サクサクのクロワッサン 甘くてみずみずしいメロン とても優雅な朝食 部屋に戻り、シャワーを浴びる トルコでは珍しくないユニットシャワー シャワーを浴びると、トイレと床がびしょびしょになる 10時になり、昨日のツアーオフィスに向かう チェックアウトのとき、折鶴をあげた 無料で泊めてもらうのは申し訳ない気がして、小さいが折鶴をあげた オフィスには、まだ昨日のおじさんはいなかった 30分ほどしてやって来た ツアー客をホテルから船に運んでいたようだ 1時に仕事が終わり、7時に起きる もうこの生活に慣れたと言っていた それでも私には、どこか疲れているように感じた 昨夜のように、少し話をしてからお別れ 彼にも折鶴をあげた 日本かトルコでまた会いましょうと言って出発 30分歩いて、幹線道路に出た 昨日、通った場所だ できれば見たくなかった なぜなら、ここを通らず引き返して山道を歩いて、 さらに戻って昨日の場所にたどり着いたからだ 昨日、山道を1時間かけて歩く必要はなかったということだ 引き返して、昨日見たサインの場所を目指す 相変わらず、すれ違うのはロシア人観光客ばかり 町を抜け、山へ入る 今日の道はそこまでタフじゃない が、サインが見つけにくい また、迷ってしまった というか、行き止まりになった 1時間かけて登ってきた道を降りていく 右足の小指にはマメができている 歩くと痛む 出発した時間が12時 いつもより遅めだったということもあり、隣の町で1泊 たった10kmの移動 昨日の雨に続き、今日もあまり進めなかった 先に進んでみたが、山に入っていく 夜、山に行くのは回避 また、

日本語を話すトルコ人のおじさん

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6/19(金) 【??? ~ ケメル】 閉鎖中だと思っていたペンション 夜12時過ぎ 住人がバイクで戻ってきた 昨日は9時に就寝 めっちゃ寝たと思った割には3時間しか経っていなかったことに驚き 疲れていたということもあり、寝たふり 本気で寝たふり 半開きの目で伺うと、黒い影が動いている 男性のようだ こちらの様子も伺っている 顔も覗き込んできた しかし、話しかけてはこず、起こされることもなかった 4時過ぎにまた、男性が近づいてきたが何も言われなかった それともこれは、夢だったのか 9時になり、静かに寝袋をたたみ出発 庭のサクランボをもぎることなく、そそくさと退散 静かに寝させてくれたオーナー、ありがとう 今日のリキアンウェイはほぼ下り こんなに、登ってきたっけと、言わんばかりに下る すぐに村に到着 お腹が空いたので、ピデを頼んだ ここも観光地なのだろう 観光客がジープに乗って来ていた 恐らくロシア人 スマホの充電をさせてもらい、ピデを頬張った 野菜も付いてきた 味気ない食事 それでも、ちょっと高めの値段設定 観光地価格 山道を歩いている途中で雨が降りだす 通り雨だろうとたかをくくっていたが、本降りになる それでも、青空が見えるのですぐに止むだろう 予定外の足止め 木の下に逃げ込みツェルトを広げ、緊急避難 10分で雨が弱まったので、再び歩き出す 雷はまだ鳴っている 道はマウンテンバイクの通り道のようだ 木や看板にステッカーが何枚も貼ってある また、薄くなった車輪の跡も泥道には残っていた しばらくすると、車道に出た ここからも、ずっと下り 膝に負担がくる 山道よりも歩きやすくはなった ここで、また雨が降りだした 木陰に逃げ込む しかし、完全に雨を防げるような場所ではない ザックと身体を徐々に濡らしていく 列になった観光客のジープが、こちらを見ながら抜かしていく (雨の中、こんな所で何をしているんだろう?) という冷たい視線 今度は10分待っても弱まらない 諦めてレインジャケットとレインパンツを取り出した それを着て、雨の中を歩き始める 歩いているうちに、

やっぱ一人旅が気楽だわ

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6/18(木) 【テキロバ ~ ???】 2時にゲイに起こされた 恐怖心が芽生え、深い眠りにつくことはなく、朝を迎えた ビーチにあるシャワーで頭と体を洗う さっぱりしたところで出発 ビーチのトイレで用を足し外に出ると、今度は若者に絡まれた ビールをおごれと言ってきた 面倒くさかったので、さっさと切り上げて歩き出す やたら面倒くさい日だ 今日もリキアンウェイの続き スーパーでフルーツと1.5Lのジュースを買う 昨日の轍は踏まない 歩き進めるも、道が見つけにくい サインをよく見逃した ようやく、山のルートへと入った 山に入ってからも、サインをよく見失う 1人になったので、サインが絶対的存在 地図もなければ、GPSも持っていない 見逃したら、一旦戻って見つけ直す 昨日の脱水症状の方が神経が研ぎ澄まされ、迷うことなかった 下った道を登って戻り、登った道を下って戻る 途中でシェパードたちに出会った 100頭近くのヤギと犬が数匹 夫婦とおじいさん、息子2人 チャイを2杯、クッキーを3枚 トルティーヤのような薄いパンとチーズ それらを頂いた トルコ人に「メルハバ」と挨拶をすると、次には「チャイ」と誘ってくる 本当にそれくらいの確率 おじいさんは海外のおじさんやおじいさんにありがちなウィンクをする この辺りは霧が濃く、肌寒かった 10分休憩 「ギュレギュレ」とお別れをしてまた登りだす しばらくして、ケーブルカー乗場に到着 数人の観光客 ケーブルカーには乗らない もちろん、ここからも歩き 今日は水場も豊富 水分補給には困らない 足も浸けてアイシング 頭から水をかぶって体温を下げる 標高も高くなってきた 気温は低くなり、雪も残っている 雪で斜面が横断出来ない 仕方なく、一旦50m ほど谷に下り、また50m登って正規ルートに戻った 雪解け水を飲むと、冷たくて美味しかった ここ最近で飲んだ水でNo.1 その後も、危険な山道を進む 砂利で滑りやすい道 すぐ横は崖 岩場で足元がぐらつく道 次の村に到着したのは8時を過ぎていた 名前も分からない村 寝る場所を探さないと… 海は近く

二人旅終了。そして、天国と地獄のトレッキング

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6/17(水) 【チラリ ~ テキロバ】 一昨日、ロシア人らが帰った後、トルコ人がやって来た トルコ人とは、あのトルコ人 イズミルのホステルスタッフ ドイツ人相棒といい関係になっていた ドイツ人が誘いまくって、一緒に旅することになった 以前の私なら、お構い無しだった が、今は違う 3人だとヒッチハイクの成功率は低くなる ペースもバラバラ 何より、ほぼカップルの2人と長期間過ごすのは私もだが、向こうも嫌だろう ここが潮時かもしれない… お互いにとって、お互いが邪魔な存在 ペンションの朝食を済ませ、チェックアウト 支払いをすると、めちゃくちゃ高かった オリンポスにあるホステルなら、もっと安くて快適だったはず これも、短期旅行者と過ごした弊害… 庭で寝ることもなく、朝食と夕食付だった ペンションはいい場所 オーナーもケンタッキーおじさんを連想させるような、白髭に恰幅のいいおじさん メガネが似合う ここで、みんなと別れた 約1ヶ月、共に旅したドイツ人ともさようなら 寂しさはなかった 1人になりたい気持ちのほうが大きかった 向こうも向こうで、寝そべったまま、手を振るだけの見送り これで良かったんだ 久しぶりの一人旅 肩の荷がすーっと軽くなった気がする リキアンウェイに戻る 相変わらずの険しい山道 と、きれいな海 ここまでは順調 地獄の始まりは、既に忍び寄っていた 2km歩いただろうか 海を離れて山へと入っていく 干からびた川のように、地面は大きな砂利で歩きにくい 斜面も急勾配 だいぶ歩いた 後ろを振り向くと、海はかなり遠ざかっていた 周りには誰もいない 聞こえるのはハチとハエのブンブンという羽音 カラッカラッの大地があるのみ ヤギもこの辺りにはいないのだろう 糞が見当たらない 南高した太陽は、私に日陰を与えない そればかりか、急な斜面は続き風も吹かない 時々、吹く風は生暖かい 不快感を増すだけだった 水分があっという間に減っていく いつものことで、500mlのペットボトルしか持ってこなかった 時折ある水場も今日に限ってはない 見かけたのは、山に入る前の海沿いの地点

一人旅に慣れてしまったせいで…

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6/15(月) 【チラリ】 ひたすらダラダラしていた というよりも、1人になりたかった 疲れてどこにも行きたくなかった、というのもある ビーチで起きたら木陰に移動 朝から直射日光を浴び、暑くて目が覚めた 木陰に移動してからは、ずっと寝そべっていた ドイツ人相棒は女性たちのペンションに向かう 彼女らとサイクリング 私はそんな気分どころではなかった 昨日の疲れや、イライラが抜けていなかった 木陰でぼーっとする 何も飲まず食わず 4時過ぎにようやく行動 昨日通ってきたオリンポスに向かう予定だった… 偶然か必然か サイクリング中のドイツ人らと出くわす そのまま、遅めの昼食 いや、早めの夕食を食べることになった 来た道を引き返す ここ数日、行ったり来たり 涼しければ問題ない ザックを担いでいなければ問題ない 彼らは悪くないが、正直な意見を言えない私 フラストレーションが溜まってきた 一人旅に慣れていた そのせいで、彼らにどう振る舞っていいのかが分からない レストランでも、スプライトだけ頼んで我慢 会話に参加せず、ぼーっとする そのまま彼らのペンションへ さらに、遠い場所に移動したようだ ロシア人女性たちは、夕方でお別れ その後も、ペンションの庭でビーチベンチに寝そべっていた さすがに、お腹が空いたので何か食べようとしたが、何もない 正確には大量のトマトなどを運んでいる ただ、ガスストーブはドイツ人が持っている 調理が出来ない そんなドイツ人はお構いなしに、ペンションの夕食を堪能している ミニマーケットに行って、ポテチとファンタを買って腹を満たした そのまま、ペンションのベンチに寝そべって就寝 何だか上手くいかない 歯車が狂い始めた 2015年6月 トルコ カルカンのビーチ

「ツカレッタ、ツカレッタ」

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6/14(日) 【カルカン ~ チラリ】 朝、ビーチで目を覚ます 昨日はビーチの端に出してあったベンチで寝た 岩がちょうどよく陰を作ってくれている パッキングをしていると、日が迫ってきた ドイツ人相棒は先に女性たちのペンションに向かった 食料を置いて 昨日のレストランで、トマトやキュウリを大量に頂いた さらに私のザックの重しとなる また、ここからはヒッチハイクでチラリという場所に向かう 女性たちが決めたルート 彼女らはバスを使っていく 勝手に決められた 歩いてカシュという町までは行こうと思っていたのに… こういう小さなことの積み重ねで、イライラが溜まってきた 5人で旅するのにも、ドイツ人にも バスターミナルまで彼女たちを見送って、ヒッチハイク開始 もちろん坂道を通って 本当に坂が多い この町は 今日も焼けるように暑い 交通量はそこまで多くない 黒い車に乗っているカップル カシュの入口まで乗せてくれた ここも交通量は少ない すぐに1台止まったが、ドイツ人が断った カシュまで行くという人たちだった 私なら乗るのに… 結局1時間後に止まった車でカシュへ アンタルヤの分岐点でヒッチハイク 1台止まり、またドイツ人が断る だから、少しでの移動でも私なら乗る 加えて日陰のない場所でのヒッチハイク 長時間待ちたくない 3時間後 またしても乗った車はカシュの出口までの5分の車 だから、最初に乗っとけよ! 私が2時間立って、ヒッチハイクしている最中、ドイツ人は寝ていた 私のヒッチハイクのルール 極力座らないことにしている 車が来なかろうと だんだんとイライラは募る もうこの時点で、ほぼ無視 聞こえないふりをした カシュの出口で乗せてくれたのは、スイマーのおじさん イスタンブールに帰る途中 ギリシャにある島から7km泳いだらしい 45 ~ 49歳の部門で2位 全体でも23位と、言っていた 波のある海を7km泳ぐなんて大変なこと そんなおじさんには、アンタルヤとの分岐点でお別れ ポンポンと調子よく車は捕まらない 場所を替え、歩きながらのヒッチハイク デムレという町まで乗せてく

独りになりたい気持ち

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6/13(土) 【パタラ ~ カルカン】 昨夜も蚊で熟睡できず… 今日も5人で行動 あまり私は乗り気ではない… ペースを合わせないといけないから 短期旅行者とのお金の使い勝手も違う 思っていたよりも高かったペンション代 昨日ATMで引き出したばかりのお金が一気に減る 今日も朝から暑い 加えて登り坂で陰がない 一気に疲労がたまる ここまで歩いてきた疲労も蓄積している 眠い体にむちをうつ 一歩一歩踏み進める ザックもいつも以上に重く感じる どんどん山道に入っていく 険しさも増す また遺跡もあった 頂上にはトルコの国旗が風になびいていた 遺跡の陰で休む 風がよく通るトンネル いつでも寝れそうだ 遺跡をあとにし、海岸線のコースへ 久しぶりに海に出た 絵に描いたようなビーチ 船でしか行けないビーチが眼下に広がる 数隻の船が停泊している クルーザーから海に飛び込んで泳いでいる男女 笑い声が上にいる私たちにまで聞こえてくる リッチな人たちの遊び場なのだろう 対照的に私たちは、さらに険しい道 汗だくになりながら 崖のような岩場 下は海にまっ逆さま ドイツ人相棒は女性たちの手を引いてリードする そのくらい足場が悪いし、切り立った場所を通っている 予想以上にここで時間を食ってしまった 5時にようやく町に到着 町に到着したというのに、とんでもない坂道が続く 坂の町という印象が一気に付いた カルカン すぐさまカフェで一息 観光地らしく、値段が高い スプライトだけ頼んで我慢 早くビーチに行きたい が、みんな疲労困憊していて、重たい腰が上がらない こういうことでも、人数の多さの不便さを感じる 面白いメンバーで楽しさを共有できればいいのだが… ようやく、出発 また急な坂道を登っていく ペンションに着いてチェックイン ドイツ人相棒と私はビーチでキャンプ 荷物を担いだままビーチ 山、海、山、海 時々、遺跡 本当にこれの繰り返し しかも、暑いので疲れていても自然と体はビーチに向かう ここのビーチは砂利の浜辺 水はきれいで透き通っている 波も穏やか ほとんどない