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14日間の隔離

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10/24(日)  日本に帰国してから新しい職場になり、しばらく忙しくて、更新できていませんでした 今後も忙しそうなので、マイペースで更新していこうと思います いつもどんな風に書いていたのか忘れていました 以前の記事を見て思い出しながら、書きました 14日間隔離したのは、半年前の話です  インドから帰国してから14日間の隔離をしていました 隔離期間中はテレワークで、すぐに次の勤務先の仕事を開始 以前、11月に帰国した時よりも隔離に関して厳格になっていました スマホにアプリをインストールし、毎日ボタンを押して位置情報の報告 メールで毎朝、体調チェックの回答 アプリの方は、毎日不定期に通知が来ますので外出できません 1日4回来るときもあれば、午前と夕方に1回ずつの日もあったりしました ビデオ通話のアプリもインストールしましたが、かかってきませんでした メールとアプリの回答が遅れたりした方々にビデオ通話がかかってくるのだと思います 2020年の11月に帰国した時は、位置情報などの報告はありませんでした そのため、自由に外出してご飯を食べに行ったりしていました  帰ってきて困ったことは食事 Uber Eatsや出前館で簡単に注文できると思っていました しかし、実際は日本の電話番号がないとアカウント登録ができなかったりしました Uber Eatsに関しては、決済がうまくいかずに注文できませんでした 仕方ありませんが、1日目は機内食で食べきれなかったものでご飯を済ませました おかきとパウンドケーキのみ 2日目からは、アマゾンで注文した袋麺、レトルトカレー、缶詰など お米と炊飯器、卵や納豆、豆腐などもアマゾンで購入 2日目からは何とか食糧も確保  SIMカードを契約するにも住所が必要 そのため、面倒ですが実家の住所で登録 実家に届いたSIMカードを送ってもらいました 14日間の隔離期間中なのに、郵便局員からは転入届を出してくださいと注意されました 14日間の隔離期間中で外出できませんと答えても、同じことを繰り返されました 肩身が狭く感じたのを覚えています 役所にも転入届を出さないといけませんが、当時はできていませんでした 【今日のことば】 Más vale tarde que nunca. 2021年8月 日本 地元の風景

ホワイトシティからブルーシティへ

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10/29(木) 【ウダイプル】 昨日はのんびり 朝食を近くの屋台で食べてゴロゴロ 午後からはバススタンドに行って明日のチケットを購入 ジョードプル行 22時発 275ルピー(約510円) 列車よりも少し割高な気がする ウダイプルから、ジョードプルまで直通の列車はないようなので乗り換えが必要 それを考えれば、バスの方が便利だ チケットを購入した後は、湖の隣にある丘に上った 夕日が見えるスポットになっている 丘の上までは、ケーブルカーも出ている 私はもちろん歩き そんなに大した距離でもなかった 丘の上からは、湖が見渡せる いくつかの小島が浮かび、船が遊覧している どこか地元の景色を思い出させるものがある 夕日が沈むまで時間があったので、ボーッと景色を眺めていた 青、緑、黄色、オレンジ、紫、ピンクと空の場所、時間によって変わっていく景色 丘に上ればよく分かるが、ウダイプルの周りは山ばかり 山と湖に囲まれた町なのだ 別名ホワイトシティ そう言われれば、うっすらと町全体が白い感じがする そして、今日は夜行バスで移動 朝から体調が優れず、ゲストハウスで日記をつけながら過ごしていた 昼になっても変わらない体調 1日中、ゲストハウスに籠っていた その分、日記をつけるのに集中できた 今夜の移動は大丈夫だろうか ジュースを朝に少し飲んだだけ 8時間以上、朝から何も口にしていない 夜7時半 ようやく何か口にするため宿を出た いつもの屋台 中華料理のファーストフード店と看板には書いてある 作っているのはインド人 ここ2日お世話になっている メニューは少ないが、他のレストランに比べ安い だから、いつも2品頼む いつも辛い味付けなので、今日は 「Non spicy」 と、頼んだ しばらくして、歩いてバススタンドに向かった 夜のウダイプルは、昼間と違って静か 気温も高くない むしろ肌寒いくらいだ これから冬になっていくようだ バスは普通のバス スリーピングバスではなかった 20分前には、5番のプラットホームに来ていた バスは10分遅れて出発 チケットを係りに見せると、眠りについた

ホワイトシティ

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10/27(火) 【ウダイプル】 朝6時 ウダイプルの手前で降りる乗客たちに起こされた 私の席の乗客もそう 眠い中、寝袋をたたむ ブランケットだけ羽織る 朝の列車には冷たい風が入ってくる それとも、ウダイプルが寒い地方にあるのか そんなことをボーッとしながら考えていた 7時半にウダイプル到着 ウダイプルの次の町への列車を確認するが、分かりにくい ここから直通の列車はないようだった 歩いて目をつけていたゲストハウスへ 狭い小道をくねくね曲がりながら進む バイクとギリギリですれ違う クラクションが朝の頭に響く ゲストハウスは少しネットの値段よりも高かった 他のゲストハウスも見たが、見つからない 安い部屋は埋まっているらしい 一番スタッフの対応がよくて、値段も手頃なところに決めた チェックインすると、すぐにシャワー 久しぶり しかも、お湯が出る インドは暑いから水でも構わないが、お湯だとホッとする ごしごし身体を洗って4日分の汚れを落とす 午後からは街歩きと食堂探し 宿の近くに安い食堂はないようだ ウダイプルの人はよく話しかけてくる 客引きも混ざっているが、悪い感じはしない 服の生地屋が多く、そのせいかテイラーの店もよく見かける 作るのは他の町でもできるからと生地屋に連れていかれた これ以上、荷物は増やしたくないんだよな やんわりと断り、あとにした 他にも似たような人たちに勧誘される また、クッキングクラスのチラシもよく貼ってある 料理教室も流行っているのかな ウダイプルは湖のほとりにある町 橋を渡ったり、水辺まで行ったりしてみた 外国人観光客も多い 町でよく見かけるし、ゲストハウスの客も外国人が多いようだ 湖の近くにある宮殿は入場料がかかったのでパス 湖にある小島の一つはホテルになっている 多くのVIP客も泊まりに来ている この日は、宿の周辺だけ見て回っただけ 2015年10月 インド ウダイプル ジャグディッシュ寺院

インド列車の要注意人物、パンパンおばさん

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10/26(月) 【アフメダーバード】 朝3時 列車に乗ってきた物乞いに起こされる パンッパンッと手を鳴らし、小銭をせびっている ムンバイの時と同じだ 眠っていた私は、肩を捕まれバサバサと激しく揺らされた 脳みそまで揺れるような起こし方 まだ眠かったので、朝3時なので当たり前なのだが、目を閉じた すると、また肩を捕まれバサバサと揺らされた 止めてくれ 朝の眠りを妨げるやつにお金なんて誰がやるか! やっと眠りにつける頃にはアフメダーバードに到着 つらい… やっと席を占領して横になれたばかりなのに いつものことながら、他の乗客に終点だよと言われ降りた 目的地はここではない ウダイプル ムンバイで会ったツアーガイドをしているインド人に教えてもらった この人も日本語が話せた 日本語を話せるインド人は日本人、中国人、韓国人を見分けられるようだ ラジャスタン地方のウダイプル、ジョードプル、ジャイサルメル、ジャイプル ラジャスタン地方はムンバイよりも安いし、良いところが多いと教えてくれた 列車の時間を聞くと、夜の10時 今から14時間以上もある 今度はスリーパークラスを予約 22時発 200ルピー(約370円) 夜まで何しよう とりあえず、荷物預かり所があったのでバックパックを預けた それよりシャワーを浴びたい ムンバイから3日浴びてない 汗でベトベト 皮膚を掻くと、黒い垢が爪の間に詰まる インドはまだ暑く、できれば朝と夜の2回はシャワーを浴びたいところ それどころか砂ぼこりもあり、ザラザラする 砂ぼこりや車やバイクの排気ガスのせいで、鼻水も止まらない ヒマなのでインターネットカフェを探しながら、街歩き アフメダーバードの駅前がこれまでで一番喧騒としていた 車、バス、バイク、リキシャの数が多い こういう大都市は嫌いなんだよな インターネットカフェも見つからず、駅に戻ってきた すると、フリーwi-fiがあることに気づく インドでこれは大事件だ 普通、wi-fiがあってもパスワードが必要 インドでは、フリーwi-fiでもインドの電話番号が必要 だから、インドでフリーwi-fiを見つけるよりは、インター

弾丸エローラ、アジャンタ遺跡ツアー

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10/25(日) 【アウランガーバード】 朝5時 アウランガーバードに到着したようだ フランス人の彼に起こされた 一度、途中の駅でインド人が私の上のベッドに来たので起こされた 起きると、床にはそのインド人が眠っていた インド人はスリーパークラスでも床に寝る 外は暗い 私たちの他にバックパックを担いだ観光客はいない 驚いたことにアウランガーバード駅の情報案内所が開いていた 朝5時半にも関わらず エローラ、アジャンタまでの行き方を聞いて、パンフレットも頂いた 朝早くにも関わらず、親切に対応してくれた 歩いて駅からバススタンドを目指す 3人とも何かお腹に入れたかったが、こんな朝早くに開いているお店はない 屋台が少しあるのみ タクシーやリキシャの客引きを断りながら歩く 朝早くで睡眠不足の身体には、少々しんどい バススタンドに着く頃には外も明るくなっていた 7時 エローラ行のバスに乗り込んだ 32ルピー(約60円) 8時にはエローラ到着 一緒のバスに日本人男性の旅行者も乗っていた 少しだけ話した バスの中では目を閉じていた 途中に別の遺跡があったところまでは覚えている エローラは8時には既に開いていて、中に入れた 入場料は250ルピー(約470円) 入場口から近い16番の洞窟へ 中には、石を削って作られた寺院 像や壁の彫刻も細かい サルやゾウ、ライオンが繊細に彫られている ゾウの鼻の部分は折れているものが多かった 朝日が上り始め、遺跡を徐々に照らしていく瞬間は美しい 朝早いので、観光客も少ない 16番の洞窟を出る頃にはたくさんのインド人観光客でいっぱいになっていた どうやらここがメインの石窟のようだ 掃除のおじさんに教えてもらい、一度食堂へ そこでバックパックを置かせてもらう 3個のバックパックで50ルピー(約90円) 3人とも水を買って身軽になり、観光再開 南側の1番の洞窟の方へ行く さっきのおじさんは15番の洞窟専用の掃除スタッフ 南側はどうやら仏教徒らの石窟のようだ 中には仏陀の像がいる 10番の洞窟には大きな仏陀が安置されている 中はエコーがきく ここでも別の掃除のおじさん

ムンバイでやることがなくなったら

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10/24(土) 【ムンバイ】 インドにしては、珍しい朝食付の宿 時間は1時間と制限はあるが、無いよりはマシ 朝食終了ギリギリの時間に起きてしまい、急いでダイニングホールへ降りる 朝食をゲット 食パン3切れ、ジャム、バター、ゆで卵、バナナ、ミルクティー シンプル 朝からカレーじゃないだけ嬉しい チェックアウトの時間も迫っていたので、急いで食べて、部屋に逆戻り 大まかに荷物をまとめて、チェックアウト シャワーも浴びたかったが、時間はなかった 夜、列車に乗る前に時間があれば浴びよう 午前中はデンマーク人と駅へチケットを買いに行った 初めてのスリーパークラス 次の行先はアウランガーバード エローラ遺跡、アジャンタ遺跡で有名な場所だ 夜9時発 235ルピー(約440円) チケットは駅の予約センター2階にある外国人窓口で購入 パスポートが必要だった 記入用紙に書き込むところは、他の駅と一緒 デンマーク人は明日のゴア行の夜行列車を購入 宿に戻るとダラダラ 本棚があったので、いろいろ漁っていた 滋賀の「ありがとう」団体という宗教関連の冊子が山ほどあった この人は何しにインドに来たのだろう 他にも数冊、日本語の本やガイドブック 夜の9時までは何もすることがない 暇なので、エレファンタ島という島へ行くことにした 暇そうなデンマーク人も誘って一緒 インド門で船のチケットを購入 往復160ルピー(約300円) エレファンタ島行の最終は15時くらいまで インド門と横にあるタージ・マハルホテルを海側から眺め、出発 2階のデッキ席は別料金を徴収していた 乗船中はデンマーク人から仕事の話などを聞いていた オーストラリアでワーキングホリデーをやっていた彼 訪問販売のセールスマンだったらしい おとなしいと自分では、言っていたが、そんなことはない でないと、そんな仕事を続けられないだろう インドのあとは、またオーストラリアに戻って仕事を探すようだ 20才とまだ若い 大学はそのあと行くようだ 日本と違って海外ではそんなこと、当たり前のようだ 30歳の大学生も珍しくない 船に揺られること1時間 エレファンタ島に到着

インドのヨーロッパ、ムンバイ

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10/23(金) 【ムンバイ】 ムンバイに近づくにつれて乗客も降りていく 最後の数駅は座席を占有して横になれた 朝5時半にも関わらず、列車内には物乞いの姿 パンッパンッと手を鳴らし、小銭をせびってくる 彼らは何時に起きて何時まで、こんなことを続けるのだろうか 朝早く起きて、 「よっしゃ、今日も1日乗客から小銭をせびってくるか」 という感じで、目覚めているのだろうか? 6時前にムンバイに到着したようだ 私は気づかずに、しばらく眠っていた インドの列車に限らず、海外のは知らせてくれることが少ない そのまま眠っていたら、ゴアに逆戻りするところだった 駅から歩いてホステルに行く タクシーの客引きもいるが、そこまでしつこくない 朝のムンバイは静かだ 道端で寝ている浮浪者もいるが、危ない感じはしない 海沿いには海軍の敷地 大きな塀で外界とは隔離されている いくつかあるゲートにはユニフォームを身につけた兵士らが門番として立っている 宿には7時に到着 チェックインは7時半からできるようだ 少し待ち、チェックイン チェックインするのに、パスポートだけでなく、そのコピーも必要だった お金を払うもお釣りがない あとで返してくれるらしい インド人はお金に関しては細かいので、 翌日のチェックアウトのとき何事もなく返してくれた 首都のデリーとかだと、返した、返していないとかで揉めるのかな… 部屋はドミトリー すぐにベッドに横になって仮眠 列車旅の疲れを癒す ベッドバグが出るという宿だったが、大丈夫のようだ ベッドは綺麗とは言いがたいが、許容範囲 午後から街歩き インド門と呼ばれる港に立っている建築物が有名 あとは、駅舎 駅舎は世界遺産にもなっているようだ インド門はインド人観光客がいっぱい インドの観光地はどこもそう インド人観光客が多い そのため、宿もインド人で埋まっていることがある 海外の他の観光地だと、こんなことはない 外国人観光客が多い インドの人口の多さを物語っているようだ 周辺にはアクセサリーの売り子や写真撮影の客引きが多い 観光客も多ければ、客引きも多い インド門を後にし、街をぶらり

なんだ、インドの列車って割と楽勝じゃん

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10/22(木) 【ゴア】 ここ数日、のんびり しかし、また風邪をひいてしまった 久しぶりにエアコンのある部屋だったからかもしれない そのせいで体もダルい ゴア滞在中はアグアダフォートに行ったり、釣りに行ったり、 サイクリングしたり、海水浴していた アグアダフォートは城壁 行ってみたが、特別凄いということもなかった インド人観光客はたくさんいた 彼らはよく写真を撮る セルフィーもバンバン撮る アグアダフォートからの海の眺めは良かった 北にあるアンジュナビーチ周辺にはマーケットがあり、 賑わっているらしいが、今回はパス ホステルやパブもその周辺に多い あまりマーケットは好きではない 今日の列車でムンバイへ向かう スリーパークラスは取れなかった 一般クラスで向かうが大丈夫だろうか 風邪ひいてるし… まずはパンジムのバススタンドへ それからカルマリブリッジというところまで ともに20ルピー(約40円) カルマリブリッジは15ルピーでも大丈夫だった 先日、訪れたオールドゴアを通り過ぎて5分 カルマリブリッジ ここから線路に降りて、駅まで線路を歩く チケットを購入 205ルピー(約380円) 17:18発 ムンバイ行 列車はほぼ定刻通りに出発 出発駅から3駅だったので、座席も余裕で座れた 全開の窓からは風が入ってきて気持ちいい 更に扇風機がこれでもかというほど、ツギハギの天井に設置されている ライトの数より多い 列車内は売り子が忙しなく行き交う ドリンクやスナック、コーヒー、紅茶 売り子が途切れることはほとんどなかった 列車での長距離移動は久しぶりだ 恐らく1月のスウェーデン以来 そのあとは、バスやヒッチハイクばかりだった インドの列車もまずまず アルゼンチンの列車くらい 向かい合わせの席というのがややマイナス 足を伸ばしたりできない といってもインド人 足と足の隙間へ伸ばしてくる(笑) ご飯時になると、ビリヤーニなどの食事の売り子もやって来た 私は買っておいたオレオで済ます その頃には車内も満員近い 左右6人掛のシートは埋まっている 車内の電気は夜も消えること

インド、最低から最高のホステルへ移動

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10/18(日) 【ゴア】 今日でベッドバグのユースホステルともお別れ 朝からシャワーで体を洗う ベッドバグに噛まれたところは石鹸で入念に洗う ここのユースホステルは値段が安いだけで、特にいいことはなかった 門限も決まっており、10時には閉まる 朝6時の開門まで開かない 設備もシャワーはなくバケツのみ Wi-fiなし ベッドバグ有り インドの街中でも見かける浄水器もあるが、電源が入っているのか怪しい 宿泊客はユースじゃない 出稼ぎ労働者の住み込みも多い 施設内は常に薄暗い ホステルの前にバスケットコートがあるのと、海が眺められるのがいいところくらい チェックアウトも8時という早さ そんな快適とは程遠いホステルを後にし、カンドリムビーチへと向かう パナジから約20km バススタンドから20ルピー(約40円) 30分で到着 ホステル探し 事前にチェックしておいたホステル 地元民に尋ねながら、2時間迷いながらも到着 チェックインすると、見覚えのある顔が スリランカのホステルで会ったイギリス人 インドに来るとは言っていたが、ここで再会するとは お互い連絡は取り合っていなかった 彼こそハンピの存在を教えてくれた人 私の2週間後にインド入り いつの間にか、抜かされていたようだ 10月にリニューアルしたばかりのホステル ドミトリーでもエアコン、ファン付 シェアキッチンもある そしてwi-fiもある 部屋でもギリギリ使える ベッドには個人用の電源 ビーチまで歩いて5分 広い共有スペースにはソファの代わりに6台のベッド ゆったりくつろげる デスクトップパソコンも使える お腹が空けば、デリバリーも頼んでくれる 原付、自転車も有料で貸し出し バックパッカーには嬉しい無料の洗濯機付 広いベッド ベッド下の鍵付収納スペースも広いので、バックパックもすんなり入る 浄水器もある 何より新しいので清潔だ 今朝までとは天と地ほどの差 夕方まで体を休めた 夕方になると、タオルだけ持って歩いてビーチへ向かう ここの海も穏やか しかし、赤いポロシャツを着たライフセーバーが常駐 安全面もしっかりし

ゴアに眠るフランシスコ・ザビエル

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10/17(土) 【ゴア】 一睡もしていない状態で観光 向かったのはオールドゴア 昨日、本屋でガイドブックを立ち読みして知った パナジのバススタンドから10ルピー(約20円) パナジから約10km離れた場所にある 30分で到着 バスが止まった近くのお店でサモサを食べる 食後はミルクティー これが私のインド朝ごはんの定番だ お腹を満たし観光 メインはボンジーザス教会 ここには、あのフランシスコザビエルが安置されている ザビエルと言えば、誰もが知っている名前 小学校の社会の教科書にも載っている スペイン人の宣教師で日本に初めてキリスト教を伝えたとされている人物だ 頭のてっぺんが禿げている写真に落書きをした人もいることだろう 赤茶色のレンガ作りの教会は、長崎にある浦上天主堂を連想させる 中もシンプル 金色の彫刻が中には施されている 赤茶色の壁と金色の彫刻 今まで見てきた中で、とてもシンプル 真ん中にはもちろんフランシスコザビエルの姿 教会の中はちょっとした展示スペースやアートギャラリーもある そこを観光し終えると、道を挟んで向かい側の教会へ その後も、大小様々な教会を見学 アウグスティン教会は5階建のタワーの一部などが遺跡として残っている 3時間ほどで観光終了 汗をかくと、ベッドバグに噛まれたところが痒くなる これだと、観光するのも一苦労 涼しいところが必要だ ベッドバグに伴い、蚊にも刺されて痒みのダブルパンチだ バスでパナジに帰ってきた 夜はまたベッドバグで眠れないだろうから、昼寝 昼でも2匹殺した 少しほど眠れたので良かった 昨日と同じようにビーチへ夕日が沈むのを見に行った ゴアの海は穏やか 波が低い 毛筆で頬を撫でるかのように、波が浜へとサラリと寄せる ゴアの夕日も綺麗だ 夜は思った通りベッドバグとの闘い 昨日たくさん殺したからか、今日は20匹ほどで済んだ 2時過ぎから、7時まで眠ることもできた しかし、足や手、背中、腰、首回りにかけ刺された跡が残った 今までで一番酷い被害だ 全部で100ヶ所近くあるだろう 蚊なのかベッドバグなのか、何がなんだか分からないほど刺されている

インドでベッドバグ大戦争

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10/16(金) 【ゴア】 朝6時前 ゴア到着 外はまだ暗い バイクタクシーの客引きを断り、明るくなるのを待った 明るくなってから、歩き始める 今いるのはゴアの北部、パナジ パンジムとも呼ばれている インドは英語名とヒンドゥー語名が両方ある都市が多いのだ 宿はユースホステル 1時間歩いて到着 ドミトリーも空いていた シャワーを浴びようとしたが、朝は忙しいらしく満室 先に町歩きへと出かけた 朝食を小さな食堂で取り、ブラブラと歩く 靴修理のおじさんに声をかけられた 私のシューズはボロボロ 3ヶ月前、ジョージアで買ったアシックス 偽物だったらしく、すぐに穴が開いた それをそのまま3ヶ月放置していた 特に左足はひどく、ソールも剥げている それを思いきって修理することにした 本当は新しいシューズが欲しかったのだが我慢 ソールに桐のような工具で穴を開けて、ソールごと紐で縫っていく職人 靴磨きのお客さんもやって来る ボロボロになっていたインソールも交換 両足、それからインソールも含めて400ルピー(約740円) 新しいシューズを買うよりは安いかな その足で、観光再開 教会ぐらいしか見所はないようだ… 夕方にはビーチへ足を運んだ 地元の観光客で賑わっている ガッツリ泳いでいる人はあまりおらず、海を眺めたり、 水辺で足だけ浸けている人の方が多い 6時に夕日が沈むのを見てホステルへと帰った やることもなく、10時頃に就寝 しかし、眠れなかった なぜならベッドバグ 次から次へと湧いて出てくる 3種類くらいいる 1mmの黄色い半透明な蜘蛛の赤ちゃんのようなもの 2mmの赤いもの 5mmの黒くて素早いもの 枕の中身を見ると、数匹中に潜り込んでいる すぐに使うのを止めた 眠れたのは2時間弱 12時から朝まではベッドバグハンターとして、次々に殺していた 50匹は殺しただろう 血を吸っているものもいた 白いシーツは潰して伸ばした赤黒い線が無数に残った トイレに行って帰ってきたら、思った通り2匹のバグがウロウロしていた そのくらいの頻度で出現する 10分置きにライトでベッドの上から下まで確

スリーピングバス初体験

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10/15(木) 【ハンピ】 今夜のバスでハンピを離れる 行先はゴア 今のゲストハウスは旅行代理店も兼ねている ハンピからゴア行の夜行バスを予約してもらった 19時発 850ルピー(約1560円) 安いとは言えないが、スタッフは好い人たちだし、居心地も良かった チェックアウト後も荷物をオフィスに置かせてもらい、 スマホを充電しながらwi-fiも使えた 午前中はハンピの北側を流れる川のほとりに座って日記をつけていた 川のほとりは木陰があり、涼しい風が吹く 風が吹かない町側よりも涼しく感じる しかし、ここはインド インド人たちは私を1人にさせてくれない 観光客のインド人の少年たちに写真を一緒に撮ってと言われたり、 リキシャドライバーの長い客引きに対応 リキシャドライバーとは30分近く話し込み、仲良くなった 川の向こう側にもお寺が3つある 遠回りして橋を渡るか、舟で川を渡るかの2通り 舟にバイクを乗せて渡る地元民もいる そこまで興味はなかったので、私はパス 昼になり一旦、ゲストハウスに帰る 旅行代理店は開けっ放し 誰もいない 一人でwi-fiを使ってメッセージの確認などをしていた 途中で来たニュージーランド人のカップル 彼らと仲良くなり、そのままお茶することになった レストランでラッシーを頼む 2人とも看護士 休暇でインドに来ている ハンピの後はケララに行くと言っていた 途中からは2人でチェスをし始めた 私はルールを知らないので観戦 彼女が勝ったようだ レストランを後にすると、Facebookを交換 ハグしてお別れ そのあとは夕飯 バスが7時なので、その前に食事を済ませておく必要がある いつもの食堂でタリーを食べた 少し休んでバス停へ 15分前にはバスはもう来ていた バスの中は座席ではなく、2段の簡易ベッドがズラリ 青いカーテンで個人スペースは仕切られている これがいわゆるスリーピングバスか 初体験 私は上のベッド バスは7時ちょうどに発車 ハンピから乗る客は少ない あとで立ち寄るバススタンドから乗ってくるのだろう なかなかの揺れだ エアコンなしなので窓を開ける

ハンピでまったりした1日

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10/14(水) 【ハンピ】 昨日と同じように朝食はプーリー 宿のすぐ目の前に、朝になると屋台が現れる 紅茶を飲んでリラックス 身体を洗って観光開始 今日はハンピの南側地区の遺跡巡り メインはロタスマハル ハンピの案内やガイドブックの写真でここが使われていることが多い 暑いが今日も歩き ハンピからは5kmほどの距離 こちらは東側とは違い、自転車をレンタルしてもよさそうだ 昨日のように階段や段差がなく、リキシャも通るような道が続いている ロタスマハルまでは一本道 途中にある遺跡に立ち寄りながら歩く 遺跡の近くには売り子がいる 子どもの売り子は大抵ポストカードかガイドブックを売っている 売れないと、学校のプロジェクトだと言って、日本のコインは持っていないか聞いてくる 本当かどうかは定かではない ほとんどの子供たちがそう言ってくるから、嘘のような気がしてくるのだ 静かに観光するのが好きな私は、1人で行きたい方向に行き、見たいものを見る リキシャを使うと、それができないから断った リキシャのドライバーも 「今日はNo business」 と言って、同情する気持ちもあるが尽く断ってきた 南側の遺跡は東側よりも広く感じた 修復作業中の遺跡も中にはあった 修学旅行中なのか子供たちがたくさんいた 移動手段に驚かされた 全部で30人くらいの子供たち それに引率の大人が2名 リキシャは2台だけ 1台のリキシャに15人くらいの子供たちが乗っていた 私が行く先々の遺跡で鉢合わせした ロタスマハルもやはり入場料が250ルピー 私は入らず、外から眺めるだけ その近くにあるハザララマ寺院が以外にも穴場だった 壁の彫刻はサルやゾウの行進 人々が踊り歩く姿が彫られていた まあ、ここでも子供軍団が来て、ゆっくり鑑賞するまでに時間がかかったが… このあとは、一旦ゲストハウスに帰った 昼ごはんを軽く食べて昼寝 夕日を昨日と同じ丘で見るために今日は早めに出発 頂上で韓国人の旅人と一緒になった ちょうど帰るところだったが、気が変わって夕日も見ることにしたようだ 昨日と違い、今日は私と韓国人の2人だけ 夕日が色を変えながら沈んで

ハンピで一番の絶景ポイント

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10/13(火) 【ハンピ】 朝から身体を洗って目を覚ます 朝食にプーリーと紅茶を頂き、観光開始 今日はハンピの東側地区と、ハンピ近くの遺跡を巡る予定だ 明日は南側 移動手段は歩き 東側は歩きの方が行動しやすいようだ メインはビタラ寺院 ハンピの中では最大規模の寺 その前にある小さなお寺や遺跡に立ち寄りながら観光 目についた丘に登ってみることにした そこからは周りの遺跡が一望できそうだったからだ 登ってみると、やはり正解 遠くまで景色が見渡せる 下にある遺跡の全容もくっきりと見える ここが私のハンピで一番のスポットになった マタンガヒル 恐らく夕日もここからだと綺麗に眺められるだろう 夕方にもう一度登りにこよう 下山して遺跡観光の続き 気分はインディジョーンズ 遺跡に入り、古代の彫刻や模様を見て回る 今ではコウモリ、トカゲ、リスなどの住み家となっている 暑いので日陰で休憩しながらの観光 買っておいたバナナを頬張り、エネルギーチャージ ビタラ寺院に到着 入場料が250ルピー このチケットで南側のロタスマハルにも入場できるようだ 南側は明日行くので、中に入るのはやめた 門の外から眺めるだけ 警備員から100ルピー払えば、このお寺だけ入れるよとも誘われたが断った チケットの販売員は50ルピーと言ったのを私は聞き逃さなかった 騙そうとしている人の誘いには乗らない 払いしぶっていると、警備員は本性を表した 「Go Hampi!」 と言って私を追い返した そんな態度を取られたら、私も入りたくない ハンピへと来た道を引き返す 10ルピー(約20円)のアイスクリームを買って回復 ハンピに戻ってくると、瓶の7UPを飲んで、喉を潤した 宿の近くにあるTシャツショップのお兄さんと仲良くなった しばらく話し込んだ それから、部屋に戻って昼寝 16時から行動再開 ハンピの近くにある遺跡を回る ガネーシャの像が2ヶ所 そこ以外はあまり見所はなかった 少し早歩きで、午前中に登った丘へと再び向かう 少し遅かったようだ… 太陽は既に雲に隠れて沈んでしまっていた 明日リベンジだな、これは ハンピ

今後行けなくなるかもしれない遺跡、ハンピ

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10/12(月) 【フブリ ~ ハンピ】 ホスペテ行は9時半発 それまで1時間あったので、朝食を軽く済ませた 1人のインド人の青年が声をかけてきた 英語はほとんど話せない 話せないのに声をかけようとするメンタルは外国人の凄いところだと思う ホスペテ行のバスが来るまで一緒に待ってくれるらしい 彼がどのバスか教えてくれるようだ その結果、見事に1本乗り遅れた 「このバス?」 と、私が彼に聞くと、 「これじゃないよ」 と、言ったそのバスこそがホスペテ行だった 幸い次のバスは30分後 彼は気を悪くしたのか、そのあとは私から離れた 今度はちゃんとバスのスタッフに聞いてホスペテ行に乗り込んだ 3時間で到着 ここからハンピ行のバスに乗り換え 10kmしか離れていないので、すぐに到着 珍しくこのバスは行先を放送で案内していた 海外のバスは大抵、次のバス停はどこかなど教えてくれない 自分からドライバーや乗務員に聞きにいかなければならないのだ 行く途中で既に遺跡がちらほら見えた バススタンドで客引きについていき宿を確保 そこからはATM探し どうやらこの町にはなく、隣町にあるらしい 観光地だからあるだろうと思っていたのに 5km離れたカマラプルという町にバスで向かった 無事に現金をゲット 帰路についた 帰りは歩き 途中で遺跡にも寄った 夕日がいい具合に差し込み、遺跡に雰囲気を与えている 途中からインド人の子供とも合流 一緒に歩いてハンピを目指すことになった 2人の兄弟 1人は裸足というたくましさ どちらもまだ10才に満たないくらいだろう 英語も少し話せる 途中のサトウキビ畑では、勝手に採ってかじっていた ハンピの手前でお別れ 部屋に戻ると、忘れていた隠し場所から現金が出てきた 隣町まで行く必要なかった… これも旅人あるあるかな その代わり、夕食は少しリッチにした 2015年10月 インド ハンピ 遺跡の立派な彫刻

インドのバスドライバーはとり憑かれたように運転する

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10/11(日) 【マンガロール ~ フブリ】 ハンピという場所を目指す 遺跡が多く残っている場所らしい スリランカでイギリス人に教えてもらった もうしばらくトレッキングは止めておこう スリランカではビーチをenjoyした そろそろ遺跡の時間だ バススタンドに行くと、直通のバスはないらしい フブリという場所に行き、ホスペテ行に乗り換え ホスペテからハンピに乗り換えるらしい 今日中には到着出来るだろう マンガロールを出発したのは9時半 まさか、今日中に到着できないなんて思いもしなかった フブリまで9時間かかった すごいのはドライバー 1人で9時間の道のりを運転 休憩はあったが、凄すぎる ほぼノンストップのバス この辺りの道は直線が少ない 常にカーブや上り道、下り道 そのため、思ったよりも時間がかかる トルコやイランと同じ距離でも、その倍以上の時間がかかるのだ ドライバーはまた何かにとりつかれたように運転する ビュンビュン前の車を追い越していく それでも9時間かかった 予定外のフブリで1泊 近くのレストランでビリヤーニ 屋台でサモサを食べてホテルに帰る 明日こそは順調に到着できるはずだ 2015年10月 インド ハンピの中心にある寺院

インドで『STAND BY ME』

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10/10(土) 【サクレシュプル ~ マンガロール】 昨日のトレッキングの疲れが、まだ抜けきっていない 少し遅めに出発 サクレシュプルのトレッキングは少し変わっている 線路に沿ってひたすら進むコース もちろん列車も通る しかし、その列車は滅多に通らない 数時間に1本 そのコースは正に映画の『STAND BY ME』 線路は昨日バスで通ってきた山を走っている 緑が多いコース サクレシュプル駅からスタート 正確には違法のトレッキング でも、線路を歩いている人なんてインドにはごまんといる 駅員に見つからないように、少し離れたところから線路に侵入 天気は晴れ 日向を歩くと暑い そして線路だから歩きにくい 枕木は私の歩幅には合わないし、枕木の他は砂利が敷かれている 線路を歩くには細すぎて、モデル歩きのように一直線を歩かないといけない たまにあるフラットな側溝や、線路が2本になる所を見つけながら歩く 1時間もすれば、線路を歩くのに慣れてきた このコースの見所は無数の橋とトンネルを越えること 一駅を越えた辺りから山奥へと入っていく線路 橋やトンネルも増えてきた トンネルにさしかかったとき、事件は起きた トンネル内は真っ暗 ヘッドライトが必要 トンネルに入って50m進んだ所で前から汽笛が聞こえた 「マジかよ!」 本当にそう1人で呟いた 逃げ道はない 急いで後ろに引き返す しかし、線路は真っ暗 足元は枕木と砂利で走りにくい 盛大にコケた もう間に合わない 後ろを向くと、ゆっくりだが、列車の姿は確実に近づいてきている 『STAND BY ME』さながらの列車との追いかけっこ 線路脇の側溝に身を丸めて、かがんだ 列車の先頭が私を通り過ぎた 熱い蒸気が私の身体を包む すぐ耳元でガタンガタンと列車のカーゴが通過する 1分ほど猫のように体を丸めていた 列車の最後尾が通過するとき、またも蒸気で暑さを感じた ふうー、何とか生き延びた コケたときの右足がジンジンする トンネル内は真っ暗で傷口が分からない トンネルを抜けて確認 血はあまり出ていない かすり傷ですんだようだ 水で傷口を洗う

インドは山に登るのも一苦労

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10/9(金) 【スブラマニャ ~ サクレシュプル】 朝7時前 ドアをガンガン叩かれて起こされた 「お湯はいるか?」 そう、おじさんに聞かれた あくびをしながら 「要らない」 と、私は答えるとドアを再び閉めた インドのシャワーは基本水 お湯が出る時間帯は朝と決まっているところが多い ここはシャワーもなく、バケツに水をためるタイプ 目をこすりながらパッキング 8時にトレッキング開始 スタッフにクマラパルバタへの道を尋ねて出発 登山口は小さな門 英語表記もなく、一度通り過ぎた 地元の人に聞いて発見 森の中はジメジメとしている 湿気で蒸し暑い すぐにTシャツに汗がにじむ 額からは汗が噴き出す 水や食材もあり、いつもより重いバックパックは肩に食い込む 1時間歩いて限界 長ズボンから半ズボンに着替えることにした と、ここで足に違和感を覚える ふと、足元を見てみると10匹ほどのヒルが両足に吸い付いていた ヒルに血を吸われるのは初めて 全く気づかなかった 糸くずくらいの細長いヒルがナメクジくらいの大きさまで膨らんでいる 吸われた場所はなかなか血が止まらない 長ズボンを履いていても、隙間から奴らは入ってくる 10分置きに足を確認しながら登る 登り始めて4時間 ようやく開けた場所に出た この辺りは雲が出たり消えたりするので、山の頂上が見えたり隠れたり 雲が出ると、涼しい風が吹いて気持ちいい ここまで来ると、ヒルもいない 遅い朝食をベンチに座って食べる 買っておいたパンにクリームチーズを塗って、トマトを挟む 簡単なサンドウィッチ それからバナナとビスケット 目の前にきれいな山を眺めながらの食事は最高だ ここで入場料の支払い ネットでは75ルピーと書かれてあった が、それはどうやらローカル価格 外国人は1000ルピー(約1840円) インドの国立公園は入場料が設定されている そのせいで登るのを止めた山もある 頂上まで登る気でいたが、諦めた 山を登るのに2千円弱払うのは勿体ない ただの山なのだから 引き返して、次の目的地に行くことに急遽、予定を変更 元々は頂上まで行って、山を越え

インドに来て10日、まだインドにいる実感がない

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10/8(木) 【マイソール ~ スブラマニャ】 昨日1日は完全オフ 体調を整えるために部屋でゆっくり過ごした たまっている日記もつけずにゴロゴロ Wi-fiがあると、ネットばかり使ってダメ人間になってしまう 居心地のいいマイソールを抜け出し、向かったのはスブラマニャ 近くのクマラパルバタという山でトレッキングする予定だ マイソールのバススタンドから直通のバスが出ているようだ 11時に来ると言われ1時間半待った バスが来ると言われたプラットホームの前で待機 来たバス1つ1つに声をかけたが、行先が違う 11時半になっても来ない 結局、別のバスでスリエという町で乗り換えることにした こういうところはインドらしい スブラマニャには遅くとも日没前には到着するだろう そう高をくくっていた しかし、インドの交通事情を見くびっていたようだ 特に道路 この辺り一帯は西ガーツ山脈 道路は山あり谷あり カーブも多々 ガタガタの道もある お尻が浮きながら、左右に揺られながら走る バスのドライバーはよく飛ばす このドライバーに限ったことではなく、みんなそう 何かにとりつかれたようにバスを一心に走らせる 乗用車がチンタラ走っていると、後ろから煽ってすぐに抜かす 乗り換えも無事に済み、スブラマニャに到着したのは7時前 日も暮れて暗くなっていた バスを降りて目についたのがライトアップされたお寺 近くの部屋にチェックイン 夜のスブラマニャを散歩 小さな町 それでも、夜の寺院周辺は観光客や参拝者で賑わっていた 野菜やバナナを明日のトレッキングに備えて買った その後は、部屋でゆっくり 長時間の移動の疲れを癒す 2015年10月 インド マイソール 宮殿

インド人よ、頼むからしょーもない嘘はつかないでくれ

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10/6(火) 【マイソール】 ようやくマイソールの観光 ここ数日、風邪をひいていたので朝はぐっすり寝て昼からお出かけ コーンノールやオオティなど、涼しいところに移動したときに油断してしまった 症状は軽かったので平気 一人旅で辛いときと聞かれたら、一番は風邪のときだろう 誰とも話さず、部屋のベッドに寝たきり しかも、今は一人部屋なのでなおさら 外界とのコミュニケーションはシャットアウト 昨日と同じレストランでカレーを食べる インドに来てからは、カレーかビリヤーニばかりだ スリランカにいた時は、これにコットゥロッティ、チャーハンのローテーションだった ビリヤーニとカレーは好きので大丈夫だが、そろそろ他のものも食べたい 食後は運動 チャムンディという丘に登った 行く途中で、インド人に声をかけられた 「チャムンディのお寺は火曜日だからお休みだよ」 「今からスパイスマーケットに行くから、案内するよ」 「チャムンディまでは15kmあるから、リキシャを使いな」 「ゲートが閉まっているから、上ることはできないよ」 チャムンディ丘に登る気満々だったので、 「とりあえず、行ってみる」 と言って別れた そのおじさんに言われた方向に歩いて進んだ すると、今度はリキシャドライバーから声をかけられた 「チャムンディのお寺は火曜日だからお休みだよ」 「スパイスマーケットなら案内するよ」 さっきのおじさんと同じだ チャムンディのお寺というよりも、私は丘に登って景色を楽しむのが目的なので遠慮した すると、さっきのおじさんが教えてくれた道は全くの見当違いだった すぐに引き返して正しい道に戻った 登山口にはそんなこんなで30分で着いた ここからはひたすら階段を上っていく ゲートなんてなく、みんな階段を降りてくるし、上っている さっきのおじさんらによると、1000段近くあるらしい ここも30分かけてゆっくり歩いていく 地元の観光客も数組、上っている 丘の頂上にはお寺があった バッチリ開門していた おじさんたちは嘘をついていたのが証明された 火曜日は休みと2人とも言うから、本当にそうかと思ったがそうではなかった だいたい、火曜日だから休み

南インドは午後から雨が降ることが多い

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10/5(月) 【マイソール】 朝から宿を移動 今のホテルはwi-fiを使うためだけに宿泊した 値段が高いので別のところに移動 と、その前に教会を見学 ホテルの目の前が教会 それもかなりの大きさ インド人は教会でも、中に入るとき靴を脱ぐ人がいる 15分で見学終了 センターから離れたユースホステルに歩いて向かった 1時間以上かかって到着 到着したはいいものを何と今日から3日間は満室らしい… 今日だけで105人の宿泊客がこのあと来る予定と言っていた それならば仕方ない 重いバックパックを担ぎ直して、1時間かけてまたセンターへ戻ってきた 昨日と同じネットカフェへ行き、宿探し 安い所を見つけて無事チェックイン Wi-fiは期待していなかったが、まさかのフリーwi-fi付のホテルだった しかも、インドにしては十分な速さ これで250ルピー(約460円)は安い だが、チェックインした時は生憎停電中 この辺り一帯が停電 ホテルのスタッフに聞いて行ってみた食堂も停電中だった 薄暗い中で食事した 改めて照明の必要性を感じた 暗い中で食べる食事はあまり美味しく感じない 何を食べているのかイマイチはっきりしないのだ 食後はまさかの豪雨 ホテルまでの100mを小走りで帰った 一度降りだした雨はなかなか止まない 電気も回復しない やることもなく、ホテルの部屋で待機 せっかく午後から観光しようと思っていたのに、予定が狂ってしまった 夕方、電気が回復し、雨も止んだ Wi-fiを使ってマイソールの観光について調査 明日の予定を立てて、この日は静かに休んだ 明日こそはマイソールの観光だ 2015年10月 インド マイソール ライトアップされた宮殿

インド、ヨガの聖地へ

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10/4(日) 【オオティ ~ マイソール】 朝起きて、パッキング インドのユースホステルも悪くはない 今日はマイソールへと向かう 少し大きな街 コインバトールとおなじくらいだろう ここでネットで情報収集するつもり 134ルピー(約250円) 6時間 途中で昼ごはん休憩もあった マイソールまでの道のりはちょっとしたサファリ ゾウ、シカ、サルなど 野生動物との出会いにあふれていた 国立公園の近くを通っている道路 許可証なしでは入れない国立公園 様々な野生生物の宝庫となっている 天気は雨が降ったり止んだり マイソールに着いたのは16時 その頃には土砂降り ネットもなかったので、宿も調べていない ネットカフェを探すことにした 雨の中、そして今日は日曜日 閉まっているお店が多く、探すのは大変だった 何とかインド人の手助けにより発見 1時間25ルピー(約50円) 近くでwi-fi付のホテルを探した ここから2kmのところにある 雨の中、歩いて向かう ネットカフェを教えてくれたインド人が、ホテルまで案内してくれた 安くはなかったが、教会前にあるホテルに決めた ホテルで一息つくと、今度はビリヤーニのお店まで連れていってくれた インド人の彼は食べず、私だけチキンビリヤーニを食べた やはり作っているのはムスリムの人たち 安くて美味しい ビリヤーニ専門店のようだ 食後は彼に連れられ、彼のアロマ店へ ヨガをする人たちが購入していくようだ ここマイソールはヨガの聖地でもあるらしい 知らなくて、たまたま来た場所 日本人もヨガ留学で来ているようだ 日本語の説明が書かれた紙もあった 私は雨の中の宿探し、加えてネットカフェ探しで疲れていたので帰る旨を伝えた 何も押し売りされることなく、すんなりホテルに帰ってこれた 夜はwi-fiを使って情報収集 マイソールの後は、またトレッキングをする予定だ キャンプできるか 入場料がかかるか どうやって行くかなどを調べてメモした 山に行けば、wi-fiも使えないだろう 次の次の街のホテルなどもチェックしておいた まあ、インターネットがなくても何とかなるだろう

インド人とハチャメチャ旅、そしてチョコレート食べ放題の町

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10/3(土) 【オオティ】 地元ではウウティという発音に近い ここもコーンノール同様トレッキング、またはサファリで有名な町 昨日はインドの祝日だったらしく、今日は3連休の中日 今日は昨日のインド人とホステルで一緒だった別のインド人の3人で アバランチという場所に向かう そこでサファリが楽しめるようだ ドミトリーで一番遅くに起きた私 やはり寝袋が快適だった バススタンドで軽く朝食を食べ、エムロードという町へ ここからアバランチまで6km この町で朝食をしっかり食べる彼ら 私は普段朝食は食べないので、ミルクティーと軽いスナック 歩いてアバランチに向かう それにしても、インド人はよく写真を撮る セルフィーも多い こういう写真好き、カメラ好きが映画というインドの一大産業を生んだのかもしれない 写真をいっぱい撮るほど絶景が広がるのも確か マドゥライやコインバトールのような都市とは違う あるのは広大な茶畑 山の斜面にきれいな緑 水たまりでぬかるむ道 茶摘みをしているおじさん、おばさん どこかノスタルジックな日本の昔の風景を思い出させる インド人の彼らはよく喋る 南インドと北インド出身ということで、英語で会話している 2人ともアクセントが強い… ギリギリで理解できる そんな彼らとアバランチを目指す 途中でお茶工場があったので、寄り道で見学 工場の方々は英語が話せない チェンナイ出身のインド人が通訳 見学者は珍しいらしく、めちゃくちゃ喜んでくれていたようだ それもそのはず 働いているおじいさん、おばあさんらは毎日朝早く来て、同じことの繰り返し 同じ顔合わせに同じ作業 刺激など一切ない そんな時に私たちが訪ねてきたのだから、とても刺激になったのだろう 昨日のお茶工場とはまた違ったやり方 こちらがより伝統的な作り方のようだ ベルトコンベアで体系的に加工され運ばれていく茶葉 行きつく先は麻袋 20kgの麻袋が工場の隅には山ほど積まれている 中には商品としては使えないゴミの山もある 30分くらい見学して、改めてアバランチを目指す と、ここですれ違った乗用車の女性から有益な情報を入手 アバランチは予約が

40円で紅茶工場見学

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10/2(金) 【コーンノール ~ オオティ】 4度寝した ベッドがというよりは、寝袋が快適だった 9時半に出発 向かう先にはラムズロック、ドルフィンノーズがある そこからの景色、そこまでの景色がいいらしい バックパックを担いで坂を上る コーンノールは山間にある町 マドゥライと比べ涼しいが、それでも汗ばむような登坂 トレッキングコースは思った通り、舗装された道路 味気ない 何よりバイクや車、バスが多く通るのが難点 道路の端をちょこちょこ歩かなくてはいけない しばらくすると、茶畑に出た スリランカ同様、きれいな景色 茶畑が広がるということは、この辺りは美味しい湧水があるんだろう 調子の悪いスマホで景色を写真に収めていく 雲、霧がいい具合にかかって秘境感を演出する 天気はいいが、やはり山の中 ガスっている場所が多々ある 近くにはお茶屋もあり、いろんな種類のお茶を楽しめるようだ 全くインドに来た実感が湧かない 観光客はインド人ばかりだが 外国人は私だけ ラムズロックに到着 景色は真っ白 雲で何も見えない 入場料が10ルピー(約20円) 計30分待ってみるも変化なし それでも、記念撮影の客引きたちは必死に顧客を捕まえていた こんな景色で撮る写真だと、逆に記憶に残るのかもしれない ラムズロックを後にして向かったのはドルフィンノーズ 岩がイルカの鼻先に見えることが由来している と、この途中でインド人の旅人と遭遇 彼はラムズロックに向かっているところだった 私が 何も見えなかったことを告げると、一緒にドルフィンノーズへ向かうことになった チェンナイ出身 日曜日まで休暇を使って来ている 彼によると、今日からインドは3連休らしい 1人旅 インド人にしては珍しい 今までインド人のバックパッカーは1人しか会っていない ポーランドのクラクフで同じホステルだった 大抵は家族旅行や友人と出掛けるのがメジャーなようだ 私より3歳下 インドに来て、初めてローカルの友人ができた 7km離れたドルフィンノーズを目指す 途中でお茶休憩 緑茶を頼んだが、まさかのハチミツ入り 甘いお茶が海外では当たり前だが、

トレッキングの町でさえ人が多いインド

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10/1(木) 【コインバトール ~ コーンノール】 トレッキングのベースとなる町へ移動 コーンノール ここと、この先のオオティという町 コーンノールで1、2泊してオオティに行ってみようと考えている オオティの山は許可証が必要なので登ることは出来ないが、 町に行くだけでも価値はありそうだ ホテルの受付で行き方を教えてもらう まずは、ホテルから新しいバススタンドへ そこからオオティ行に乗り替え 9ルピー(約20円)と40ルピー(約70円) 道を確認したが、ヒッチハイクできそうな場所は皆無だった… 途中休憩も含め3時間バスに揺られる コーンノール到着 コーンノール近くになると、サルが出没 コーンノールに着くまでに100匹近く見かけた また、スリランカのような茶畑を見ることもできた 日が当たって緑がきれいに映る コーンノールは思っていた町と全然違った 人が多い インドはどこに行っても人が多いようだ トレッキングの町と言ったら、ジョージアのメスティアみたいな所を 想像していたからガックリ これじゃ、ヒッチハイクも出来ない あとは町がカラフル エクアドルのグアヤキルを思い出した ネットでチェックしておいたゲストハウスへ ネットの情報とは異なり、wi-fi無し ドミトリーは空いていなかった シングルでも安い 部屋は2畳ほどのスペースにベッドが1台 刑務所の独房を連想させる シャワーはなく、バケツ 2泊する予定だったが、1泊にして、明日はキャンプまたはオオティに向かおう 昼ごはんにでかける 大衆食堂は人気でどこも満席 少し高めのレストランでチキンビリヤーニを食べる 量は満足 その後は散歩 シムズ公園という場所に行ってみるも、30ルピーの入園料 お金を払ってまで見たいほど興味はなかったので、町に引き返す 市場を歩いてみたり、紅茶で一息ついたりのんびり過ごす 気温も山なので涼しくてちょうどいい 長袖、ニット帽のインド人も少なくはない 山で食べる食料を市場で調達したあとは、ホテルの独房で寛ぐ 明日は晴れるといいな というよりも、トレッキングのコースが心配 途中まで今日確認したが、トレッキングのよ

インドでヒッチハイクは難しそうだ

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9/30(水) 【マドゥライ ~ コインバトール】 昨日は1日、情報収集 私はガイドブックは持ち歩いていない ネットもあまり使わない というか、古いスマホしか持っていないので時間がかかり面倒くさい いつもはホステルのスタッフや観光案内所、他のバックパッカーに尋ねて情報を得ている マドゥライに来たのも、航空券が安かったから ただそれだけの理由 インドで知っている情報はタージマハールとガンジス川 そのくらい ゴアという地域には行く予定 イラン人からお勧めされた場所 後は、ムンバイ それ以外は何も決めていなかった 本当にノープランの旅なのだ 時間のかかるスマホで、行きたい場所を探す といっても、地図を見て山を探せばいい スリランカでは、海を堪能したので、そろそろ山が恋しくなってきた インドでトレッキング いくつか候補が絞れた 今日はそこへ向けて出発 移動手段はヒッチハイク といいたいところだが、道を見た限りできそうにない 止まるスペースがなく、トゥクトゥクやバイク、車、人の通りが多い 道によっては昨日の雨で水没したまま 中国に次いで、人口第2位だもんな しかも、十数年後には中国を上回るとも言われている どこに言っても人だらけ 仕方なく列車を使う コインバトール行 120ルピー(約220円) チケットを買うとすぐに出発した 自分の席を探す どうやら私のはオープンチケットらしい だから、2等車 今いるのは寝台車 次の駅で移動するように言われた それまでは、寝台車にいた中学生軍団と雑談 全員15歳 男ばかりの修学旅行のようだ 行先はゴア 4日間滞在すると言っていた インドの俳優や音楽、映像を見せてくれたり、 私のスリランカの写真を見せたりして時間を過ごした Facebookを聞かれたり、写真を撮ったりもした 学校外ということもあり、みんな浮足だっているようだ 無事、次の駅で移動できた 座席も普通に座れた 2世帯の家族と一緒のシート 祖父、祖母、母親、父親、娘2人 娘1人はまだ赤ちゃん よく泣いていた お姉ちゃんの方も父親に叱られ泣いていた 外の景色はひたすらのどか

片道航空券でインド入国

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9/28(月) 【ネゴンボ ~ マドゥライ】 深夜2時半に出発 チェコ人、中国人夫婦と一緒にタクシーをシェア 何事もなく、空港に到着 タクシー代は彼らが払ってくれた ありがとう チェックインまで時間があるので、仮眠 4時半にチェックイン 受付の男性は日本語 終始日本語でやり取りを続ける 英語でのやり取りばかりに慣れていたので、逆にぎこちなく感じた Mihin Lanka シャルジャからコロンボに来たときも利用した会社 そのときは、バックパックの胸ベルトを破壊されたが今回は大丈夫だろうか 7:30発 コロンボ→マドゥライ行 10520ルピー(約8950円) 所要時間は1時間の予定 コロンボからキャンディに行くよりも速い チェックイン後も仮眠 イミグレーションも簡単にパス 空港内では無料のwi-fiが飛んでいた 到着ロビーにはなかったのに 7時に搭乗開始 かなりスムーズ しかし、不安要素が1つある それは、片道航空券しか持っていないこと 旅行代理店ではツーリストビザはリターンチケットが必要だと言って購入できなかった Mihin Lankaの受付でも、リターンチケットの提示を言われたが、発券してくれた 機内の隣席は空いていた 快適に寝れることだろう 離陸してすぐにビスケットと紙パックのジュースが運ばれてきた 1時間だけだが、機内サービスがある それを食べて、また仮眠 次に目を覚ましたのは、着陸するところだった キュルルとタイヤが地面にこすれる音で起きた 本当にあっという間 1時間でインドに到着 さて、問題のイミグレーション 体調が優れなかったので、トイレに行ってから並ぶと最後尾だった しかし、それがかえって良かったのかもしれない そのことはこのあと分かる 自分の番が来て、パスポートと記入したアライバルカードを渡す 予想通りリターンチケットを求められた 陸路で国境を抜ける意思を伝える しかし、担当の男性の答えは変わらない 他の空港職員らが集まってきて、彼らからもリターンチケットを購入するよう促された オンラインで購入するように指示された しかし、私のすぐにバッテリーが切れるスマホ

スリランカ最後の日は満月のきれいな夜だった

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9/27(日) 【ネゴンボ】 今日は徹夜 本当なら夕方には空港へ行って、空港で寝るつもりだった ホステルのメンバーが楽しくて、夜までいた ホステルのおばちゃんも優しくて、チェックアウトしたあともタダで長居させてくれた 昨夜は満月 更に日曜日ということもあり、お酒の販売は一切禁止 スリランカで満月の日は働かない、学校に行かないと聞いたことがある どの酒屋も終日シャッターを下ろしたまま レバノン人は今日はお酒を飲む気満々でいたのに、その事を知ってガックリしていた しかし、イギリス人たちはお酒がなくても元気 ビーチに行って泳いだりしていた 彼らも今日出発する予定だったが、延泊することに決めたようだ 一方のイギリス人とは共通の友人がいた ハンガリーのブダペストで会ったイギリス人 私と同じようにホステルで働いていた彼 その彼と目の前にいるイギリス人が13年来の幼馴染みらしい こんな偶然は凄い! 世界は思ったよりも狭いようだ そんな楽しいメンバーだったので、離れるタイミングを失った 深夜過ぎには停電 満月の光を楽しめと言わんばかりの演出だ 月明かりだけを頼りに、ビーチに向かった ホステルのすぐ後ろがビーチ テラスから耳をすませば、波の音が聞こえる 薄暗いビーチには野犬の影がたくさん 丸くなって眠っているのもいれば、襲いかかってくるものもいる ちょうど満月のところだけ雲がかかっておらず、海をまばゆく照らしている ホステルに帰ってからは仮眠 しかし、それも蚊に邪魔された さあ、数時間後には、待ちに待ったインドへいるはずだ 2015年9月 スリランカ ネゴンボ 水平線に沈む夕陽

ネゴンボでアラック

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9/26(土) 【ネゴンボ】 今日1日は飛行機のチケット取りに奔走 天気は雨だが、やるしかない スリランカビザの期限も迫っている ホステルのwi-fiが使えないので、直接旅行代理店へ行ってみた しかし、値段がネットよりもかなり高い 仕方なく、今度はネットカフェ探し 自分でチケットを買うことにした バス停近くでようやく見つけたネットカフェ チケットを購入 ホステルに帰るとイギリス人らが飲んでいたので、それに加わる イギリス人男性2人、スイスとスリランカのハーフの女性、レバノン人など イギリス人の一方は今朝早くスリランカに着いたばかりで、テンションが高い 朝5時の便 空港からそのまま来て、寝ていないので、変なテンション アラックにコーラを混ぜながら飲む 途中でスイス人と抜けて夕日を見に行った 今日は1日中雨だったが、夕方には止んだ その日の夕日は特別綺麗だった 雲とのグラデーションが織り成す景色 オレンジだった雲が、5分後には黄金に輝き、反対側の空を眺めるとピンクに染まっている 青、オレンジ、黄色、ピンクといろんな景色を眺めることができた ホステルに帰ると、4人で食事 イギリス人2人とスイス人 イギリス人の一方はかなり酔っている レストランで爆睡 1日の疲れがここでドッときたようだ 酔っているということもあり、かなり高いメニューを頼んでいた 何とか3人協力して彼を起こす しかも、その10分後には豹変 イギリス政治の話を語り出した イギリス人らしいインテリジェントぶり 同じ人物だとは思えない 賢いのか、ただの酔っぱらいなのか… まぁ、彼のおかげで楽しめたことは間違いない ホステルに帰ってからも更に、アラックのボトルを2本 彼は酔って、いくら使ったか覚えていないだろう 宴は夜遅くまで続いた ようやく就寝したのは、2時過ぎ 久しぶりにこんなに飲んだし、起きて喋っていた 1人旅だとこういうのはないから、少しだけ寂しさが紛れた 2015年9月 スリランカ ネゴンボ 夕陽

スリランカ人家族の一員となった日

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9/25(金) 【コロンボ ~ ネゴンボ】 昨日は弟と一緒にサイクリング お寺の近くの公園 1周2.8km 1台の自転車をシェア 1周目は私が乗り、2周目は弟が乗った 2周目は久しぶりにランニング 食後だということもあり、満足なランニングはできなかった 吐きそうだ ラストスパートで本気で走ったら、気分が悪くなる 一休みして帰宅 雨が降りだしたので、家で昼寝 そして、今日 3泊お世話になったおじさんの家を出発 いや、ヌワラエリヤの1泊を合わせると4泊 子供たちは早起きして学校 家に姿はなかった スリランカは7時半始業 昨日、お別れはしておいた 子供たちからは昨夜、お土産をたくさん頂いた メッセージ付のポストカード、ノート、ゾウのキーホルダー、ペン、仏陀の彫刻 本当にできた子供たち 夕食の時、水が少ないと何も言わずコップに注いでくれた 料理や水を出すときは、必ず両手 左手を添えて提供してくれる とても礼儀正しい子供たち お土産も用意していたなんて知らなかった 私は彼らに少しでも何か貢献することはできたのだろうか? 特に弟は私の前では見せなかったが、昨夜と今朝泣いていたらしい 私が去って悲しむ人がいることはありがたい だからこそ絶対、無事に日本まで辿り着こうと胸に刻んだ 昨夜から降っている雨は止まない 10時に惜しみながらの出発 ネゴンボ バスを乗り継ぎ、ネゴンボへ おじさんの家から駅まで50ルピー(約40円) 来るときは30ルピーだったのに… 値段を確認すれば良かった 駅からネゴンボまで53ルピー(約50円) スリランカのバスは2種類 国営と私営 赤い国営のバスは機械でレシートを発行するのでボられることはない ネゴンボの宿探しで手こずった Wi-fiを探して歩き回る やっと見つけたが、スマホが古いのでwi-fiを使うとバッテリーが5分ともたない 住所だけ書き留め、歩いて探す 2時間かけて、やっとチェックイン Wi-fiは繋がらないようだ たまにあることだから、慣れている Apple製品は繋がるが、Androidは繋がらないことがある また、ゲストが多いと回線が混んで繋が

コロンボのお寺にはダンシングエレファントがいた

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9/23(水) 【コロンボ】 朝起きると、すでに全員起きていた 淹れてもらったミルクティーで一息つく 朝ごはんはサンドウィッチ 奥さんは料理上手 おじさんが言っていた通りだ 今日は家族と一緒にコロンボ観光 子供たちも学校を休む 恐らく私のために、休んでくれたのだと思う 赤いトゥクトゥクに5人乗り込む おじさんがドライバー まず向かったのは海岸 港の近く 家族連れやカップル、友人グループなどが日陰のベンチに座ってお喋りを楽しんでいる 露店も少し出ている 空には凧が7つ飛んでいる 今日のコロンボは天気がいい 買ってもらったアイスキャンディを日陰で頂く 次に向かったのは、寺院 名前は忘れたがコロンボで一番有名なお寺と言っていた 裸足になり寺院内を見学 お花を添えて参拝したり、木に水をかけて祈ったりした 中にはゾウもいた 左前足に繋がれた鎖 右前足を上げたり、左前足を上げている姿はダンスしているようだった 初めてゾウの鼻に触った 思ったよりもガサガサしており、毛が生えていた お寺内は博物館のようにもなっており、様々な像や彫刻が展示されている 昔の時計やメガネ、海外のお金、ゾウの剥製など オレンジの衣をまとったお坊さんもいた 奥さんは、僧からもらった白い糸を念仏を唱えながら、私の右手首にくくりつけてくれた お寺からは独立広場に移動 子供たちとそこを散歩した お昼に自宅へ帰ってきた 夕方までゆっくりする 夕方になると子供たちと3人で近くのお寺に参拝へ 裸足になり、ろうそくに火を灯し、水を木にかけて、お祈りする ろうそくや水をかける時は必ず両手 左手を右脇に添えたりしながら行う 帰宅すると、ご飯 夕食は私のリクエスト ビリヤーニ 美味しく頂いた この家庭に来てからは、食べてばっかりの生活 間食も出るから、空腹を感じたことがない 姉は勉強 弟は私と一緒にテレビ鑑賞 『忍者ハットリ君』はどうやら毎日やっているようだ ネットはないが、彼らとの生活は充実している 2015年9月 スリランカ コロンボの寺院にいる象

これがスリランカ最後のヒッチハイクだ

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9/22(火) 【ヒッカドゥワ ~ コロンボ】 コロンボ目指して出発 ヒッチハイク 恐らくスリランカでは最後のヒッチハイク 短い距離を乗せてくれる車が多かった それでも着実にコロンボへと近づいている スリランカの多くは仏教徒 ドライバーはハンドルに両手を置き、12時から6時の方向に半周させて合掌する これがスリランカドライバーのお祈りスタイル 出発前や寺院の前を通る時に行う 最後の1台 ようやく、コロンボ近くの町まで行くトラックをゲット そのお兄さんがめちゃくちゃ優しかった 英語はあまりできなかったが、色々教えてくれた 回り道になるのに、わざわざビーチ側の道路を通ってくれた 1回だけでなく、何回も 「ここはムスリムの町だよ」 「あれはヒンドゥー教のお寺」 「ここは海ガメを守っている場所」 「このビーチはカップルがよく来る」 「ここは泳ぐのが危険なビーチ」 「この辺りのホテルはラブホテル」 などなど ヒッチハイクというより、ツアーに参加しているようだった 更に、奥さんが彼のために作った昼ごはんのカレーまで分けてくれた イラン並みの優しさで溢れている 最後はバスを使って、コロンボに到着 30ルピー(約30円) 駅前でトゥクトゥクのドライバーに電話を借りる かけた相手はヌワラエリヤでお世話になったおじさん しかし、繋がらない 1時間駅前の日陰で待ちぼうけ その間も、何人ものトゥクトゥクドライバーが気にかけて話しかけてくれた 夕方4時過ぎ やっと連絡がついた おじさんの家の近くまで、またバス移動 30ルピー(約30円) トゥクトゥクドライバーがバスでの行き方を書いてくれた シンハラ語で書かれたメモを頼りにバスに乗り込んだ 1時間で目的地に到着 車内は帰宅客で満員 1つ降り遅れたので、歩いて手前のバス停に戻る 交番の警官に電話をかけてもらった 10分経つと目の前に1台のトゥクトゥクが止まった おじさんだ 息子も一緒 赤いトゥクトゥクでおじさんの家に向かった 昼はバイク事故を起こしたらしく、右手の人指し指に包帯を巻いていた だから、連絡が取れなかったようだ 家には妻と、初めて会う高

ダラダラ、ゴロゴロな1日

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9/21(月) 【ヒッカドゥワ】 今日コロンボに向けて出発する予定だった 昨日あまりにも何もしていないので1日延長 昨日やったこと 朝起きて、ベッドでゴロゴロ 昼ごはんを食べに食堂へ行き、スーパーでスナックを購入 部屋に戻って、スナックを食べながらゴロゴロ 夜も食堂へ行ったあと、スーパーでスナック ベッドでゴロゴロ 洗濯もせず、シャワーも浴びず、溜まっていた日記すらつけなかった 1ヶ月いや、2週間に1回はこういう日があってもいい 天気も不安定だったことも一因 今日は朝からシャワーを浴びて、洗濯 スリランカ人にさえ、汚いと言われた白いTシャツを洗う ちょっとショックだった 雨や汗でベトベトなのは分かっていたが、直接言われるとへこむ しかも、日本語が話せるスリランカ人 洗濯したら、荷物の整理 私は父親に似てきれい好き 散らかっていると、落ち着かない 整理が済むと昼食 いつもの食堂 そのあとはビーチへ ビーチで日記をつける 1人静かな空間だと、かえって集中できない 周りに誰かいたり、波のように自然の音が聞こえていた方が集中できるものなのだ ブランケットに寝そべり、溜まっていた日記の消化 ここでもスリランカ人に話しかけられた 「マッサージはどうか?」 あとは、お決まりの 「日本で働くのを手伝ってくれ」 結局、その人はマンゴージュースを1本奢ってくれた 正直今日も昨日同様1人になりたい気分だったので、少し面倒くさく思っていた 今日は雨も降らなかった ビーチにも一定の観光客 アルガムベイにはドイツやイスラエルの観光客ばかりだった ここヒッカドゥワは主にロシア人 看板もキリル文字で書かれているものが多い 本当にスリランカはいろんな一面を持っている サーファーはあまりここにはいないようだ もうひとつ離れたビーチにいるのかもしれない 日記が一段落すると、海に浸かった ぬるくて木の枝が浮いてあまりきれいではなかった 一泳ぎすると、ビーチに戻った ヤシの木の影で日記の続きをつける 夕方までビーチで黄昏ていた 明日こそ移動だ 2015年9月 スリランカ ウナワトゥナのビーチ

スリランカでよくされる質問

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9/19(土) 【ウナワトゥナ ~ ヒッカドゥワ】 朝からシャワーを浴びようと、シャワー室のドアを閉める と同時にかさかさと地を這うように動く黒い物体 ゴキブリ 一気にシャワーを浴びる気を削がれた これで1泊2500ルピー(約2130円)は高過ぎる 今日も雨 小降りになるのを待つ 昼前にやっと出発 まずはゴールという町を目指す その途中に日本のお寺があるようだ 見つけられたら行ってみようかな 日本のお坊さんもいるようだ スタッフは、ここから2kmと言っていた ゴールまではどうやらたったの3km ヒッチハイクせず、歩いて向かうことにした 歩き続けるにつれ、雨も弱まっていった 結局、お寺を見つけることはできず、ゴールに到着 ここにはオランダがかつて築いた城壁が海岸沿いに残っている 入口には時計塔が建っている 城壁には無料で上れる 城壁内には旧市街が残る その多くは建て替えられ、新しいレストランやホテルになっている だから、城壁内よりも城壁自体がメインの観光地 城壁をぐるっと一周 城壁の上は今では草が生え、芝生となっておりベンチも設置されている 荒々しい波が押し寄せる海岸 多くの観光客 ここは海外だけでなく、スリランカ人の観光客も多い 1時間で観光終わり ゴールを離れ、ヒッチハイク開始 向かう場所はヒッカドゥワ 今朝いたウナワトゥナと同じくビーチリゾート 更にアルガムベイと同様、サーフスポット 2台乗り継ぎ、到着 スリランカ人はヒッチハイクに関してあまりよく思っていないようだ 昨日もバスかトゥクトゥクを使うように言われた 言われたというより、注意された タダで旅することを、よく思っていない 何なら泥棒みたいなもんだとまで言われた そのおじさんにはヒッチハイクという旅のスタイルがあることを説いた ツアーガイドらしく、今度欧米人に聞いてみる そう言ってお別れした ヒッカドゥワに到着すると、少し天気が変わった 雲は多いが、晴れ間もある 今夜の宿探し 予算内の1000ルピー(約850円)がすぐに見つかった やはり昨日の2500ルピーは高過ぎる 道端に立っていたおじさんに食堂を聞いた