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14日間の隔離

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10/24(日)  日本に帰国してから新しい職場になり、しばらく忙しくて、更新できていませんでした 今後も忙しそうなので、マイペースで更新していこうと思います いつもどんな風に書いていたのか忘れていました 以前の記事を見て思い出しながら、書きました 14日間隔離したのは、半年前の話です  インドから帰国してから14日間の隔離をしていました 隔離期間中はテレワークで、すぐに次の勤務先の仕事を開始 以前、11月に帰国した時よりも隔離に関して厳格になっていました スマホにアプリをインストールし、毎日ボタンを押して位置情報の報告 メールで毎朝、体調チェックの回答 アプリの方は、毎日不定期に通知が来ますので外出できません 1日4回来るときもあれば、午前と夕方に1回ずつの日もあったりしました ビデオ通話のアプリもインストールしましたが、かかってきませんでした メールとアプリの回答が遅れたりした方々にビデオ通話がかかってくるのだと思います 2020年の11月に帰国した時は、位置情報などの報告はありませんでした そのため、自由に外出してご飯を食べに行ったりしていました  帰ってきて困ったことは食事 Uber Eatsや出前館で簡単に注文できると思っていました しかし、実際は日本の電話番号がないとアカウント登録ができなかったりしました Uber Eatsに関しては、決済がうまくいかずに注文できませんでした 仕方ありませんが、1日目は機内食で食べきれなかったものでご飯を済ませました おかきとパウンドケーキのみ 2日目からは、アマゾンで注文した袋麺、レトルトカレー、缶詰など お米と炊飯器、卵や納豆、豆腐などもアマゾンで購入 2日目からは何とか食糧も確保  SIMカードを契約するにも住所が必要 そのため、面倒ですが実家の住所で登録 実家に届いたSIMカードを送ってもらいました 14日間の隔離期間中なのに、郵便局員からは転入届を出してくださいと注意されました 14日間の隔離期間中で外出できませんと答えても、同じことを繰り返されました 肩身が狭く感じたのを覚えています 役所にも転入届を出さないといけませんが、当時はできていませんでした 【今日のことば】 Más vale tarde que nunca. 2021年8月 日本 地元の風景

ここ6日間で4人目のゲイ

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8/30(日) 【シャルジャ】 朝の7時過ぎ 久しぶりにベンチで座ったせいか、寝心地が悪かった 朝食も付いていた パンとチーズ、バター、ジャム、チャイ 昨日の夕食に比べると質素になった ないよりはマシだ 船は10時に港に到着 およそ9時間の船旅 船を出るまでに2時間待ち UAEの入国に2時間待ち 昨日の待ち時間と合わせると、9時間の船旅とほぼ同じ さすがイラン 1週間に2便あるので、仕事に慣れてほしいものだ 効率性に欠ける こんなに時間がかかったのはメキシコ、アメリカの国境以来かもしれない 歩いてセンターまで向かう 湿気がない分、バンダラバスほど暑くはない それでも、10分も歩けば汗だく 街中でwi-fiを探すも見つからない ショッピングモールも数ヶ所回ったがパスワードが掛けられている 一番大きなモールでスタバのwi-fiを使った 1時間の制限付 その間に色々と済ませる それが終わると、航空券を買いに旅行代理店へ ネックでもできたが、プリントアウトするのが面倒なのでお店にやってきた 明日のチケットを取ってもらう 行先はスリランカ ただ何となくで決めた目的地 物価の高いUAEに長居する余裕は、旅終盤でない 興味はあったし、行ってみたいとも思ってはいた国 それがスリランカ 航空券の値段も手が出せる範囲内 ネットでした方が安いと言ったら、まけてくれた 結局はネットと同じ値段になったけど、プリント代や入力する手間を考えれば、 こちらが楽 432.6ディルハム(約13990円) 5時間のフライト 明日の夜11時発 今夜は空港泊だな UAEに来てカードが使えるようになった が、3%の手数料がかかったり、最低10~20ディルハム以上の使用額が決められている ネットもフリーwi-fiがなかなか見つからない ネットの規制はなくなった 歩いて空港まで向かう 空港近くまで来ると、タクシーのお兄さんに絡まれた 空港までタダで乗せてくれるようだ 乗る前に気づくべきだった というより、そんな予感はしていた ゲイだと 6日間で4人のゲイに絡まれる私 パキスタン人の彼 出稼ぎでUAEには来

ヨーロッパからイランまでヒッチハイクで来たけど、限界、、、

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8/29(土) 【バンダラバス ~ シャルジャ】 今日はイランを出国する 船でペルシャ湾を渡り、アラブ首長国連邦へ行く ヒッチハイクでのユーラシア横断はできなかった パキスタンビザがネックとなった イランでの取得は難しい トルコだと簡単にできるらしいが… モヘンジョダロ行きたかったな 前まではインドまで行く船もあったが、今は一般客は乗せていない そのため、ここからは飛行機でアジアを目指すしかない ホテルをチェックアウトすると、イラン人の彼女がまた迎えに来てくれた 船の時間まで、また彼女の家にお邪魔する ランチもご馳走になり、昼寝もさせてくれた そのあとは、またチャイと果物 夕方の6時に港へ向かった 船の出港予定は9時 3時間前には来いと言われたが、やはり6時からチェックインが開始するはずもない なぜならここはイランだから 開始したのは7時半過ぎ 乗船前にパスポートチェック イラン出国 船のチケットは270000トマム(約10720円)と高い 外国人も2組いた バックパッカーとバイクツーリスト 船に乗るまでも時間がかかった 乗船前のパスポートチェック そこでイランを出国 前にいたベルギー人は1日滞在を過ぎていたらしいが、何も言われていなかった ここで、送ってくれた彼女とはお別れ また、イランもしくは日本で会おう 女性や家族が優先搭乗 夜の9時ちょうどに出港するなんてことはない なぜならここはイランだから 乗船し始めたのが9時 乗船すると、すぐにご飯が運ばれてきた ローストチキンとライス 食べ終わっても船は1mmも動いていない これがイランタイム 11時になっても、動いていなかったのまでは覚えている あとは、眠りに落ちた 船は日本で使っていたもののようだ ドアには「おす」「ひく」と書かれている 船内のコンセントも日本式だった 充電できるかどうかは試していないので分からない 明日は何時に着くことやら… 2015年8月 イラン シーラーズ モスクのゴージャスな照明

ここはゲイの街か、それとも私がゲイにモテるのか?

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8/28(金) 【バンダラバス】 海岸沿いの東屋で寝ていた 暑くて寝苦しい夜 ようやく眠りにつくことができた と思っていた矢先に起こされた 起こされた相手はゲイ ゲイに起こされるのは、トルコのビーチ以来2度目 こいつはたちが悪かった 寝起きということもあり、面倒くさそうに対応した それが良くなかったのか、やたら突っかかってくる 英語で追い返そうとするが、伝わらない 一方的に話を進める 少し強く言うと、道端の石を拾ってそれで殴ろうとする 起き抜けにこれは、面倒くさい 荷物をまとめ立ち去ろうとすると、かけていたメガネを奪われた 「返せ」 というが、 「キスを一回させろ」 と、検討違いな答えが帰ってくる こいつはバカか? それとも、こんなところに寝ていた私がバカなのか? ちょうど、通行人が来たので半ば強制的に頬にキスをされてメガネを返してもらった 通行人についてそいつから離れた 薄暗い夜明け前の5時くらいの出来事だった その一件で枕をなくした ノルウェーの列車から持ってきたもの 浮き輪のように空気を入れて膨らませるタイプ さすがに、今夜はホテルに泊まる 暑くて寝苦しい上に、またゲイにでも起こされたら、たまったもんじゃない お馴染みになったホテルに行って、チェックインする 夕方までネットで情報収集 イラン人に教えてもらったVPN PsiphonでFacebookも前より使いやすくなった 夕方は昨日も会った女子大生と再会 彼女の弟も一緒 弟が運転する車で彼らの家に向かった 彼らの自宅でお茶した 高校で英語の先生だったという父親 今は退職中 イランは何歳で退職という決まりはないらしく、30年働いたら退職らしい チャイやお茶うけの菓子、フルーツを頂いた 夜は彼女と弟の3人でレストランへ またケバブ イランではどこのレストランもメインはケバブらしい 今夜も腹一杯ご馳走してもらい、ホテルに送ってもらった 一人だけの空間で静かに眠る 2015年8月 イラン シーラーズのモスク

ゲイ、女子大生、ビジネスマン

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8/27(水) 【バンダラバス】 ゲイのおじさんの一室 朝からマッサージを頼まれた やはり、尻を要求してくるおじさん 絶対マッサージしても、気持ちよくない場所 呆れたので、早くここから出ることに 電話番号を手渡されたが、すぐに捨てた 歩いてセンターに戻る 昨日と同じホテルに戻り、ロビーに居座る 宿泊客でもないが、何も言われなかった メールをチェックする メッセージが1件来ていた バンダラバスに住む女子大生 彼女に会うために、ここまで来たと言っても過言ではない Facebookが繋がらず、なかなか連絡が取れなかった 彼女が教えてくれたPsiphonというアプリをダウンロードして解決 イラン人が勧めるのだから、間違いない そんな彼女とホテルで待ち合わせ 時間になると、現れた アメリカン英語をバッチリ使いこなす カフェに行き、喋った 彼女はそこまでお喋りではなかったので、時おり沈黙の時間が流れた といっても、気まずい沈黙ではない 私の旅の話をしたり、先週彼女が行ったドバイ旅行の話を聞いたり カフェのあとは、ペルシャ湾へ 海岸沿いを歩く 堤防に腰掛けた 海の近くは風があって少しは暑さも和らぐ 暑いことに変わりはないが… 冬は過ごしやすいバンダラバス 新年になると、近くの島に行ってキャンプして過ごす 今いる海岸沿いも大勢の人で埋め尽くされる しばらくすると、彼女の母親が車で迎えに来てくれた 私と彼女はそのまま、レストランへ ケバブを頂いた ドゥースと呼ばれるヨーグルトと水と塩を混ぜた飲み物も トルコでいうアイラン 食後はまた、彼女の母親が来てホテルまで送ってくれた 夜になると、ビジネスで来ている宿泊客と仲良くなった エスファハンで働く彼と、その経営者 それから経営者の孫 バンダラバスは商人の街 商港があり、大きなコンテナ船がアラブやインドからやってくる そのせいか、シャツを着たビジネスマンが多い 今、泊まっているホテルだってそう 観光客よりは、ビジネス目的の宿泊客が多い 彼は、そのうちのコンテナを2つ受け取りにきた 荷物は鶏肉や牛肉の食用肉らしい そんな彼とペルシャ湾沿いを歩きながら

2日連続でゲイに襲われたんだけど…

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8/26(火) 【バンダラバス】 ある部屋の一室 薄暗い室内に人影が2つ横になっている 何で私はこんなところにいるんだっけ… ホテルをチェックアウトしたあとも、ロビーに居座り続けた ホテルに連泊するほどのお金はない その夜、キャンプをするためにホテルをあとにした 海岸沿いを歩いて、寝られそうな場所を探す すると、1人の男性に声をかけられた 帽子を被り、口ひげを伸ばしたおじさん 英語は喋れないが、話した印象は悪くない そんなこんなで彼の家に泊まることになった 歩いて彼の家に向かう けっこう歩いた すでにホテルから歩いてきていたので、暑さで体力は削られている それにウォーキング中だった男性 歩くスピードが速い 彼のスピードに合わせてついていく 家に到着した頃には、履いていたデニムが重くなっていた Tシャツも色が変わっている すぐにシャワーを浴びさせてもらった と、ここまでは良かった シャワールームは鍵が壊れているらしく、ロックできない 突然おじさんが乱入 おじさんも一緒にシャワーを浴び出した 「はぁっ、この人もか… 」 2日連続でのゲイとの絡み 何なら、私の体を触ってくる 背中を洗えというし、あそこを触らせようとする やんわりと、断る いや、まだ分からない 裸の付き合いは日本でもあることだ シャワーを浴びたあとは、軽い食事 私は夕食を済ませたあとだったのでお腹は空いていなかった 突然電気を消して、スマホの明かりだけにした そして、シーッと合図するおじさん 誰かに追われているのか? 暗くなった室内でスイカなどのフルーツを頂く 果物ならお腹に入る 水分たっぷりのスイカなんてありがたい お酒まで持ってきたおじさん トルコのラキ 久しぶりにお酒を飲んだ気がする そして、スマホでポルノ写真、AVの鑑賞会が始まった 完璧ゲイだな パターンが昨日と一緒 スキンシップも同じ 頭を撫で、頬をつまんでくる 私は疲れていたので、なあなあと返事をしておいた 夜の1時近く たくさん歩いたし、お腹も満たした 眠くないはずがない お酒を飲みながら、薄暗い室内でポルノ鑑賞 これがイラン人独

これぞ、イランの夏。そして、ゲイに襲われる

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8/25(火) 【バンダラバス】 夜は静かだった青果市場 聞こえるのは、クーラーのブーンという音 うってかわって、朝は活気に満ちていた オフィスを出ると、熱気でかけていた眼鏡は一瞬で曇った 冬の寒い日、外から家に帰ってきたとき、起こることだが、 まさか夏に室内から外に出るときも起きるなんて思ってもいなかった バンダラバスの暑さを舐めていた 街全体がサウナ 日陰でさえ涼しくない バスターミナルに行って休憩 微弱なwi-fiを拾い、現在地を確認 センターまでまだまだ距離があるようだ 暑さで思考も低下 こんなに暑いのにペルシャ湾で、泳ぐ人はまばら これも宗教の関係か 数kmあるビーチ 泳いでいるのを見たのは、1回だけ ホテル探しに疲れて芝生で寝転がっていた 1人の男性が近づいてきた 色黒でポッチャリ バンダラバスはイラン人だけでなく、インドやパキスタン、 アラブからの労働者が多いとは聞いていた 彼もそのうちの1人だろう バイクに乗ってどこかに行かないかと、誘っている ペルシャ語でそう言っているようだ 面倒だし、喉が渇いていたので 「水」 とだけ、答えた 水もくれるらしい それなら、ということでバイクにまたがる ホンダのバイク ペルシャ湾沿いをしばらく走る 右折して団地に入っていくと、バイクは止まった ここが彼の家のようだ 中には誰もいない クーラーを付け、冷たい水をすぐに持ってきてくれた おもむろにテレビをつけ、ビデオを流す彼 流れたのはAV そして、クーラーの前でパンツ一丁になる (うん、おかしい) ここで気づいた パンツをめくって、 「バッチこーい!」 と、言わんばかりにお尻を突き出す奴 あいにく私は、そんな趣味は持ち合わせていない 座っていた私を床に押し倒してきたが、押し返す そんなに強くは襲ってこない 気分を害した私 すぐに家を出ようとする すると、奴が呼び止める 私「!?」 奴「水!」 残っていたペットボトルの水を手渡してくれた なんだ優しい奴なのか? ただの変態なのか? 歩いて、さっきまでいた通りに戻る 途中でバイク乗りにまた声をか

イラン最後の街

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8/24(月) 【シーラーズ ~ バンダラバス】 ようやくシーラーズを出発する 行先はバンダラバス ペルシャ湾の港町 家を出発し、空港近くまで2時間歩く いつもなら歩きながらヒッチハイクするが、いい場所がなかった それにヒッチハイクが通じない国 場所選びは慎重にならざるを得ない すぐに止まってくれた 空港の先の町まで ヒッチハイク再開 …するも、また警察に連れていかれた お金がないというと、いつも連れていかれる これも慣れたことだ 警察署の前で少し休憩 ヒッチハイク再開 サルベスタンという町に帰るお兄さん サルベスタンに着くと、やはり始まった 友人達に、私の紹介 「彼は日本人の旅人なんだって」 と、車を止め3ヶ所くらいで言っていた 彼の家にも招待された ここで昼食も頂いた 家族の誰一人として、まともな英語は喋れないが、とてももてなしてくれている 言葉ではなく、気持ちが伝われば十分なのだ そんなお兄さんは、バンダラバス行のトラックまで手配してくれた ヒッチハイクせずに、バンダラバス行きが決定! オレンジ色の長距離トラック 荷物は野菜 トラックのおじさんももちろん英語は話せない 助手席の背もたれがない 毛布や寝袋など生活感のある空間 やかんやガス缶も常備 砂漠のような場所に一本だけある道 そこをひたすら直進していく 時おり休憩所やガソリンスタンドに立ち寄る 同じトラック仲間と談笑 水や氷も補給 こう暑いと、冷たい水もすぐにぬるくなる そして白湯くらいに温かくなってしまう 窓からはぬるい風しか入ってこない 何をせずとも、全身からジワリと汗がにじみ出る 車内ではおじさんがガス缶を使ってタバコを吸ったり、 チャイ用のお湯を沸かしたりするもんだから余計に暑い 乗せてもらっているのだから文句は言えない さらにチャイやクッキー、リンゴ、ジュースも頂いているのだ 言うとしたら、 「ありがとう」 この一言に尽きる 長距離トラックらしく、ゆっくりと着実に進む 高い席から景色を眺めるのが好きだ バンダラバスに近づくにつれ、暑くなっていくのが分かる イラン人の誰もが言っていた 「

イラン人に旅のコツを伝授

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8/23(日) 【シーラーズ】 昨日はホストの弟 私がバスで知り合った男性と再会 それも束の間、彼はまたインドビザのためバンダラバスに旅立った 今日もホストの彼が外に連れていってくれた 改修工事中のモスクや公園 公園では彼の友人とベンチでお喋り そのあとは、大学教授だった男性の家を訪ねた ホストの大学時代の教授らしい 御年93歳のおじいちゃん 耳も遠くなっている 歴史について博識 家の書棚にはペルシャ語のハードカバーの本 床にまで山積みになっている 中庭のガーデンでは、夜になると学生らが来て、おじいちゃんの話に耳を傾けるらしい みんなから愛されているおじいちゃん 帰宅すると、ホストの彼に旅のコツを教えた 特にカウチサーフィンに興味をもった 無料で家に泊まれることに驚いたようだ 仕切りに、 「いいサイト」 「面白いシステムだ」 と、べた褒めしていた 私がシャワーを借りている間、すぐにアカウントを作っていた(笑) これで彼の家に外国人らが来て、彼の英語力もUPするだろう またヒッチハイクも教えた イラン人のほとんどはヒッチハイクが通じない 知っていたのは、タブリーズで泊めてもらったホストだけ ヒッチハイク、アウトストップと言っても彼らの頭には?が浮かぶ イラン人はあまり旅をしないのか イランに来る旅人が少ないのか いずれにしても、イランでヒッチハイクはメジャーではない ヨーロッパならbla bla carも使えるよと言っておいた あとは、ホステル探しのサイト Booking.comやHostel world、Hostel bookers、Agodaなど イランがこの先、旅行しやすい国になり、 いつか彼の役にたつ日が来ることを願うばかりだ 夜になるとナイトピクニック イラン人のピクニック熱は計り知れない アザディ公園で彼のいとこ親子と待ち合わせ スイカを1玉、パンとチーズ、チャイ こうして、彼らはこどもが成人したあとでも家族との コミュニケーションを大切にしている イラン人の夜は長い こんな時間に食事するから、肥満体になるのではないか 結婚した女性のほとんどはポッチャリ これがイランの常

イラン人の結婚祝いに参加

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8/21(金) 【シーラーズ】 テヘランからのバス そこで一緒になった男性 彼の兄の家 ここで生活している 最近は眠りが浅く、寝ても寝ても眠い 暑さで寝ている時も体力を消耗しているようだ ホストの彼は、典型的なイラン人 好奇心旺盛でよく質問してくる そんな彼に近くのモスクや博物館に連れていってもらった モスクというか偉い人が祀られている場所 入口ではボディーチェック 中は豪華絢爛 金銀で装飾されている 凄みのあるシャンデリア 祀られているケージに信者たちはキスしていく 次に行ったモスクはさらに広かった 金曜日ということもあって、人の数も多い 大勢の人が来るため、最近拡張工事をしたそうだ そのため、とても綺麗なホールができていた 中はクーラーが効いており、人々の憩いの場としても活躍している コーランを読んだり、お祈りをする人のみならず、喋りに来ている人も少なくない 輪になって語らっている 前の場所もそうだったが、入口では靴を脱ぎキーパーに預ける そのくらいちゃんとした場所 ホールだけでなく、中庭も広い が、暑いのでやはり大多数は室内で過ごしている そこでボランティアしているおじさん 彼から記念にお祈りで使う石をもらった イラン人は総じて優しい ホストの彼がイランの歴史を説明してくれる 英語はあまり得意ではないが、私のためによく喋る 午後は博物館や聖職者の学校などを訪れた 学校の中庭ではイタリア人観光客らと一緒になる 彼はもちろん積極的に話しかける しばらく会話して別れた 博物館は入場料が15000トマム(約600円) 安くはない 全部のガーデンやモスクを回ると、お金は大変なことになりそうだ イラン人は無料 こういう場所が多い サアディの墓にも行ってみた ここも入場料がかかるので外から眺めるだけ ここはイランの100000リアル札に描かれている場所 中はガーデンと墓がポツンとあるだけらしい それなら、外から眺めるだけで十分だ 夜には披露宴 ホストのいとこの結婚祝い ラフな格好でもいいらしい Tシャツとデニムで参加するも、やはり周りはスーツを来た人たちばかり ここでも男女

イラン人のピクニックに対する情熱は凄まじい

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8/20(木) 【シーラーズ】 一昨日は市内観光 昨日はペルセポリス観光 テヘランでは見つけられなかった観光案内所が、シーラーズにはある おネエのようなスタッフは英語も話せる さらには、日本語のガイドブックと市内地図もくれた シーラーズは暑い そう聞いていたが、テヘランと変わらない というより、この時期イランで涼しい場所なんてあるのだろうか 市内の見所はモスクと庭園 しかし、どこも有料 柵の外から眺めるしか出来なかった 無料なのはバザールくらい あとは、水飲み場 暑いから水は必須 1時間置きには汲んでいた ペルセポリスは正直行かなくても良かったかもれない 行きはバスとタクシー 帰りはタクシーだけを使った 7000トマム(約280円)、8000トマム(約320円)と安くはない それから入場料で15000トマム(約600円) イランに来てこんなに使ったのは初めてだ 帰りのタクシーではトルコ人の旅人と会った カウチサーフィンのホストの家に泊まっている 夜まで、カフェに行って彼と少し話していた あとは、2人とも遅すぎるwi-fiを使ってメールなどのチェック 彼はタイ、スリランカと旅して、 これからコーカサスを通ってトルコのイスタンブールに帰るらしい 夜に彼とは別れた ここ2日間はキャンプ コーラン門の向かい側の丘の上 東屋が建っている そこでキャンプ 丘の下では大勢のイラン人がピクニック 彼らのピクニック熱は半端ない 歩道や中央分離帯でもシートを広げる 調理用に中型のガス缶を持参 丘の上はそれほど人も通らず静か しかし、昨日は警察に注意されたので別の場所へ移動して寝た そして今日は1日中、暇していた ある人に電話をかける 彼とは面識はない テヘランからのバスで知り合った男性の兄弟 彼は忙しいようで、夜からしか会えないらしい イラニアンタイムには、慣れた 夕方5時に会う予定は、夜9時までずれ込んだ 朝はバスターミナルへ行き、スマホの充電 夕方はシャハド広場前で行われているデモを見学 日本人は珍しいのか、子供たちに囲まれた 夜は広場前にある法廷の警備員らと仲良くなって喋っていた

テヘランで迷子

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8/17(月) 【テヘラン ~ シーラーズ】 昨日はイランに来て初めてホステルに泊まった テヘランに住む大学教授のおじさん家族は、旅行でコムに向かった 22年コムに住んでいた 一昨日はテヘランで迷子になった 6時間 灼熱のテヘランをさまよう 電話のメモを家に忘れたのだ メトロの駅までタクシーを使ったので、帰り道も分からない 連絡先も分からない 思いついたのが、バス会社のおじさん 彼の携帯に電話番号が記録されているかもしれない 微かな希望を持ってバスターミナルへ 昨日と同じおじさんを見つけることができた 番号も残っていた さらには、車で送ってくれた 彼には2回も助けられた こうして無事に家に帰ってこれた そして今日 ビザのことで、日本大使館に赴いた が、まさかの移転 しかも、昨日から 旧日本大使館に貼られていた新しい住所の場所へと向かう 聞きたかったのは、パキスタンとインドビザ このまま、ヒッチハイクで東進するなら最低でもパキスタンビザが必要 しかし、結果はダメ サポートレターは発行していないとのこと 危ないからの一点張り インドも15日以上のビザ取得は航空券が必要とのこと パキスタンとインドはビザの発行には、サポートレターが必要 テヘランでのビザ発行は諦めた ホステルに帰り、荷物を取って出発 テヘランに用はない 一気にシーラーズを目指す その前に、お世話になったお喋りおじさんに電話 エマムホメイニ広場の前に座っていたおじさんに電話をかけてもらった すると、電話を貸してくれたおじさんがバスターミナルまで送ってくれるというサービス 水とメロン付 バスターミナルでは、なぜか交番に連れていかれ、お金が無いことに なんだかんだで、バス代もおじさんが支払ってくれた 優しすぎるイラン人 バスの中で食べるお菓子も買ってきてくれた あっという間に3時半、テヘランを出発 隣の席のおじいさんも優しかった クッキーをくれた バスではクッキーと水が支給された イランのバスのクオリティは高いようだ バスは冷房もついており、カーテンで日光は遮られている 景色は楽しめないが、快適な移動 長距離バスは久

もう誰とも喋りたくない、そう思った

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8/14(金) 【シャフリアル ~ テヘラン】 昨日は1日おじさんに付き合わされた 観光らしいことは、一切していない 観光とは関係のない銀行や英語学校に連れていかれた 昨日も1日喋りたおすおじさんに私は両手を挙げるしかなかった ありとあらゆる人に私の説明 英語が話せる友人に電話をかけては、私にバトンタッチしてくる イランの家族は多い 「あいつは、いとこで名前は…」 「こいつは、いとこの息子。名前は…」 など、30人くらい言われて何がなんだか分からない 英語学校では、クラスに参加 中学から高校生くらいの生徒に質問攻めされた そこの学校の先生が一番質問してきた 質問が終わると、写真撮影 有名人でもないから、こんなに写真を撮られるのには慣れていない… 夜は英語学校の先生たちとディスカッション このときには喋る気力は、ほとんど残っていなかった 夜、帰宅するとバタンキュー そして今日は、朝からモスクへ 金曜日のモスクなんて人がいっぱい もうこれ以上、新しい人に会うのはこりごり やはりここでも、祈りそっちのけで喋りまくるおじさん やっと出発したと、思ったらおじさんではなくタクシーでテヘランへ メトロを使って中心へ イランで英語を話せる人を探すのは難しい 少しだけ話せる人が、中心地まで連れていってくれた 電車の中では、 「日本では電車の中でsexするのは本当?」 という、質問をくらった 痴漢のことを言っているのか、AV のことなのか とりあえず、 「普通じゃない」 とだけ、答えておいた テヘランの中心は特に何もなかった ツーリストインフォメーションも見当たらない ツーリストインフォメーションを求め、バスターミナルに行ってみる しかし、ここにもない イランは旅人にとって旅しづらい国かもしれない 仕方なく、テヘランにいるおじさんの友人に電話 電話はイランの人なら頼めば、貸してくれる人が多い バス会社のおじさんが貸してくれ、ペルシャ語のメモまで書いてくれた これを見せてバスに乗り込む バスの運転手は英語が少し話せ、韓国語も少しだけ話せるようだ バス代はタダにしてくれた BRTと呼ばれる長いバス ドライ

イラン人ってお喋りだよね…

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8/12(水) 【タレシュ ~ シャフリアル】 朝の9時に起きた イラン人若夫婦の家 いとこと友人も一緒 起きてすぐに朝食 最近、夏バテで食欲は減っている 最低限の量だけ、腹に詰め込む どうせ、あとから 「もっと食べろ、食べろ」 と言われるに違いない 朝から出発 と、いきたいところだが、やはりイラン ここでもランチのあとに出発するように言われる ランチは昨日連れてきてくれた、トラックのおじさんの家 さっき朝食を食べたばかりな気がするんだけど… テヘランに連れていってくれるおじさんが、 「Let’s go」 と言って、3時間後に出発 おじさんの「let’s go」は当てにならない ちなみにおじさんは、英語が話せる 英語の先生をしていたようだ あと、めちゃくちゃお喋り あまりお喋りじゃない私 一緒にいると、少し苦痛 そのおじさんの親族も一緒にテヘランへ 彼らを拾いに家に行くと、スイカを頂いた さっきランチを食べたばかり 何なら、スイカもさっき食べた なかなかテヘランに向けて出発できない おじさんは小遣い稼ぎにタクシーもしている 道で客を拾っては、降ろしていく 車の中でもお喋り さらに何回も電話する そうしては、私に向かって 「お前と話したい奴がいるから、話せ」 と電話を渡してくる このやり取りが10回くらいあった 「Hello. How are you?」 から始まり、何度も知らない、顔も見たことない人に自己紹介をした 疲れて、途中で寝てしまった マンジルダムという、エロい名前の場所も通った 景色は良かった 湖ほどの大きなダム なぜか写真撮影は禁止 おじさんに理由を聞こうと思ったが、喋り疲れて尋ねることもしなかった 同乗している親族の親子は英語が話せない 彼らもお喋りじゃない ドライバーのおじさんだけが、1人で喋りたおしている おじさんが住んでいる町に到着 テヘランかと思ったが、そうではなかった シャフリアルというテヘランから車で30分離れた場所 町に到着すると、お喋りは勢いを増す 車を止めては、私の紹介 道で出会った知らない人、お店の店員、おじさんの親族

イランでヒッチハイクは厳しい…

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8/11(火) 【アスタラ ~ タレシュ】 6時にヒッチハイク開始 朝ではない 夕方の6時だ まさかこんな時間から、移動しないといけないとは… 昨日はイラン人の家に泊まった 朝の9時に起床 家にはお兄さんと、いとこの2人 お兄さんは仕事で出かけた 12時に戻ってきて、やっと出発できると思った が、やはりそううまくはいかないのがイラン イラン人はなかなか解放してくれない 彼らにランチに誘われた イランのランチは3時4時 ランチの後には、もちろんチャイ トルコのチャイと違うのは、普通のカップを使うこと 熱々のチャイ好きなトルコ人と違って、イラン人は少し冷めたのが好き 冷めやすいように、トルコのような小さなグラスではない 彼らと話していたり、ビデオを撮られたりした イランではヒッチハイクが知られていない クロアチアからここまでヒッチハイクしてきたことを伝えると、驚いていた その流れでビデオを撮られた ようやく解放され、6時にヒッチハイク場所まで送ってくれた 今日も止まる車はお金を要求してくるものばかり 1台だけ、同乗者がおごってくれた タレシュという町 繁華街で降りたので、歩いて郊外へ その頃にはもう8時 暗くなり始めた やはりスタートが遅すぎた 止まる車も、ヒッチハイクを理解してくれない 1台の青いトラックが止まる 今日はそのおじさんの家に泊まることになった 英語が話せる姪に電話をかけ、通訳してもらった 息子が迎えに来てくれ、あとで姪と合流 息子は英語があまり話せなかった 何回も 「I’m sorry. I’m not speak English.」 と言ってきた すぐ謝るところは、日本人と似ているかもしれない 姪は19歳ですでに結婚している 昨年結婚 イランの地方では早い年齢で結婚するらしい 姪以外は英語が話せない その家で夕食やスイカを頂いた ヒッチハイクで止まったおじさんは、お祈りをしている 私は姪夫婦が住む2階へ 夫はテレビをつけ、バルサとセビーリャの試合観戦 サッカーには興味がない私 その間にシャワーを浴びさせてもらった チャイとお菓子が出てきた 時間は1

おもてなされ過ぎて進めない国イラン

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8/10(月) 【サラブ ~ アスタラ】 イランの生活スタイルは変わっている 夜が長い… 夜の10時過ぎにご飯が始まる そのため、寝るのは深夜1時近く 暑い国ならではなのだろう 日本語を話すイラン人のおじさん 彼の家で朝食を頂き、出発 おじさんがバス代を払ってくれ、アルダビルという街へ 優しくしてくれるのは、日本人にお世話になったから 私が何かしたわけではない 日本人の先輩らがやってきたことが、私につながっている 久々のバス 車内はカーテンで閉じられている 日差しが強いため 外の景色は楽しめない… ほとんどは睡眠時間 アルダビルからは、ヒッチハイク しかし、お金を要求してくる車ばかり ヒッチハイクがイランでは知られていない 個人の車でも、小遣い稼ぎにタクシーのように働いている それを知らずに、アスタラという街まで乗ってしまった… 降りたら、もちろんお金を要求された イランでは「no money」という英語も通じない 「プルナダラー」と言わなければならない 相手は「プルナダリー」と聞いてくる プルがマネーという意味のようだ 10分くらいしたらおじさんは他のお客を乗せてどこかへ行ってしまった ちなみにおじさんは、めちゃくちゃな飛ばし屋 アルダビルからアスタラまでは山道 次から次に前の車を抜かしていく 対向車が来ていてもお構い無し ギリギリでかわしていく いつ事故を起こしてもおかしくない あと、イラン人のピクニック好きは異常 こんな山道で狭いのに、道路脇に車を止めてピクニック 驚いたのは、普通の幹線道路の歩道や中央分離帯でもシートを敷いて楽しんでいること 到着した街はアゼルバイジャンとの国境近く アスタラ カスピ海沿いの街 次のヒッチハイク場所まで歩いていると、1台の車が止まる アスタラに住む夫婦と友人親子 彼らの家に招待された 「ゲスト」という言葉に弱い私 その前に友人親子がリノベーションする家に向かった その途中ではケバブを頂いた 妻や友人親子らは、アゼルバイジャン人 国境近くの街だからだろう イラン人の夫だけ英語が話せる 友人親子の家の測量が終わるとアスタラへ 妻が

イランのフルーツ最高!

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8/9(日) 【タブリーズ ~ サラブ】 カウチサーフィンのホストには4泊お世話になった 毎朝、パン屋にパンを一緒に買いに行った お礼にはならないかもしれないが、折鶴を渡した 車でヒッチハイク場所まで送ってくれた ウクライナ人の彼とも、ここでお別れ 彼は西側を見てから、テヘランへと向かう ビザも延長する予定 私は時間がないので飛ばす タブリーズでゆっくりし過ぎたようだ 私もビザの延長を考えなければいけないかもしれない これからの行先はテヘラン カスピ海経由 ホストによると、普通の高速道路では退屈らしい カスピ海側だと、景色を楽しめるようだ ヒッチハイクは指を立てて、30秒 後ろを振り向くと、気づいたら止まっていた 男性2人組 若い方は大学生 少しだけ英語が喋れた 途中の町まで 彼らの友人から、メロンを頂いた イランのメロンは特徴的 形が楕円形 そして、食感が特に変わっている メロンとキュウリの中間 歯ごたえがあって、私は普通のメロンよりも好きだ スイカも変わり種がある 中身が黄色のスイカ タブリーズ近辺の街中ではよく見かける 降ろしてくれた場所は、中心地に近かったので歩いて郊外へ 指を立てて30秒 青いトラックが止まる 乗っていたのはおじさんと3歳くらいの男の子 前の大学生が書いてくれたペルシア語の紙を見せる 理解してくれたようだ 途中の町まで送ってくれた 旅人は珍しいのか、すぐに囲まれた 早めに切り上げて、ヒッチハイク再開 またしても30秒 イランはとてつもないヒッチハイク成功率 サラブという町に行く男性2人組 1人は英語ができた その男性がおもむろに電話をかけ、私に渡してきた 話すと、聞こえてきたのは日本語 10年日本で働いていた男性 彼からランチに招待された そのまま、彼らの車に乗ってサラブに到着 40くらいの小太りの男性 黒髪に白髪が目立ち、表情は穏やか トルコでも、そうだったが日本にお世話になったと言ってくれる人が多い 農薬や野菜の種を扱う会社 その小さなオフィス そこで友人らと一緒に働いているおじさん 彼らと一緒にランチ ケバブをご馳

今まで会った中で最強の旅人

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8/8(土) 【タブリーズ】 ここ数日は、カウチサーフィンのホストの家でゆっくりしていた 到着した翌日はセンターに行き迷った センターまでのバスは無料 正確には払わないといけないが、旅行者は大丈夫らしい そういう暗黙の了解があるようだ インフォメーションもバザールも見つけることができなかった 英語を話せる人を探すのも大変 ウクライナ人がカウチサーフィンの友人に電話 その人と会って話をしたり、街を案内してもらった 金曜日はイランの休日 そのため、木曜日は土曜日みたいな位置付け しかし、公共機関は金曜日と土曜日が休み 金曜日の午後はホストと一緒に公園に行って散歩 イランはピクニックやBBQが盛んな国のようだ 公園の芝生のほとんどはピクニック客で埋まっている イランに来る前には、全く持っていなかったイメージだ そして、バレーボールをやっている若者が多い 50m間隔でバレーボールをするグループを見かけた 夕方にはホストの奥さんも合流 4人で丘を登る 片道30分くらい 途中、雨がパラついていたが、頂上に着くと止んだ そのおかげで、頂上では虹を拝めることができた ホストの2人は運動不足か、少し疲れていた 土曜日はウクライナ人とは別行動 彼はカンドヴァンという近くの村へ ここはトルコのカッパドキアのように、岩の洞窟で有名らしい カッパドキアに2ヶ月前行ったので、今回私はパス 1人でバザールとツーリストインフォメーションへ ツーリストインフォメーションのおじさんは日本語が少し話せた おじさんが持っているノートには、旅行者の書き込みがたくさん 日本人の書き込みもある また、おじさんの写真が日本のガイドブックにも載っているのを自慢気に見せられた ガイドブックを持っていないので、観光の情報を聞きたかったが、 「ガイドブック見れば分かる」 と言われ、何も教えてくれなかった 私が、 「ヒッチハイクで旅する」 と言ってから、態度が変わったように思える 疲れていたからか、不親切だった そう思いたい 日本人旅行者の書き込みやガイドブックには、悪いことは書いていなかったので さて、ウクライナ人旅人のことでも書こう 彼の旅の

イラン人もお勧めしない夏のイラン

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8/5(水) 【カパン ~ タブリーズ】 昨日のお酒で、みんな遅めの起床 彼らが起きてくる前に、昨夜の食器を洗い、干してあった洗濯物をたたむ ホストに渡すために折鶴も折った 日記をつけていると、彼らが起きてきた 朝食は昨夜買ったメロン それとアイスコーヒー ウクライナ人はサンダルの修理へ出かけた ホストはあまり英語が得意ではないが、頑張って話してくれる 昼食まで用意してくれた さらにフルーツの差し入れ 穴の開いた私の靴下を見て、靴下もくれた どんだけ優しいんだ 1時過ぎ ようやく出発 目的地はイラン ウクライナ人はイランに行く前にお金をおろそうとする しかし、どのATMで試してもダメ 4000ドラム(約1040円)だけ持って、イランに行くことが決定した 今日のヒッチハイクはなかなか捕まらない それでも1時間はかからない 3台乗り継ぎ、イラン手前の町 4台目は長距離トラック イラン人のおじさん ものすごいとしかいいようのない山道を越えていく やはりアルメニアの自然は雄大だ 窓から入ってくる風が涼しくて気持ちいい 途中休憩では、水とビスケット、コーヒーもご馳走してくれた 国境手前でコインを使いきるため、アイスクリームを買った 少し溶けている 山を下っているとき、既に感じていたが暑い 先ほどまでの涼しい風は熱波に変わった それから、スモッグが凄い 山々が霞んでしか見えない 山もゴツゴツとした岩肌 仙人が住んでいそう そんな場所 アルメニアとの雰囲気がガラリと変わった 川の向こう側はイラン アルメニアのイミグレーションでは、ウクライナ人が イランのイミグレーションでは私が それぞれ別室行き ウクライナ人の場合は、ただロシア語が喋れるから話がしたかったらしい どうやらロシアの軍人がアルメニアで働いているようだ ネームバッジにはロシアの国旗が書かれてあった 外にはアルメニアだけでなく、ロシア国旗も掲揚されている 私の場合は、指紋の採取 いつもより時間はかかったが、イラン入国 ここからはイラン 女性は皆スカーフを頭に被らないといけない国 商店でアルメニアンドラムを換金 イラン