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5月, 2015の投稿を表示しています

14日間の隔離

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10/24(日)  日本に帰国してから新しい職場になり、しばらく忙しくて、更新できていませんでした 今後も忙しそうなので、マイペースで更新していこうと思います いつもどんな風に書いていたのか忘れていました 以前の記事を見て思い出しながら、書きました 14日間隔離したのは、半年前の話です  インドから帰国してから14日間の隔離をしていました 隔離期間中はテレワークで、すぐに次の勤務先の仕事を開始 以前、11月に帰国した時よりも隔離に関して厳格になっていました スマホにアプリをインストールし、毎日ボタンを押して位置情報の報告 メールで毎朝、体調チェックの回答 アプリの方は、毎日不定期に通知が来ますので外出できません 1日4回来るときもあれば、午前と夕方に1回ずつの日もあったりしました ビデオ通話のアプリもインストールしましたが、かかってきませんでした メールとアプリの回答が遅れたりした方々にビデオ通話がかかってくるのだと思います 2020年の11月に帰国した時は、位置情報などの報告はありませんでした そのため、自由に外出してご飯を食べに行ったりしていました  帰ってきて困ったことは食事 Uber Eatsや出前館で簡単に注文できると思っていました しかし、実際は日本の電話番号がないとアカウント登録ができなかったりしました Uber Eatsに関しては、決済がうまくいかずに注文できませんでした 仕方ありませんが、1日目は機内食で食べきれなかったものでご飯を済ませました おかきとパウンドケーキのみ 2日目からは、アマゾンで注文した袋麺、レトルトカレー、缶詰など お米と炊飯器、卵や納豆、豆腐などもアマゾンで購入 2日目からは何とか食糧も確保  SIMカードを契約するにも住所が必要 そのため、面倒ですが実家の住所で登録 実家に届いたSIMカードを送ってもらいました 14日間の隔離期間中なのに、郵便局員からは転入届を出してくださいと注意されました 14日間の隔離期間中で外出できませんと答えても、同じことを繰り返されました 肩身が狭く感じたのを覚えています 役所にも転入届を出さないといけませんが、当時はできていませんでした 【今日のことば】 Más vale tarde que nunca. 2021年8月 日本 地元の風景

イスタンブールまでのヒッチハイク

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5/27(水) 【ブルガス ~ イスタンブール】 ホステルの朝食はスライスしたパンにチーズを乗っけてトースト それにスライストマトとペッパーが乗っかったもの 奥さんが赤ちゃんをあやしながら、おいしい朝食を作ってくれた オーナーはヒッチハイクポイントを詳しく教えてくれた 1泊だけだったが、いいホステルに出会えた 言われた通り、バスに乗って教えてもらった停留所で降りる ラウンドアバウトを抜け、ヒッチハイク出来そうな場所に荷物を降ろす 私が色々、荷物をいじっている間に、ドイツ人が車を止めた 開始2分 隣町まで乗せてもらった ビーチをさっと見て、次の町へ 今回も5分で捕まった 隣町へ ここで2時間待ち 止まってくれたのはタクシー 隣町までただで乗せてくれた ギリシャ人ドライバー トマトの差し入れまで頂いた ソゾポという町 ここもビーチをさっと見て、ヒッチハイク ブルガスなど、このあたり一帯は黒海のビーチリゾート 町から幹線道路までヒッチハイク 歩きながらヒッチハイクして、ゲット 幹線道路に戻り、ヒッチハイク再開 1時間 50歳の男性の車 25歳と23歳の息子がいる 私たちと年齢がほぼ一緒 息子たちのように思って、止まってくれたのかもしれない トルコ近くの町にいる両親に会いに行くそうだ 生憎そこには、税関はなく別の離れた場所 分岐点でお別れ 100粒くらいサクランボも頂いた 有難い この道からトルコに向かう車は少ないようだ 30分待って、歩きながらヒッチハイクすることに 山以外何も無い道をひたすら歩いていく たまに通る車には親指を立てるも、止まってくれる車は少ない さっきもらったサクランボを食べながら歩く 2台だけ止まってくれた 途中にある村に寄る乗用車 国境付近の村に帰るスクールバス 道はアスファルトだが、でこぼこ 所々穴があいて、むきだし状態 車内は揺れる揺れる 車も穴を避けながら走るので、ぐねぐねと曲がる トルコまで9km トルコに行く車は少ない ひたすら歩き続けた この辺は雨が降ったらしく、地面が濡れていた 土砂崩れもあったようだ 道路の一部が陥没し、ガードレ

目の前に広がる黒い海

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5/26(火) 【ニコラエボ ~ ブルガス】 昨夜、寝袋にくるまってしばらくすると、雨が降りだした 深夜2時 雨足は強まり嵐となった 遠くでは雷が鳴っている 風でテントはバタバタと音をたてる しまいには、固定したペグが外れ、一部雨ざらしになった ドイツ人が起きて、固定し直してくれた 朝起きると、靴はびしょ濡れだった いつものように、ドイツ人はインスタントコーヒーを淹れて飲んでいる 9時にヒッチハイク開始 この時には、雨は止み太陽が昇っていた 30分 黒い車が止まり、20km先の町まで送ってくれた このまま、順調にいくかと思ったが、次に止まったのは1時間半後 長距離トラックが止まってくれた でかすぎて一瞬、私たちの為に止まってくれたのか分からなかった ガソリンスタンドで降ろしてもらい、そこで昼食 隣には、閉店しているバーガーキング スペイン語を話すお兄さんも近くの路上に立っていた ブルガリアで仕事を探すのは難しいようだ そう嘆いていた ラウンドアバウトを横切り、進行方向でヒッチハイク ここでも1時間ちょっと 暑いと、時間がいつもより長く感じる 頭がぼーっとしているうちに、車が止まった 気づいたら、目の前に車が止まっていた U ターンして止まってくれた なぜ止まってくれたのかは分からない 進行方向と反対に進んでいた車のはずなのに… 隣町のバス停で降ろしてもらい、バスを使うよう促された だが、私たちはもちろんヒッチハイク スーパーで食糧だけ買って歩きながらヒッチハイク ブルガスの手前の町まで乗せてくれる車をゲット 木材を運んでいた その後、2台乗り継ぎブルガスへ 本当は昨日着く予定 7時間かかって進んだ距離はわずか155km 高速道路を使えば、もっと速く到着できたかもしれない でも、バラの収穫は出来なかっただろう ブルガスはビーチリゾートの街 目の前には黒海 といっても、まだシーズンには早すぎる 地元民が数人ビーチに寝そべっているだけ ブルガスはBurgasと表記する ドイツ人の提案でburgerを食べることになった ブルガスでハンバーガー 食後はビーチをのんびり歩く いや、ドイ

ヨーグルトの国で薔薇狩り

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5/25(月) 【カルナレ ~ ニコラエボ】 とある部屋で目覚める ラキヤの飲み過ぎか、頭がぼんやりする 昨日は、バラ農家のお家にお世話になったんだっけ そして、今日はバラの収穫をお手伝いするんだ 隣のベッドでも、ドイツ人が眠そうに体を起こしている 朝のひんやりとする空気 20分後には出発 バラ農家の方は、既に5時から仕事を始めている わざわざ私たちを迎えに一度、自宅に戻って来てくれた 4WDに乗って昨日と同じでこぼこの畦道を進む 大きなビニール袋を手渡され、簡単なバラのもぎり方の説明 目を覚まして30分後には、バラをひたすら、もぎっていた 50mくらいの列を2つずつ任された 花弁が開いて、中の黄色い雄しべが見えたらOK もぎって良し! 根元のがくと一緒にもぎる 人生初めてのバラ狩り しかも、ブルガリア バラはピンク色のものが1種類 それを、ただ黙々と摘んでいく 時には、とげが刺さったりひっかいたりすることもある 5時から働いているベテランの人たちは長袖、手袋持参 それに対し、我々は半袖に素手 また、もぎるスピードも違うし、両手使い 瞬く間にピンク色の畑が緑色だけに変わっていく もぎっていくにつれ、りんぷんが手につきベタベタになってくる それを炎天下の中、行っていく それでも、1kgあたり35ユーロセントくらい バラ狩りの仕事は厳しい 結局、2時間半やって私は4kg ドイツ人は6kgのバラをもぎった ドイツ人の右腕はひっかき傷だらけになっていた 自宅に帰る途中は、またサクランボの木に寄って食べ放題 3歳半の息子も、この時は一緒 朝からエンジン全開 昨日よりも私たちに心を開いている 純粋な心は子どもの武器だ 家に帰ると昼食 働いた後の食事はとても美味しく感じる もちろん横にはラキヤ 食後にはお別れの時 ヒッチハイクで昨日会ったばかりの私たちにとてもよくしてくれた家族 息子は別れの時、ぐずっていた 昨日来たばかりで、言葉も違うのに、短時間で仲良くなれた もっと滞在して欲しかったようだ 小さな村 同世代の遊び相手はほとんどいない 私たちが相手をしてくれて、嬉しかったのだろう

この展開、嫌いじゃない

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5/24(日) 【ソフィア ~ カルナレ】 昨日はソフィアのウォーキングツアーに参加 そして、今日はソフィアを移動 ホステルを出るときは、ルーマニアに行く予定になった 何故かは分からないが… だが、カザンラクという場所を目指す あまりにも車が止まらなさすぎて… バラの谷と呼ばれる場所 5月から6月が、バラの収穫時期 6月初めにはバラ祭が町で開催される ホステルの朝食をしっかり食べる 朝食、夕食付で9ユーロ(約1220円) いいホステルだった 朝食の材料でサンドウィッチを昼ごはん用に作った トラムに乗って、ヒッチハイク場所に行く ソフィアのトラムやバスは一律1レフ(約70円) 10時半に開始 観戦道路には他のヒッチハイカーも先に1人立っていた 1時間待っているらしい ソフィアでのヒッチハイクも厳しそうだ 昼ごはん用に作ったサンドウィッチを食べながらヒッチハイク 2時間で1台止まってくれたが、行先が違った あまりにも止まらないし、反応も薄い そこで、私たちは昨日のダンスを思い出した ウォーキングツアーで教えてもらったブルガリアの伝統ダンス 足だけの簡単なステップ 2人でやると、ドライバーたちの反応は明らかに変わった 微笑みかける人や、クラクションを鳴らしてくれるようになった が、止まってくれる人はいない… ただ、体力が消耗しただけだった 3時間の長期戦 やっと1台の車が止まってくれた 20km先の町 家具デザイナーの男性 2週間後、7人でレンタカーを借り、チェコへビール旅に行くらしい バルカンロード、グリーンロードと呼ばれる緑がきれいな一本道を通る 30分で次の車が止まる バラ農家 カザンラクではないが、近くでバラを栽培している バラの話をしていると、明日バラの収穫を手伝わせてくれることになった 今夜は彼の自宅に泊めてもらう 何人か共同でバラ園を経営している 帰宅途中、バラ畑に寄ってくれた お尻の形が変わりそうなくらい、でこぼこ道を行く ピンクのバラ1種類を栽培 今年は、ここ20年で出来が一番悪いらしい 春が寒く、雨があまり降っていないようだ 母親、妻、3歳半の息子と暮らしている

ヨーグルトの国よりも…

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5/22(金) 【リラ ~ソフィア】 朝から雨 テントにポツポツという音が響く そのまま、寝袋にくるまったまま雨が止むのを待つ 朝食はコーヒー、パン、クッキー 9時を過ぎると、雨足が弱まった テントを片付けて荷造り 歩いて修道院に向かう 修道院は既にちらほら観光客がいた そこには、一昨日ログハウスまで乗せてくれ、 リラ湖でも再会したおじさん2人組にまた再会 リラ修道院はフラスコ画が凄かった モンテネグロのポグラデツにあるカテドラルもこんな感じだったのを思い出した リラ修道院をあとにし、歩きながらヒッチハイク 車の通りはやはり少ない それでも、1台の親子の車が止まってくれた 山の麓の町まで乗せてくれた ミニマーケットで朝食を買って、またヒッチハイク ソフィアまでのハイウェイまで乗せてくれるおじさんが止まってくれた 日本が好きで、イチローの本など日本に関する本を3冊読んだらしい 腰には「団長」という大きなタトゥーを彫っていた 去り際、「sayonara」と言ってくれた 警察がネズミ取りをする向かい側でヒッチハイク再開 1時間 トルコ人が運転する車に乗ってソフィア行をゲット 1人は英語が苦手のようだった もう1人はアニメ好き 『ナルト疾風伝』『ブリーチ』と連呼していた 特に『ブリーチ』の「千本桜景義」という技がお気に入りらしい ソフィアまでは意外に遠く、途中で寝てしまった ガソリンスタンドで休憩 ブルガリアには隣国ということもあり、トルコ人が多いようだ また、トルコよりもブルガリアでは医師の資格が取りやすいらしい 1人は医学部の学生だった 彼らに昼食まで誘われた 彼らが言うには朝食らしい 時計は2時を過ぎていたが… 彼らの住むアパートに案内された 彼らの他にも2人いた 1人はクルド人 トルコとは違うと言っていた 手作りの食事とチャイでもてなしてくれた 少しゆっくりしすぎたかな 4時間以上も滞在していた 別れるときは、ホステルまで送ってくれた トルコ行が待ち遠しくなった1日でもあった 2015年5月 ブルガリア リラ修道院の壁画

長野県かと思った…行ったことないけど

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5/21(木) 【サパレヴァバニャ ~ リラ】 ログハウスで起床 ベッドから出ると、かなり冷えた それもそのはず 標高が1200mちょっとある あまりの寒さにジャケットをはおり、靴下を履いた 準備を整え、登山開始 いきなりの急斜面 プラス砂利道 さらには、水がチョロチョロと流れている 歩きにくいこと、この上ない 1時間歩いて、休憩所に到着 ベンチに腰掛け、朝ごはん ガスバーナーでコーヒーを作る 缶詰のバタービーンズも温める 昨日買ったストーンブレッドと一緒に頂く 質素な食事も山で食べると、ご馳走に化ける 横の登山道にはゾロゾロと他の登山客が上っていく 食べ終わると登山再開 相変わらず道は悪い 遂には雪まで現れた ブルガリアの山も手強いようだ この辺り一帯はスキー場でもあるようだ スキー用のリフトがあるが、今は運行していない しばらくリフトに沿って歩き続けると、山小屋が見えた 中に入って情報収集 私たちの計画は山を越えて、リラに行く それが可能かどうかを確認する 山小屋にはwi-fiも通っていた どうやら、山を越えてリラに行くのは難しいようだ アルバニアのバルボナに続き、今回もダメ それでも、この先のリラ湖群には行けるようだ 7 Rila lakes 1時間ほど坂道の雪道を登り続ける 所々雪が溶けた地面には、紫色の小さな花が咲いている 辺り一面は真っ白 太陽の照り返しがかなり眩しい 写真を撮っても、真っ白になってしまう 肝心の湖はというと、凍っている… 町の看板に載っていた写真とは全然違う風景 この先、進んでも価値はあまり無いように感じたので、一旦休憩 このあとの、計画を練り直す 山小屋の情報によると、滝があるようだ そこを目指すか、このまま下山するか 他の登山客も、同じ場所で引き返す人が多かった この先は雪も深くなり、斜面も急 来た道とは違う道で、滝を目指す 来た道を帰るのは、性に合わない 行きに見た景色をまた見るのはつまらない 少し遠回りになっても、違う道を選ぶ ドイツ人の彼も同じ考え方だ 雪でびちょびちょになった道を歩いていく すると、きれいな花畑に出た

まさかのブルガリア入国失敗!?

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5/20(水) 【スコピエ ~ サパレヴァバニャ】 味気ない朝食 ヒッピーのスタッフ 旅人ではなさそうな長期滞在者 ホステルの前では、朝から晩までデモ そんないいとは言えない雰囲気のホステルをチェックアウト 歩いてヒッチハイクポイントに向かう マケドニアからブルガリアへ ヒッチハイクを開始すると、すぐに青年に声をかけられた 「マケドニアでのヒッチハイクは難しいよ」 「止まってくれる車はほとんどない」 アルバニアでも、そう言われ続けてきた しかし、こうしてマケドニアまで来ている 彼の言う通り、ドライバーの反応は薄い それでも粘ること1時間弱 クマノボ行きのお兄さんの車が止まる 道中、スコピエの銅像の多さが話題に上った 「銅像はいいから、もっといい道路を建設してほしい」 でこぼこの道 つぎはぎだらけで色がまだらのアスファルト 更に数十分置きに現れる料金所 そんなハイウェイを通りながら、ボソッと彼が呟いた クマノボは銅像が1体だけ クマノボは、この間テロリストの騒ぎがあったそうだ 2日間にわたる暴動 死傷者も出たらしい 現在は問題ないようだ 町外れ、次のヒッチハイク出来そうな場所まで送ってくれた ここでも1時間弱の待ち時間 日陰もなく、暑い日差しにさらされる 国境まで17km手前の町まで送ってくれたおじさん カーステレオからは、マケドニアの音楽が聞こえてくる 窓から見える景色とのどかな雰囲気が曲とマッチしていた 次に捕まえた車で国境へ 国境でドライバーが他のドライバーに話をつけ、ブルガリアへ入国 彼らが面白かった 1人がスペイン語が話せたので、スペイン語で会話した ドイツ人の彼も、キューバに留学していたので、私よりもスペイン語は上手 マケドニアはタバコがブルガリアよりも安い 2分の1から3分の1の値段で買えるらしい だから、マケドニアでたくさん購入してブルガリアに持ち込むらしい が、もちろん税関がある そこで、彼らは車のボンネットやシートの下、 腹にテープで巻きつけたりとあらゆる手段で密輸しようとしていた 私とドイツ人もザックに1パックずつ隠すように頼まれた そうして、いざブルガリア入国

佐世保バーガーを超えた!!

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5/19(火) 【スコピエ】 朝7時 早起きが体に染み付いている もっと寝たいのに… 朝食を食べ、シャワーを浴びる 昨日もらったレットブルも飲んだ 朝はゆっくり日記をつけていた 午後から散歩 マザーテレサの記念館に行った 彼女は、ここスコピエ生まれ インドではない というのは、中学校の英語の教科書で習った気がする… 今のところスコピエの見所はデモくらい ほとんどの場所が工事中 あと、街の至るところに銅像が立っている 中心部だけでも100体以上はあると思う もちろんマザーテレサの銅像も、記念館の前にあった それに紛れて、銅像パフォーマンスのバスカーもいた 昼食は凱旋門の横のハンバーガー屋 ハンバーガーを1こ頼むと、ものすごい量が出てきた 佐世保バーガーを超えた これで140ディナール(約310円) コスパは最高 肉も分厚くしっかりしたもの 野菜もしゃきしゃき ポテトが山盛り挟まれてある 目一杯口を広げても、上と下のバンズに届かない 衝撃のハンバーガーだった 食後は城壁に上った そしたら、観光客は立ち入り禁止だったので一気にやることがなくなった 周りの芝生で寝転ぶ 買ったブルガリアとトルコの地図を広げ眺める 恐らく、明日はブルガリアに入国 帰ってホステルでゆっくり、また日記をつけていた 夜もハンバーガー チェーン店のファーストフード屋に入る 一番安いセットを頼んだが、出てきたのはマックのビッグマックよりも 2回り、3回りも大きいボックス 中にはでっかいハンバーガーとフライドポテト マックのような薄っぺらい肉でもない スコピエに来たら、ハンバーガー 間違いない 2015年5月 マケドニア 夜のスコピエ

デモ真っ只中のスコピエ

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5/18(月) 【ポグラデツ ~ スコピエ】 チェックアウトしてヒッチハイクする いつもの流れ 違うのはドイツ人が横にいること 2人旅なんてしたことないから、どうすればいいのか分からない とりあえず、今はマケドニアを目指す 相変わらずミニバスやタクシーが止まる それでも30分もすれば、カップルの車が止まってくれた 彼らもまたドイツに行きたいアルバニア人 行きたいというのは、行ってドイツで暮らしたいという意味 彼らはティラナへ 私たちはマケドニアとの分岐点で降ろされる 大型トラックがよく通る ここでも30分 ストゥルガというマケドニア側のオフリド湖の街へいくおじさん 彼と一緒に国境を越えた 2度目のマケドニア 私はスタンプをもらい、ドイツ人はなし 曖昧な国境審査 ストゥルガに着くと、おじさんがマキアートをご馳走してくれた アルバニアやモンテネグロはカフェでお茶するのが好きなようだ 特に男性 街の外れまで歩いてヒッチハイク再開 オフリドへ行く青年にスコピエとの分岐点まで送ってもらう 彼はアルバニア人 マケドニアの20~30%はアルバニア人らしい 家の前にはアルバニアの国旗を掲げているところも少なくない ここはマケドニアなのに オフリドからスコピエ ここの区間が大変だった 1時間半 久しぶりにこんなに待ったので、めちゃくちゃ長く感じた セルビア人のおじさん ビールをおごってもらった 日本の天皇のことを知っていたのには驚いた マケドニアもアルバニア同様、道路工事の真っ最中 高速は中国の会社が建設していると、おじさんが教えてくれた 大丈夫かなぁ 少し心配だ 働いているのはマケドニア人 スコピエの手前の街でお別れ 高速の料金所が200m 先に見える 歩きながらヒッチハイク 料金所に到着する前に1台止まった お菓子の卸業者さん バンの後ろの荷台にはお菓子の箱がたくさん積まれていた 次の料金所まで乗せてもらった ここのヒッチハイクも大変 1時間は待った クロアチアに比べれば、全然なんだけど、日差しが強い分こちらの方が私には辛い 途中でレットブルの広告車が止まった あの後ろにレッ

オフリド湖に来たのに、山へハイキング

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5/17(日) 【ポグラデツ】 ホステルには3人 私とドイツ人とスウェーデン人 スウェーデン人スタッフが、朝食を用意してみんなで食べた 朝食後はハイキング ホステルの窓から見えていた丘 また、山のどこかに泉があるらしい それを探しに出発 途中、道を尋ねるとアルバニア人青年が丘の頂上まで案内してくれた 頂上から見る景色は息を飲む 鏡のような水面 ピーンッと張っており、一つの波もない 弧を描くようにビーチが続き、右にはオレンジ屋根の街 弧の延長線上には、まだ雪が溶けきっていない山々 ハチミツを垂らしたかのように、白い雪が幾筋にも山頂から中腹へと伸びている 一気に登ってきたということもあって、ここで景色を堪能しながら3人で休憩 ここで青年とは別れ、2人で泉を探しに山奥へ 獣道のような道も通る 馬蹄の跡のまま固まった赤土の道 馬、羊の糞があちこちに転がっている 薪をたくさん背負った馬や羊飼いともすれ違う ひたすらのどかな風景が続く 木陰ではハンチング帽をかぶった老人が寝そべっている 遠くの方では私たちに向かって犬が吠えている 顔面にぶつかってくるアクティブな虫たち 水の音、川を探して突き進む しばらくすると、川にぶつかった あとは、それに沿って上流を目指す いくら進んでも道が終わることはない 馬や羊の糞も見当たる 彼らはいったいこんな山奥まで何しに来ているのだろう ぬかるんだ道、川を渡って… ふと、右の山を見ると洞窟があった 行かないという選択肢はない ドイツ人の彼といると、冒険ばかりだ 雪を身一つで滑ったり、山でキャンプしたり、ヒッチハイク 欧米人らしく歩くのは速い 寝るときは裸 山に登るときは短パンに上裸 ただ、サングラスはしない 不思議な形をした洞窟 ぼこぼこと岩に穴が空いている これ以上にもまだ道は続いていた が、恐らくここがハイライト 泉はこの先を行ってもありそうにない 引き返すことに決めた 川に足を浸けて一休み ホステルから持ってきたリンゴ、バナナを食べる 街の近くではBBQ している人たちもいた 今日は日曜日 中学生くらいのグループやカップルともすれ違う

アルバニア側のオフリド湖

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5/16(土) 【ティラナ ~ ポグラデツ】 朝7時 テントの中で目を覚ます ここはティラナの山の中 朝から虫が鳴いている テントをたたみ、街へと下る 昨日のインスタントラーメンだけじゃ足りない とりあえず、食料 コーヒーとビュレク もう一件カフェをはしご トイレ休憩と水の確保、wi-fiをゲット 次はオフリド湖を目指す ティラナの街でヒッチハイク だが、そう簡単にはいかない 止まるのはタクシーやミニバス ドライバーの反応もイマイチ アルバニアの北部とは違う それでも30分ちょっと クラシック音楽の作曲家というおじさん 湖方面の途中の街で降ろしてくれた この場所も30分ちょっとでゲット 炎天下の30分は、いつもより長く感じる 肌がじりじりと焼けていくのが分かる 乗せてくれたのは青年2人組 湖よりも先にある街へ向かっている オフリド湖行をゲット 道端の果物屋でサクランボとバナナを買ってくれた アルバニアではサクランボをよく食べている気がする 山のように積まれたサクランボをわしづかみ 店員がビニール袋にどっさり入れてくれる グネグネとした道を下っていくと、湖が見えた 鏡のような水面 近くの道は工事中 そのため、でこぼこの土の道を走らなければならない アルバニアでは、どこも道路の工事をしている 2時間ほどで到着 お兄さんたちと握手をして別れる さて、ここがどこだか分からない 何という街なのかも 車内から見えたホステルの看板を目指す すると、後ろから声をかけられた 「ホステルを探しているのかい?」 声をかけてきたのは、ホステルで働くボランティアスタッフだった スウェーデン人 この街で唯一のホステルらしい 中に入ると、目につくのはプール プール付のホステルなんて、南米以来 近くには湖のビーチがあるのにも関わらず スウェーデン人の彼が、今ホステルの改装中 壁にペイントしたり、プール横にミニバーを作ったりしている 建物裏にハンモックスペースも設けるらしい ゲストは私たちだけ オーナーも私たちが滞在中は、姿を現さなかった 実質、スウェーデン人がここを切り盛りしている

ティラナでキャンプ

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5/15(金) 【ティラナ】 9時に起きて朝食 簡単なサンドウィッチとコーヒー やはり、シュコダルのホステルの温かいビュレクが恋しい 10時にホステルをチェックアウト 30レク(約30円)を払い、バスに乗って登山口へ 今日向かうのはダイティ山 15分で終点に到着 ケーブルカーもあるが、もちろん私たちは徒歩 チープトリップ のんびり休み休み登る 昨日買っておいた果物 サクランボ、ブドウ、イチゴ、オレンジ これらを頬張りながら登っていく 思ったよりも急斜面 強い日差しに体力はじりじりと奪われていく この日は、荷物も全部持ってきている 12kgを担いでの登山 暑さでドイツ人は上裸で登る 登っている途中、何匹もカメがいた カメのようにノロノロと歩を進める なかなか頂上に着かない ましてや、ケーブルカー降り場にさえも着いていない 3時間弱でようやくケーブルカー降り場に到着 疲れすぎて30分昼寝 噴水の音 日陰 そよ風 絶好のコンディションでの昼寝 寝たらお腹が減った レストランに入って腹ごしらえ リゾットとスプライト 500レク(約480円) 観光地価格でもない 麓のレストランと同じ値段 社会主義だった影響なのか? どこのレストランでも似通った値段設定 ホステルの値段もそう 10ユーロ前後が相場らしい レストランでしばらく休憩して、頂上を目指す またも急斜面 道ばたで拾った枝をポール代わりにする 落ち葉や砂利で滑りやすい道 岩場で歩きにくい道 かつ坂道 頂上には交番のようなものがあり、警官がいた その建物の前で残っている果物を食べた ここで休憩し、来た道を引き返す 下りは更に膝に負担がかかる 時間をかけて下りていく 夕方6時 登ってくるとき見つけた草原 そこに腰を下ろす 今日はここでキャンプ 久しぶりにツェルトを張る ドイツ人もカバーだけのテント トレッキングポールをフレームに使っている 寝床ができたら食事 持っていたサクランボはどこかに落としてきたようだ 残っているのはオレンジ2個 そして、私のインスタントラーメン ちょうど2パッ

ドイツ人の旅仲間ができました

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5/14(木) 【シュコダル ~ ティラナ】 アルバニアの首都 ティラナを目指す もちろん、ドイツ人と一緒にヒッチハイクで 居心地の良かったホステルをあとにする フランス人サイクリストともお別れ 彼は自転車でモンテネグロを目指す 終始フレンドリーだったオーナーの息子ともお別れ 1ヶ月ボランティアスタッフとして働くという選択肢も与えてくれた しかし、私たちは次の街へと進むことに決めた ヒッチハイクを開始して20分 ティラナ行 一発ゲット レストランのオーナーの車 川沿いの小高い丘に店を構える レストラン兼ホステルを目指して、今は準備中 その前にも1台止まってくれたが、行先が違った アルバニアのヒッチハイクは順調そのもの 1時間半後にはティラナのメインスクエアに降りていた 宿を探して歩き回る 何とか見つけてチェックイン 昼ごはんついでに街歩き 川を渡ったところにあるピラミッド それをよじ上って、上からの景色を堪能 特に面白い街でも無さそうだ フリーウォーキングツアーもある アルバニアの歴史を知りたいなら、参加するのもいいかもしれない 少ししか歩いていないが、やはり暑さで体力を奪われる アイスクリームを買って食べながら、ホステルに帰った シュコダルのホステルには敵わない 1泊したら十分 明日は山でキャンプかな ドイツ人の彼とはトルコまでヒッチハイクする 2015年5月 アルバニア シュコダル ロザファ城

ヨーロッパの北朝鮮と呼ばれた国

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5/12(火) 【シュコダル】 現地人はシュコダルではなく、シュコドラと発音する 宗教色が強いこの街 モスクからは定期的にお経の様な唱えごとが街中に流れる メインストリートを歩けば一目瞭然 カフェのテラスに座っているのは、男性ばかり 右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても2~4人組の男性 女性は女性グループで固まっている 街を歩いていても、カップルを見かけるのはほとんどない 見かけても外国人観光客 その光景が、他のヨーロッパから来た分、奇妙に映る 不思議な街 シュコダル それはさておき、居心地のいいホステル 朝食はビュレクが2つ付いてくる 三角形のパイ生地の中にチーズが挟まれたパン 仄かに酸味のあるチーズが美味しさを引き立てる それに、コーヒーとジュース これだけで、十分満足 この日は、フランス人サイクリストも加わり、3人でシュコダル湖に行った 私とドイツ人はホステルで自転車を借りる 自転車にまたがり出発 フランス人が飛ばす飛ばす こっちは普通の、いや少し錆びたママチャリだというのに… 遅れないよう必死にペダルをこぐ 自転車のチェーンがおかしくなったりもした が、30分で到着 裸足になり、足を湖につける あとはお決まり 石で水切をし始める あとは、水辺に寝そべったりした 雲ひとつない からっぽの空 1時間後、みんなお腹が空いたので帰る 帰りも私の自転車のフレームがおかしくなった 何とか直して帰ってこれた スーパーで食材と果物を買ってホステルへ フランス人がフレンチトーストを作ってくれた 本場のフレンチトースト 日本のと変わらなかった(笑) 夜はファーストフードとビール ホステルの居心地だけでなく、アルバニアでは旅仲間にも恵まれている 2015年5月 アルバニア シュコダルの街

ヒッチハイクしやすい国No.1

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5/11(月) 【ジャコバ ~ シュコダル】 朝6時前 リビングのドアがガンガンガンガンとノックされる 3日連続で早起き 仕度をして、泊めてくれたコソボ人男性宅を出発 ヒッチハイクできるガソリンスタンドまで見送ってくれた ガソリンスタンド前で英語が話せるコソボ人と一緒に話していると、バンが止まった 何故か分からないが、彼とプリツレンという町まで乗せてもらうことになった ドイツ人は後ろの荷台部分に乗った 降りて、彼に道を聞くがやはりコソボ人も一貫してミニバスを使った方がいいと言う 朝早いので、道だけ聞いてヒッチハイク開始 30分以内にはやはり止まってくれる アルバニアのコカスまで 途中、雨が降りだしたが車は順調に進む 運び屋の男性 商品を乗せたり、下ろしたりしながら進んでいく ここで一つの不安が頭をよぎる… あっという間に、アルバニア再入国 コソボ滞在は半日 不安は的中 コカスで降りると、お金を要求された… 2人で1000レク(約960円) 高い 次からは、乗る前にきちんとお金を払うのか確認しないと ひとつ勉強になった ここで朝食 ファーストフード屋でドネルケバブ 道行く人にシュコダルへの行き方を尋ねると、やはり答えはミニバス だが、またしても30分以内に車は止まる コカスの隣町まで 高速道路沿いの商店のオーナー 商店のファンタまで奢ってくれた 一息つくと、ヒッチハイク再開 ティラナとシュコダルの分岐点まで連れていってくれるおじいさんが止まってくれた 安全運転のおじいさん それが、何だか心地よく2人して寝てしまった 降ろしてもらった分岐点でヒッチハイク 本当にすぐ止まる クロアチアで苦労していたのが嘘のよう シュコダルの少し手前まで シュコダルの道の分岐点で降ろしてくれた ここでもすぐ止まった ミニバスだけど、お金は要らないとのこと 優しい 他の乗客は降りるときにお金を払っているのに… 何だか申し訳ない 旅人に優しいアルバニア人 13時半にはホステルに戻ってこれた ドイツ人の彼を私が泊まっていたホステルに誘い、2人でチェックイン しばらく彼と旅することになりそうだ 201

とにかく優しいアルバニア

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5/10(日) 【バルボナ ~ ジャコバ】 気づいたらコソボ人の民家に泊まることになっていた コソボなんて、来る予定は全くなかった 何でこんなことになったのだろう… 遡ること半日前 朝5時半に起きて、トレッキング バルボナの民家をあとにした バルボナから山を挟んで、反対側 テスィ そこを目指す 昨日、聞いた情報では雪が残っており、越えるのは難しいとのこと ただ、ポーランドからスロバキアに行くときもそうだった 無理だと思ったら、引き返せばいい ということで、朝早く出発 360°山に囲まれたバルボナ アルバニアンアルプスとも呼ばれる 景色は本当にきれい だが、それ以外に何もない せめて、スーパーマーケットは欲しい 歩き始めて1時間 後ろから声をかけられた 「どこに行くんだい?」 「テスィに向かう」 と、私は答えた 尋ねてきたのは、同じようにテスィに行くというドイツ人 朝食を食べていたら、窓から私の姿が見えたらしく、追っかけてきたらしい こうして、2人でトレッキングすることになった 大学院生の彼は地質学を専攻 博士号をとる前に旅をしているようだ 8月には奨学金でペルーに留学が決まっている それが終わってから、ドイツに戻って博士号の勉強を開始するようだ そんなことを話ながら、川沿いを歩く ここを流れてる川の水は透き通っている 飲んでも冷たくておいしい 夏になるともっと澄んでいる ヘビがシューと音をたて威嚇してくる道 ゴツゴツの岩場を抜けていく 傾斜もきつくなってきた ドイツ人はトレッキングポールを取り出した 歩き始めて3時間後 遂に雪の姿が目立つようになってきた すねの辺りまで積もっている ルートのマーキングを探すのも難しくなってきた 周りはゴツゴツの岩と白い雪、針葉樹ばかり 傾斜もついてきて、足元が滑りやすい 1本ポールを貸してもらったが、それでも登るのが困難 マーキングも見失った 2人で今回は諦めることにした 岩場の陰で休憩 降りるのも困難なので、雪を滑って下る 背負っていた荷物は下に放り投げて転がす 身体一つになったところで、雪をスライディング 先にドイツ人が

ネットでも情報が少ないアルバニアの秘境!

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5/9(土) 【シュコダル ~ バルボナ】 アルバニアの秘境に向かう バルボナ ネットでも情報がほとんどない 近年、観光地として知られてきている がしかし、まだその認知度は低い 口コミでしか情報がない ここを知ったのは、ポドゴリツァのホステルで会ったオランダ人に教えてもらったから 「自然が好きなら、行くべき場所だよ」 そう言って、お勧めしてくれたのだ ここに行くまでの、ボートツアー それから、バルボナでのトレッキング これが目的 朝6時にホステルでピックアップ 車は普通の乗用車 アルバニアはタクシー以外にも、こうやって普通の乗用車に乗せて運んでくれる 500レク(約480円) ミニバスだと確か、400レク 乗場は、地元の人に聞くしかない バス停やターミナルはここにはない ホステルの同部屋だったカナダ人、アメリカ人も一緒 他にも地元の人を乗せたり、降ろして進む まず向かうのはコマン コマン湖 「みずうみ」か「こ」と発音するかはあなた次第… ここから、フィエルザという町までフェリー コマンまで2時間弱 途中からは未舗装の道になる 何だかマチュピチュまでの道のりを思い出した 8時前に港に到着 船の出港は9時 車1台しか通れない幅のトンネルを抜けたら目の前が港 港には小さな商店とカフェ それから、ボートツアーのオフィスがあるのみ 移動手段はボートツアーかフェリーを選べる フェリーはただフィエルザまで移動するだけの交通手段 ボートツアーは軽食付でいろんな場所に寄りながら、フィエルザに向かう フェリーは500レク(約480円) ボートツアーはそれよりも、少し高め フェリーにはツアーのバン3台 乗用車1台 バイク3台 自転車4台 それらが乗って出港 サイクリスト、ツーリストも乗っている 甲板はいっぱいいっぱい 思っていた以上に観光客がいる といっても、アルバニア人の観光客 外国人観光客は2割といったところ 乗客は船室 または、狭い甲板 もしくは、船室の屋根に上って座っている シュコダルは暑かったが、ここは風が強く、けっこう寒い 屋根にはアルバニアの国旗が風でたなびいて

有料ヒッチハイクはヒッチハイクにはいるのか?

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5/7(木) 【ポドゴリツァ ~ シュコダル】 今日もヒッチハイク アルバニアのシュコダルという街に行く 開始15分 銀色のバンが止まった 国境手前の街で降ろしてくれるそう さらに、カフェでカプチーノまでご馳走になった この辺りのカフェは、コーヒーを頼むと、自動的に水も付いてくる ボスニアヘルツェゴビナのモスタルでもそうだった 乗せてくれた男性は、路肩に車を寄せ、後ろの車を気にし出した そして1台の車に話しかけた どうやら、シュコダル行の車を探してくれているらしい 男性3人が乗っている車 ジャンキー臭が漂っていた ドライバーの歯は隙間だらけ フロントガラスにはひびが入っている スピードメーターの針はピクリとも動かない 同乗者もどこか怪しげ しかし、せっかく男性が見つけてくれた車なので便乗することに決めた 2ユーロ(約270円)払って、有料ヒッチハイク アルバニアでのヒッチハイクは難しいとネットで、見ていた 2ユーロならいいかな、と思って乗った 同乗者の一人は英語が喋れた 10年前の国境はゴミだらけで酷かった あれが、バルカン半島で一番大きな湖のシュコダル湖だよ 色々、教えてくれた 今の国境はきれいになっていた アルバニアに入国 スタンプはなし 同乗者はお金をおじさんドライバーに払い、1人、2人、3人と降りていく 国境近くの街は、何だか南米を思い出させる 雑多な通り 誰が買うのか、多すぎる掃除用具や日用雑貨が軒先に並んだ商店 サッカーボールや人形が並んだおもちゃ屋 トラクターだけでなく、馬車が走る道 道路はフラット 平坦な道が真っ直ぐ伸びる 両側には草原が広がる 意外にもかなり整備されており、おじさんの車でもほとんど揺れなかった おじさんは途中で、店に寄りながら商品を下ろしていく シュコダルに着いたのは、12時 早速、wi-fiを拾ってホステルにチェックイン アルバニアにもwi-fiはあるようだ ネットで見た、ヨーロッパ最貧国というような情報は気にならない ここ数十年で変化してきているようだ チェックインを済ませると、スタッフにお勧めされたロザファ城に向かった 宿からは3km少し

モンテネグロの首都でトランスフォーマー探し

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5/6(水) 【ポドゴリツァ】 ポドゴリツァ市内は昨日1日でほとんど見終えた 今日は特に何もすることなく、ぶらぶらとしていた 公園に行ったり、トランスフォーマーを探したり… そう、ポドゴリツァの新市街エリアにはトランスフォーマーが至るところに立っている 確か、これ今まで旅した他の国でも見たような… ただどこの国のどの街だったか全く思い出せない 中南米のどこかだったような気はする 暇なのでトランスフォーマー探しをすることにした 私が探し出せたのは6体 全部で何体いるのか分からないが、昨日見かけた1体がなくなっていた 広場や公園、お店の前など 探したらもっといるのかもしれない ポドゴリツァのホステルで、オランダ人の女の子と会った 彼女から、次の街のお勧めを教えてもらった 写真を見せてもらったが、とても美しかった ここに行くことに決めた また、コトルのホステルではアメリカ人の女の子があるサイトを教えてくれた 「Workaway」 世界中でボランティアスタッフを募集しているサイト 登録するのは有料らしいが、彼女はこれで仕事を探しながら旅をしているようだ 仕事をしながら旅をしたい人は、いいサイトかもしれない 2015年5月 モンテネグロ ポドゴリツァのトランスフォーマー

こどもの日には、やっぱりヒッチハイクに限る!

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5/5(火) 【ブドゥバ ~ ポドゴリツァ】 今日もホステルの受付はいない カギを受付にそっと置き、出発した ブドゥバは予定外の寄り道 こんなにいいところなんて知らなかった まぁ、これも旅の醍醐味 今日こそモンテネグロの首都 ポドゴリツァへ ヒッチハイクポイントに荷物を下ろし、親指を立てる 今日も時間があれば、途中のツェティニェに寄れたらいいな ここは古都だったようだ ヒッチハイクで心がけていることは、ちゃんとドライバーの顔を一人一人見ること その前にナンバーを確認 今回であれば、ポドゴリツァの車 PGナンバーの車を探す あと、どんなにスピードを落とそうにない車でも親指を立てること 中には引き返して、止まってくれる車もあるからだ 15分 ナンバーを確認すると、PG 車がスピードを緩めて、完全に停止する間 考えること、1秒 ツェティニェは止めた 「ポドゴリツァへ行く」 そう答えると、やはりポドゴリツァ行の車 今回は一発ゲット 大きな白いバンを運転するお兄さん どうやら仕事でポドゴリツァへ向かうようだ ブドゥバからの道は山を越えていく ぐねぐねとしたカーブを曲がり、上っていく 途中で車を停めて写真タイムのサービスまでしてくれた モンテネグロの人たちも優しい 山を上がると、ブドゥバを一望できた スヴェティステファンも見える 今日も焼けるほど、日が照っている しばらく道は上ったり、下ったり、右に、左にと曲がる ツェティニェの近くで、お兄さんは山を指差し、 「あれはロブチェンだよ」 と教えてくれた 昔、王様か誰かがそこにいたそうだ 1時間半のドライブ 首都 ポドゴリツァ到着 センター近くで降ろしてもらった 少し歩くと、噴水広場があった そこでwi-fiを拾ってホステルを予約 ヨーロッパのホステルはオンラインで予約した方が安い場合が多いので、こうしている すぐにホステルに向かいチェックイン 近くのスーパーに行くと、惣菜コーナーを発見 久しぶりに自炊しなくて済む パスタ、インスタントラーメン、チルド食品のリゾットやパエリャ このローテーションだった 野菜の混ぜこみごはんとグラ

モンテネグロの国旗ってカッコよくない?

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5/4(月) 【ブドゥバ】 お祭りは昨日で終わりのようだ 受付の女性も10時頃にやっと来た のんびりしたホステルのようだ 午前中は街歩き 今日も日差しが厳しい 海辺では、夏に向けての準備の真っ最中 どのビーチでも海の家を建てている 横を通ると、工務店と同じ木材の香りがする 茅葺きの屋根を編んでいる男性 ビーチ横の広場には、子どもの遊具を設置中 トランポリンを組み立てていた 沖ではクルージングパーティー 水着の男性と女性が戯れている モンテネグロで「yes」は「da」という よく会話で「ダー」や「ダッ」というのを耳にする 昨日ホステルの受付にいた女の子も「ダ」と言っていた 子どものいう「ダ」が、また何とも可愛らしい 聞こえようによっては、「ンダ」と聞こえる 一文字で自分の意思を表示できる 響きも何となくいい さて、午後からは雑務 銀行で残ったクロアチアのクーナを両替 ポストカードを買って親戚、友人宛に書く 書いたら郵便局へ行って出す それらを終え、着替えてビーチに向かった と同時に、天気は曇りになる 昨日から歯車が合わない それでも、しばらくビーチで黄昏ていた 浜辺にブランケットを敷き、サンダルを脱ぎ捨てる 日焼け止めもしっかり塗ったが、必要ないくらい曇っている さっきまで、本当に青空が広がっていたのに… さざ波を聞きながら、日記をつける 海に向かって石を投げる そんななんてことない1日 2015年5月 モンテネグロ ブドゥバのビーチ

予想外!!訪れて良かった街

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5/3(日) 【コトル ~ ブドゥバ】 今日もヒッチハイクで次の街を目指す モンテネグロの首都 ポドゴリツァ ブドゥバという観光地に寄ってから向かう ヒッチハイク開始10分 1台の車が止まった セルビア人の夫婦 ティバトという街に住んでいる ブドゥバとの分岐点で降ろしてもらった 旧ユーゴスラビア諸国 セルビア人だが、モンテネグロに住んでいる といった、彼らのようなケースは珍しくないようだ 5分後に2台目が止まる キャンピングカー ドイツ人、スイス人カップル 彼らもブドゥバに行く 順調なヒッチハイク ドイツ人の彼は空手を習っている 一、二、三…というかけ声 「正座」「黙想」「正面に礼」といった礼儀作法などの日本語を知っていた しきりに、 「発音はこれで大丈夫か?」 と、私に聞いてきた ブドゥバはそんな彼らと一緒に観光 バスターミナルで朝食 チェバピ つくねのような棒状の肉をサンドしたもの その後は旧市街巡り モンテネグロにも日本人観光客がいることに驚いた ここもやはり、石畳にオレンジ色の屋根 狭い露地 違ったのは、すぐ横にビーチがあること 旧市街の門を出ると、ビーチが広がる すれ違う子供たちは顔にペイントをしている 仮装している子供もいる どうやら今日は何かのお祭りのようだ しばらくビーチに座ったあと、車に戻った スヴェティステファンという島の入口で降ろしてくれる この島はモン・サン・ミシェルのようになっている小島 小道を歩いて渡ることができる そこでお別れをして、彼らはシュコダル湖へ向かっていった スヴェティステファンは外から眺めるだけにした 上陸しても、他の旧市街と同じような気がしたからだ その後は、荷物を担いだまま10km離れた旧市街へと歩いて戻る この時点で、ポドゴリツァ行はやめ、ここに滞在することを決めた お祭りもあるようだったので、もう少し見て回りたかった また、TOKYO JAPANと書かれたTシャツを着ている人たちがいた この1時間で5人は見かけた それが何だか気になった 私たちがNEW YORKと書かれたTシャツを着ることと同じなのかな そんなこ

モンテネグロ版「万里の長城」

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5/2(土) 【コトル】 朝、雨の音で起きた 宿でじっとしておかないといけないかな そう思っていると、午後には止んだ それでも、厚い雲が街を覆っている 晴れたら、行きたい場所があった 旧市街の裏手にある山 その頂上付近にあるお城 ドゥブロブニクのようにケーブルカーなんてものはない 歩きのみ 昨日、コトルまで乗せてくれた夫婦 彼らと城を見たとき、 「万里の長城みたいだね」 そう話していた モンテネグロの万里の長城 観光客がジグザグに登っていく様子が見れる しかし、今日の天気はイマイチ 天気の良かった昨日の内に登っておくべきだったな 夕方5時を過ぎると、微かに日が照ってきた 少しの希望を抱き、山頂を目指した 入場料は3ユーロ(約400円) 入山口は2つ 1つの入山口は19時以降に料金の徴収係はいなくなっていた タダで入れるようだ 山頂までは急な階段の連続 ドゥブロブニクの丘よりは楽 ゆっくり歩いて30分で到着 山に登ると、コトル湾の形が良く分かる リアス式海岸 入り組んだ奥にコトルの街はある ボートが通った跡は湯葉のように波打っている 海岸横に駐車している車は鱗のようにキラキラしている 山の斜面には紫のラベンダーと、黄色くて小さな花があちこちに咲いている モンテネグロ 黒い山という意味の国 そんな暗いイメージとは違い、美しく雄大な自然を持っている 客船も寄港する小さな街 コトル 旧市街には客船の乗客と思われる観光客で賑わっている 夜はうってかわって静かな街 ドゥブロブニクに続き、城壁の中にあるホステルに宿泊 夜は城と城壁がライトアップ オレンジの蛇のようにくねくねと黒い山に映えている 石畳は不気味に光る 2015年5月 モンテネグロ コトルの城壁

さあ、旧ユーゴスラビアの始まりだ

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5/1(金) 【ドゥブロブニク ~ コトル】 今日こそクロアチアを脱出するぞー! ヒッチハイクに向かう途中、おじちゃんに話しかけられた ヒッチハイクするなら、この上の分岐点がベストスポットだと言ってくれた そこは私もチェックしていた場所 だが、止まってくれるには少しスペースが狭かった だから、昨日は別の場所でやって失敗 今日はおじちゃんを信じ、その場所で開始 階段を上ってきただけで、汗が一気に吹き出した 今日も天気はいい 30分すると、ムリニの手前の町まで行くカップルに乗せてもらった 今日は昨日とは違う 彼らが言うには、今日はクロアチアの祝日 子供連れの車を多く見かけたのは、みんな旅行に行くからだろう そうなればチャンスはある これから向かうのはコトル モンテネグロの観光地 旅行に行く車も通るはず! 30分後 国境手前の町まで行く男性に乗せてもらった 英語は苦手のよう 右に海岸線を見ながら、ステレオから流れる音楽を聞いていた 緑いっぱいの山の近くで降ろしてもらった さらに30分 アメリカ人とメキシコ人の中年夫婦が乗せてくれた 行先はコトル やったー! 昨日とは大違い 彼らもヨーロッパを中心に11ヶ月旅行している 一ヶ所にロングステイしながらの旅 旅をするために奥さんは400足の靴を売り、夫は20あるスーツの18着を手放した 今まで旅した国で、イタリアのドライバーが一番最悪だった そんなことを言っていた ロサンゼルス在住 とても聞き取りやすい英語で話してくれた 男性がよく私に話題を振ってくれ、ドライブが飽きない 奥さんは時おり、車窓から見える景色を写真に収める 最近は徒歩で越えていた国境 今日は車に乗ったまま クロアチア出国 初めましてモンテネグロ 小さな入国スタンプ 13時にコトル到着 右には綺麗な湾 客船も接岸している 左には高い山 山頂付近は雲が渋滞している コトルはドゥブロブニクまで送ってくれたドライバーにお勧めされた場所 というわけで、車を停め3人で旧市街まで歩いていく 彼らとは、旧市街入口でお別れ インフォメーションセンター近くにwi-fiがあったので、私

あの人も泊まっていたドゥブロブニクの安宿

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4/30(木) 【ドゥブロブニク】 まさか、ドゥブロブニクに5泊することになるなんて… こんなはずじゃなかったのに! 何を隠そう、ヒッチハイクに失敗したのだ 朝10時から、夕方6時まで 8時間待って止まった車は0台 途中には、雨まで降ってきた 「Good luck!」 と、すれ違った観光客に言われもした が、Bad luckな1日のようだった 宿のおばちゃんが客引きしている場所に向かう しかし、今日はフル 代わりに友人の家を紹介してくれた そこも100クーナ(約1770円)で泊めてくれるそうだ ただし、キッチンはなかった その他は、バスルーム、wi-fiも問題なし 書くことも無いので、おばちゃんの家情報 [ドゥブロブニクの安宿] 私の場合は1泊100クーナ 3泊すると言って200クーナ(約3550円)から半額にしてもらった 4泊したが… シーズンオフということも功を奏した 1泊した日本人の大学生は130クーナ払っていた おばちゃんの名前はマグダレーナさん 小柄な女性 旧市街の門近くのインフォメーションセンター前 そこで、毎日客引きをしている 日本人のゲストも何人か、泊めたことがある 世界一周ブログ『無職旅』の方も泊まったようだ おばちゃんが嬉しそうに、日本語のブログを見せてくれた そちらに、詳しい情報があるので参考にしてほしい おばちゃんは簡単な英語を話すので、日本人にも聞き取りやすい英語だと思う 宿には最大5人宿泊可能 2人部屋が2つ、リビングにソファーベッドが1つ トイレ、シャワーは1つだけ キッチン、wi-fi完備 最新のIH ボタンをピッと押すだけ 電子レンジなし 電気ポットあり 強烈なチーズの臭いがする冷蔵庫もある 家では、スリッパ、タオル、洗濯機も貸してくれる ゲストには玄関と部屋の鍵が渡される 場所は旧市街の門をくぐって1分の好立地 ネットで探しても、旧市街近くには安宿はなかった また、値段も100クーナ前後のところが多いので、当りだろう スーパーも家の近くにある 青空市場がある広場の隅と、港側にある門の外の2ヶ所 Konzumというクロアチアでは有名なスーパ

ドゥブロブニク近郊の町へぶらり

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4/29(水) 【ドゥブロブニク】 昨日は雨 到着した日以外は天気が良くない 雨が降ったり止んだりするので、宿を往ったり来たり 滞在を1日延ばした 夕陽に染まるドゥブロブニクも見てみたかった それに、行きたい場所もまだあった 宿の居心地もいい 昨日はポーランド人4人組が来たので、私はリビングのソファーベッドに移動 それでも、問題ない 今朝、起きると快晴 午前中は港で船が出港するのを見ながら、日記をつけていた 真っ青な空に白いカモメが羽ばたいている オレンジ色の瓦屋根に、ほんのり飴色の石壁 猫に餌付けする老婆 犬を散歩中の女性 ベビーカーを押す夫婦 そんな絶好のコンディションで日記をつけていた 午後はお出かけ ムリニというドゥブロブニクから12km の場所 ここはFBでイギリス人がお勧めしてくれた 今回も走って行こうか悩んだが、昨日道を見たら狭くて車の通りが多かった 人が通るのは少し危険 おとなしくバスで行くことにした 船でも行けるようだ 片道18クーナ(約320円) 少々高め 20分で到着 バスを降りて、坂を下るとそこは海だった 相変わらず、水の透明度は高く透き通っている 海辺の大きな岩には2人組の少女が腰かけて、お喋りしている 夕方になり、雲が多くなったせいか景色は微妙 夕焼けも丘に隠れて、若干がっかり… 海辺を少し散歩して、ドゥブロブニクに引き返した 宿には日本人の大学生が来ていた ヨーロッパを1ヶ月間旅行している彼 日本語を聞くことはあっても、喋るのは久しかった GWの影響か日本人観光客がドゥブロブニクにも多数いた それよりも、多いのは中国や韓国のお年寄りたち マウンテンウェアを身につけ、グループでどかどかと闊歩している 道の真ん中で止まって、写真をパシャパシャ 夏はこれ以上に観光客が世界中からやって来るので、道は混雑する こんなこともあるから、地元民はドゥブロブニクが嫌いになるのかもしれない 2015年4月 クロアチア ドゥブロブニクの夜景

アドリア海のなんとか

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4/27(月) 【ドゥブロブニク】 天気が芳しくない 曇り そんな中、ドゥブロブニクの西側を攻めた しかし、収穫はなし 丘に登ったりもしたが、スプリットに比べると景色がイマイチ 天気が良ければ、もっと綺麗だったのかもしれない… 夕方になり、丘に登った ドゥブロブニクが一望できるベストスポット ケーブルカーでも行けるが、もちろんバックパッカーは徒歩で登る ジグザグで石がごろごろ転がっている山道 ジグザグの折り返す各地点には、石盤が立てられている それには、キリストの絵が彫られている どうやら登るに連れて、ストーリー仕立てになっているようだ 1時間かけて、山頂に到着 やはり、天気が曇りで景色は微妙… それでも、夜景はまあまあ綺麗だった ライトアップされた城壁 ぽつぽつと点ったオレンジの街灯 それを眺めながら、足場の悪い暗い道を引き返す わざわざ登るまでもなかったような気がする ここに来る途中で見つけた展望台で十分だった そこなら、旧市街から歩いて15分のところ 穴場スポットを見つけた この日は一度も太陽を見ることなく終わった 2015年4月 クロアチア ドゥブロブニクの大通り

帰ってきたクロアチア

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4/26(日) 【モスタル ~ ドゥブロブニク】 昨日、出発する予定が今日になってしまった それくらい、宿もこの街も居心地が良かった モスタルには2002年に日本から寄贈されたのかは分からないが、 街中を黄色いバスが走っている 左右と後ろに日の丸を付けたバスを良く見かける さて、今日はクロアチアに戻る 観光地ドゥブロブニクを目指す ヒッチハイクポイントに向かう そこには、すでに2人組のヒッチハイカーがいた ポーランド人 場所を譲ってもらい、ヒッチハイク開始 今日も日差しが強く、焼けそうだ 彼らはもう少し先でチャレンジするそう 車の反応は良好 3台止まったが行先が異なる また、少ししか進まない車 先にはポーランド人たちがいるので、なるべく被らない位置を狙わないといけない それでもやはり、ボスニアヘルツェゴビナ人は優しい人たちが多い! 1時間後 1台のバンが停車 ツアーガイドの車で、中には2人の観光客もいた ポチテという町で降ろしてくれた 行く途中、ポーランドヒッチハイカーも見かけた 彼らもまだつかまってなかったようだ 次に停車したのは寡黙な男性 それでも笑うと、目を細めてにっこりとする 少し先の交差点でお別れ 3台目は弁護士兼ミュージシャンの車 タンブラーという伝統楽器の演奏者 小さい琵琶のような弦楽器 ハンドルから手を離し、わざわざ私の為に弾いてくれた この先の国境の街で練習があるらしい また、ポーランド人ヒッチハイカーと出会う 手を振ると、気づいてくれた ほどなくして国境 乗せてくれたお兄さんにお礼を言って車を降りる 以前と同じように、ドライブスルー形式の国境 その中に1人だけ徒歩で混じる ボスニアヘルツェゴビナ出国 今度はスタンプがあった クロアチア再入国 国境でヒッチハイク再会 国境で働いている審査官の女性が止まってくれた 休憩でこの先の街まで乗せてもらう 「ザグレブからヒッチハイクして来た」 と言ったら驚いていた スーパーの前で降ろしてくれた ちょうどお昼時なので、パンを2個買って頬張った ここまで来ると、ドゥブロブニクのナンバーが増えてきた あまりいいポイ