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14日間の隔離

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10/24(日)  日本に帰国してから新しい職場になり、しばらく忙しくて、更新できていませんでした 今後も忙しそうなので、マイペースで更新していこうと思います いつもどんな風に書いていたのか忘れていました 以前の記事を見て思い出しながら、書きました 14日間隔離したのは、半年前の話です  インドから帰国してから14日間の隔離をしていました 隔離期間中はテレワークで、すぐに次の勤務先の仕事を開始 以前、11月に帰国した時よりも隔離に関して厳格になっていました スマホにアプリをインストールし、毎日ボタンを押して位置情報の報告 メールで毎朝、体調チェックの回答 アプリの方は、毎日不定期に通知が来ますので外出できません 1日4回来るときもあれば、午前と夕方に1回ずつの日もあったりしました ビデオ通話のアプリもインストールしましたが、かかってきませんでした メールとアプリの回答が遅れたりした方々にビデオ通話がかかってくるのだと思います 2020年の11月に帰国した時は、位置情報などの報告はありませんでした そのため、自由に外出してご飯を食べに行ったりしていました  帰ってきて困ったことは食事 Uber Eatsや出前館で簡単に注文できると思っていました しかし、実際は日本の電話番号がないとアカウント登録ができなかったりしました Uber Eatsに関しては、決済がうまくいかずに注文できませんでした 仕方ありませんが、1日目は機内食で食べきれなかったものでご飯を済ませました おかきとパウンドケーキのみ 2日目からは、アマゾンで注文した袋麺、レトルトカレー、缶詰など お米と炊飯器、卵や納豆、豆腐などもアマゾンで購入 2日目からは何とか食糧も確保  SIMカードを契約するにも住所が必要 そのため、面倒ですが実家の住所で登録 実家に届いたSIMカードを送ってもらいました 14日間の隔離期間中なのに、郵便局員からは転入届を出してくださいと注意されました 14日間の隔離期間中で外出できませんと答えても、同じことを繰り返されました 肩身が狭く感じたのを覚えています 役所にも転入届を出さないといけませんが、当時はできていませんでした 【今日のことば】 Más vale tarde que nunca. 2021年8月 日本 地元の風景

帰国の2文字が頭をよぎる

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4/14(火) 【ブダペスト ~ ザグレブ】 昨日バーから帰ってきてそのまま徹夜 起きているのは私とレセプションのニュージーランド人 コモンルームのソファではいつものように、 シンガポール人スタッフが寝息をたてて眠っている とても静かな夜 ニュージーランド人はキッチンとダイニング、コモンルームの掃除を始めた いつも何も用もないのに、 「ジャッパーーン!!」 と、私と目を合わせたら、叫んでくる 彼を真似して多くのスタッフやゲストが私のことを「ジャパン」と呼んでいた 普段、無口な私に対しよく気にかけてくれた 掃除している彼に別れを告げ、ホステルを後にした 外は白んできている 朝早いので、少し肌寒い 飲み屋街の近くなので、割と人通りはあった 350フォリント(約170円)のチケット 高速のエスカレーターに乗って地下に下る 地下鉄に乗ってバスターミナルに向かった 6:15 時間通りにバスは発車 日本人や韓国人ら数人のアジア人も同じバス 席に着くと、すぐに寝る準備 が、背もたれが倒れない… そして、隣の席に乗客 ベストポジションを探すことができず、寝あぐねていた さらには体調不良 昨夜のお酒の飲み過ぎ 完全に2日酔い お腹も弛んでいた いつもなら1度も行かない車内トイレに2回も行った しばらくすると、イミグレーションに到着 久しぶりのパスポート登場 ニューヨークからノルウェーに来た時以来 ハンガリー側の審査官にパスポートを預け、1度車内に戻される ドライバーが車内で1人ずつパスポートを返してくれた 今度はクロアチア側の審査官がバスに乗り込んできて、車内でスタンプを押し始めた 荷物チェックもなし 30分程で完了 その間も体調は優れない 予定より1時間遅れ 12時にザグレブのバスターミナルに到着 6時間かかった ターミナル内にwi-fiがあったので、すぐにホステルを探して予約した インフォメーションで地図をもらい、メインスクエアまでの行き方も聞いた クロアチアに来て、一気に春らしくなった 公園の芝は青く、赤、黄、白の花が噴水の周りに綺麗に咲いている 気温も暖かい ホステルに荷物を預け、こ

さあ!旅の再開だ

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4/13(月) 【ブダペスト】 昨日はホステル最後の仕事 そして、今日はブダペスト最後の日 1ヶ月超いたブダペスト 1ヶ月前に比べ、多くのものが変わった ホステルで働いてみて、本当に良かったと思う 毎日、帰ると誰かしらいる 木曜日、金曜日には温かい食事もある 帰る場所があるから安心できた いろんな人に出会った 1ヶ月一緒にいたスタッフやゲスト 毎日入れ替わりやって来るゲスト ここで多くのものを得た と、思っている 3月には18時に沈んでいた夕日 今は19時前まで明るくなった 中庭に生えている木 来たときは、スニーカーが2足、ブラジャーが2つ 枝にかかっていた 今では、5足と3つに増えた ゲストやスタッフが置き土産に要らなくなった私物やゴミを引っかけて去っていく… さらに、白い花を実らせている 長袖が必要だったのも、昼間は半袖でも十分の気温になった そんな陽気な天気 チケットを購入するため、午後からバスターミナルに向かった 次はクロアチアのザグレブ クロアチアはEUに加盟しているが、シェンゲンエリアにはまだ入っていないようだ 調べたところ2015年の7月から 私のシェンゲンエリア滞在期間も残り少ない だから、ここブダペストを離れなければいけないのだ… ブダペスト ~ ザグレブ間 6:15発 EUROLINES社 3900フォリント(約1660円) チケットを手にし、重い足取りでホステルに帰った 帰ると荷造り これをするのも1ヶ月ぶり 何だか懐かしい そして、少し下手になっている… いつものように夜までくつろぐ 夜にはもちろんパーティー パーティーホステルにも、ようやく慣れた レセプションにあるティップ入れ それを使って今夜はタダ酒 最後のドリンキングゲームをして楽しんだ ゲストが少なく、ほとんどがスタッフというのもお決まりになった 22時になると、パブクロール 行きつけのルーインバーに酒を飲みながら10数人で向かった 私は23時から友人にお別れを言うため、別行動 滞在中、何度もお邪魔した友人宅 ラムコークを頂きながら、今後の旅のルートなどについて話した ラムコークを2

ホステルで働きませんか?

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4/6(月) 【ブダペスト】 ブダペストのホステルで働き始めて3週間 働くのもあと1週間 私が働いているホステルの紹介 David Hasselhostel 宿泊費はブダペストでは最安だと思う 私が宿泊していたときは、1200フォリント(約530円)だった これにかぎのデポジットが1000フォリント(約440円) 宿泊費とほぼ同じ タオルの貸出しも2000フォリント(約880円)のデポジット また、ロッカーのかぎも1000フォリント(約440円)のデポジット さらに、4月からは朝食のサービスも始まった パンとシリアルの簡単な朝食 コーヒー、紅茶はいつでも無料 木曜日や金曜日には500フォリント(約220円)で夕食の提供もしている レセプションは24時間 ユダヤ人地区に近く、バーやレストランが近くに乱立している スーパーもホステルから30m ブダペストの象徴、バシリカまでも歩いて5分 立地には恵まれている 部屋は主にドミトリー プライベートルームも2つあるが、長期の学生が利用中 合計13部屋 シャワー、トイレは共用 スタッフも住込で働いている スタッフの部屋は別に2部屋ある オーナー以外のスタッフ全員がバックパッカー オーナーはアラスカ出身のアメリカ人 毎週新しいスタッフとしてバックパッカーが来ては、去っていく 今は、アメリカ、ニュージーランド、スロベニア、ラトビア、オーストラリア、 イギリス、エストニア、フランス、シンガポール、そして日本 14人で働いている これに飼っている犬とうさぎ どちらも人懐こい ただし、来週には私も含め6人は居なくなる そのため、ここで仕事の紹介をしようと思った 仕事の内容は前回や前々回書いた レセプションかクリーニング兼パーティースタッフの2種類 レセプションの仕事はお金ももらえる スタッフになるメリットは、やはりたくさんの人に出会えること 私が働いているホステルはパーティーホステル そのため、年齢層は若い人たちばかり 同世代が多い 他のヨーロッパ圏の学生を中心とした客層 そんな彼らと毎晩ドリンキングゲームをした後、パブクロールに出掛けている 2日前にはゲス

進むだけが旅じゃないのかも

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3/28(土) 【ブダペスト】 現在、ブダペストのホステルで働いている 前回はそのホステルでの仕事内容の話 今回は、自由時間の使い方 朝は遅くとも11時に起きる ゲストのチェックアウトが12時 そのため、12時から仕事開始 それまでに軽く朝ごはんを済ませる 食欲がない日は食べず、コーヒーだけ 仕事が終わってから食べる 掃除が終わると、最近は図書館に行っている 日本の図書館が近くにある そこで、ひたすらジャンプを読みあさっている 夕方になると、ホステルに戻ってくる その後、ゆっくりする日もあれば、ランニングに行く日もある ランニングでは、マルギット島まで走って島を1周する この島はランナーが多い また、路面が1コース分タータンが敷かれてある ドナウ川沿いを綺麗な夜景を眺めながら走ることができる 1ヶ所お気に入りのポイントがある 橋越しにライトアップされたパーラメントを眺められる ドナウ川、橋、パーラメントが綺麗に収まるアングル 1時間ほどのランニングを終えると、ホステルに帰ってくる シャワーを浴びて、夕食 食べた後は、20時からパーティースタッフ 週末などは、ポルトガル人の友人と食事に行ったり、食事会に誘われたりもする この前はメキシカンパーティーでタコスを作ってくれた こんな感じで毎日、何かと充実している 2015年3月 ハンガリー ブダペストの有名なパブのオブジェ

ホステルで働くということ

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3/25(水) 【ブダペスト】 今、働いているホステルの仕事の紹介 レセプションとクリーニングスタッフ 2つのポジション これを12人のスタッフで振り分けている 私はクリーニングスタッフ クリーニングスタッフは、同時に夜はパーティースタッフとなる 週4の勤務 月曜日はスタッフミーティング 火曜日はシフトが入っていないスタッフもみんなで大掃除の日 レセプションは昼、夜の2交代制 拘束時間が長く、暇なときはめっちゃ暇そうにしている そして、私のポジション クリーニングスタッフ ゲストのチェックアウトが12時なので、仕事はそれから 遅くチェックアウトする人がいつもいるので、実際は12時半に開始 12時半までは自由時間 仕事内容はシーツの洗濯、部屋、バスルームの掃除、枕やブランケットの整列など 部屋の数は13 バスルームや通路の数を合わせると、20以上 それを4人のシフトで掃除する 床は掃き掃除のあと、モップで水拭き バスルームの洗面台や鏡も拭く ゴミ箱のゴミの回収 トイレのトイレットペーパーのチェック 終わるのは大体2時頃 早く済ませば、自由時間も長くなる これが主に午後の仕事内容 そして夜 夜はパーティースタッフ 20時からの開始だが、いつも遅れて、20時半開始 これはドリンキングゲームとパブクロールのオーガナイズ 共用スペースや部屋に残っているゲストにも、 積極的に声をかけゲームの参加を呼びかける キングスカップやマッシュルームカップ、フリップカップなどのゲーム キングスカップは中央に置かれた空のジョッキの周りをトランプで囲む カードを引いて、その数の指示に従う 例えば、4を引いたら女性全員が一口自分の飲み物を飲む 9を引いたら、引いた人がカテゴリーを考える 例えば、俳優の名前 それを言えなかった、または同じのを言った人が飲む そしてKを引いたら、引いた人のドリンクを中央のジョッキに注ぐ 4番目のK を引いた人が負け バラバラのドリンクを注ぐので、時にはワイン、ビール、 ウォッカのミックスなどにもなる 次にマッシュルーム これはホストがトランプを引く 参加者はそのカードが赤か黒を

旅に出てから1年

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3/16(月) 【ブダペスト】 私はある決断をした 1ヶ月、ブダペストに滞在すること ホステルでボランティアスタッフをしながら、住み込みで働く 今のホステルはスタッフも仲良く、居心地も最高 旅は一時中断 シェンゲン協定ギリギリまで、ブダペストに留まることにした… こうして、ブダペストでホステルスタッフとしての日々が始まることになった 2015年3月 ハンガリー ブダペスト ドナウ川

私たちは1990年生まれ

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3/15(日) 【ブダペスト】 昨日、今日とまたパーティー 3夜続けてのパーティー 昨日が友人の誕生会の続き 友人、彼氏、彼氏の双子の姉、私 みんなが1990年生まれ もちろんそれ以外の同僚らも参加 この日のテーマが90年代 90年代に流行ったお菓子などを買ってきて楽しんだ 風船ガム 舐めたらパチパチなる飴 音楽はバックストリートボーイズやスパイスガールズ 当時人気だったグループの曲をかけた 友人の部屋は風船や画用紙で飾り付けられていた たまごっちやゲームボーイなど私たちが小さい頃ハマったおもちゃ その絵をネットからとってきて、プリントし壁に貼りつけていた 特大のピザも注文 直径60cm超の大きさ 1キレでも30cm近くあるので食べごたえ抜群 みんな昨日の誕生会の疲れもあるため、お酒は控えめ そして、今夜は双子の姉の家でまたパーティー 彼女の同僚らも一緒にホンジュラス料理を堪能 姉と母親がバレアーダスという料理を作ってくれた 4才の女の子も来ており、とても賑やかな会となった そして、この日の終わり 私はある決断をした… 2015年3月 ハンガリー ブダペスト 英雄広場

楽しい13日の金曜日

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3/13(金) 【ブダペスト】 今夜は友人の誕生会 誕生日は明日 0時になったらお祝いするようだ 20時を過ぎると、ちらほら人が集まりだした 総勢10人ほどのホームパーティー みんな友人や彼氏の同僚 スペイン、メキシコ、ポルトガル、イタリア、ホンジュラス、 ハンガリー、エジプト、日本 めっちゃインターナショナル 彼氏はこの日、色々準備に奔走したようだ 仕事を終え、お酒などの買い出し また、中南米では有名なピニャータも作っていた くす玉のように中にお菓子やおもちゃを詰め込んだもの それを吊るし、叩き割って中身を手に入れる 誕生会の重要なイベント 一度ピニャータ作りに失敗して、2個目のものらしい 友人は美容室に行ったり、ショッピングしたりして遅れて登場 とてもいい顔をしていた 友人らにも恵まれとても楽しそうだった お酒は進み、グミをウォッカ漬けにしたもの テキーラのショット スパークリングワイン ビール 夜もどんどん更けていった あっという間に0時 友人とは別に、2日前誕生日だったエジプト人のお祝いも一緒にやった 小さなデコレーションされたケーキ 上にはHAPPY BIRTHDAY のろうそくが刺さっている 「HAPPY BIRTHDAY to you ♪」 とみんなで2人をお祝いした その後は外に出て、ピニャータ割 棒で何度か叩いてやっと割れた 中から出てきたのはお菓子、たばこ、コンドーム、コイン とても盛り上がった その後も会は続いた 彼氏は準備に疲れたようで先にダウン ラテン系の国出身が多いので、もちろん音楽をかけながらダンスも踊った 13日の金曜日はもう終わった 今日は14日の土曜日 2015年3月 ハンガリー ブダペスト セーチェーニ鎖橋

ブダペストでまったり生活始まる

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3/12(木) 【ブダペスト】 数日間まったり過ごした これでヒッチハイクの疲れも抜けきった 友人の彼氏に観光案内をしてもらった ドナウ川沿いに並んだ鉄の靴 ここに、ユダヤ人が並ばされた 銃殺され、そのまま川に放り込まれた場所だった 真相は分からないが、女性の靴やこども靴もあった どの靴も川に爪先を向けて並んでいた 夜景も見に行った 丘に登って、ドナウ川を挟んで見る夜景はやはり綺麗 昼間に見る景色とはまた違う 別の日にはポストカードを買って友人らに送った 物価はもっと安いかなと思っていたが、ホステル代以外はそこまで感じない 先日の洗濯代も高かった それでも、ホステル代の安さは他のヨーロッパに比べても抜きん出ていると思う 日記も新調 もうすぐ旅に出てから1年が経とうとしている ハンガリー料理のグラーシュも食べた ホステルでは毎晩ドリンクゲームに参加 それ以外は、ホステルでだらだらと過ごした 次どこの国へ行くか考えるのも面倒になってきた そのくらいブダペスト滞在は心地いい 2015年3月 ハンガリー ブダペスト ドナウ川沿いに並ぶ靴の像

4年の時を経て再会

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3/9(月) 【ブダペスト】 数日前から体のあちこちがかゆい ダニに噛まれたみたい ホステルのベッドが悪かったのか 野宿したのが悪かったのか 分からない とりあえず、服を全部洗濯に出した ハンガリーのランドリーは高い 2000円以上もかかった 同じ量でも、アメリカは500円ほどだったので完全になめていた… 予想外の出費が痛い 昨日、今日とリラックスデー だが、今夜は予定がある 以前から約束していた、ポルトガルの友人と会う 世界一周に出た理由の1つは、彼女に会うため 4年前NYでできた友人 絶対もう一度会いたいと思っていた それが、今夜叶う 彼女からディナーに誘われた 今は、ホンジュラス出身の彼氏とアパートの1室を借りて一緒に暮らしている そんな彼らと食事をすることになった 彼らの部屋は意外なことに、私のホステルから歩いて1分のところだった かなり近いことに驚いた 私がアパートの前に到着すると、上の窓から声をかけてくれた ドアを開けてもらい、3階にある部屋へと階段を駆け上がった 階段の上で待っていた彼女 夜は肌寒いブダペスト 黒いカーディガンを羽織っていた 久しぶりの再会にハグして喜んだ 4年前とほとんど変わらない姿 素敵な笑顔 部屋に案内されると、彼氏と彼氏の母親がいた 後から、彼氏の双子の姉も合流 母親は彼らをホンジュラスから訪ねてきていた 昨日、友人と彼氏はポルトガル旅行から帰ってきたばかり ポルトガルワインやチーズ、ポルトガル牛のステーキなどを夕食に頂いた 母親はスペイン語しか話せないので、スペイン語、英語混じりの会話となった ホンジュラスのことなどについて、色々教えてもらった ホンジュラスといえば、私が飛ばした国 でも、チキンバスの運転手など人を見た限りとてもいい印象を受けた そのため、時間があれば周りたいと思っていた国の1つでもある ネットなどでは危ない情報ばかり出てくる 実際は、そうでもないようだ 行く場所によるらしい ブラジルにファベーラと呼ばれる危険地区があるような感じと変わらない 海沿いは特に安全でスキューバダイビングの観光スポットとなっている オーストラリア人、

ブダペストでの1日

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3/7(土) 【ブダペスト】 朝起きると、隣のベッドに人影 私が寝ているうちに、やって来たようだ シングルベッドのドミトリーで広々とした部屋 とても使いやすかった 今朝はホステル探し 今のところは今夜から満室 でも、近くでもっと安いところを見つけた 一安心して、街歩きへ しかし、脚の疲れは抜けきっていない 鈍痛が脚を引きずらせる 14:30からのフリーツアーに参加 参加者が100人以上 こんなに賑やかなのはブラジルのサンパウロのフリーツアー以来 3グループに別れて行動 ペスト側を最初に回り、バシリカやブダ側に架かる橋を見て回った ハンガリー語のレクチャーやハンガリー料理、ハンガリー出身の有名人などの紹介 その後、橋を渡ってブダ側へ 丘の上の城に登って景色を堪能した この日は雲ひとつない天気 集合したときは、ポカポカの陽気だった ツアー終了後は、丘を下って橋を渡ってホステルに戻ってきた ホステルでは、結婚前の女性だけのパーティーが行われていた 海外だと独身最後のパーティーを盛大にやることは知っていた 映画『ハングオーバー』も然り 彼女らが泊まるので、今夜から満室のようだった 黒いドレスを着飾ってピザにワイン、ウォッカ 何故か私も乾杯に加えてもらった 花嫁との写真も撮った そこを離れて、別のホステルへ 無事チェックインして、ダイニングで日記をつけながらゆっくりしていた どうやらここはパーティーホステルのよう 今からビアポンなどのゲームをやるそうだ 私もビールを買ってきて混ざった マッシュルームというゲームや王様ゲームみたいなもの トランプを使ったドリンクゲーム その後は、そのままパブクロール ホステルスタッフが連れていってくれた ここ1週間は1人旅を漫喫していた 久しぶりにみんなとワイワイして楽しい夜となった このホステルに移ってきて良かった 新しい人にたくさん出会えた ブダペスト滞在は楽しくなりそうな予感 2015年3月 ハンガリー ブダペスト 夜のブダ城

ヒッチハイクでやって来たのはブダペスト

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3/6(金) 【レテンイェ ~ ブダペスト】 朝出発しようとするも、モーテルの玄関が開かない 渡された鍵を突っ込むも回らない 閉じ込められた… 受付にあった様々な鍵を試すもどれも回らない 幸いにも10分ほどで係りがやって来て、外から開けてくれた 今日こそはヒッチハイクでブダペストへ 親指を朝から張り切って立てる やはり反応はない 今日もまた歩き 10km歩いた 緑色の車がスーッと速度を落として近づいてきた 10km先の街まで乗せてくれた ハンガリー語で何を言っているのか理解はできなかった でも、笑顔が素敵なおじさんだった また、親指を立てていないのにヒッチハイク成功 不思議… ここからまた、歩きながらヒッチハイク 一ヵ所に止まってやらないのは、じっとしていると寒いから 歩いていても寒いが… 10kmさらに歩いた すると、不自然に1台のトラックが100m先に停車した 大きなトラックでトラックを牽引している そんなうまい話しはないなと思いながら、横を通りすぎようとした すると、おもむろに助手席のドアがパタンと開いた 中を覗くと、ドライバーが乗りなと手で合図してくれた それはまるで、映画のワンシーンのような出来事だった オレンジも頂いた ブダペストには行かないが、ハイウェイ乗場近くのいいポイントでおろしてくれた こんな所で捕まるのかなと半信半疑でヒッチハイク開始 流石トラック運転手がおろしてくれた場所 車の通りもそこそこあり、反応もまずまず そして、5分 あっという間にブダペスト行の車をゲットした 親指を立てて成功したのはヨーロッパでは初めてのことだった ここから約200km ハンガリー語を話すお兄さん やはり、英語はそんなに得意じゃない 日本でヒッチハイクする外国人も、こんな感じなのかなと思った 会話に困りながらも、ブダペスト近郊まで乗せてもらった 彼は電話で1時間近く、母親と話していた もちろん時速120km 近い車の運転をしながら 車内のミラーにはロザリオがぶら下がっていた 本当にいい人たちに巡り会えている 近郊からは、バスとメトロを使ってブダペストの中心地へ バスは450フォリント(

歩いてハンガリーに入国

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3/5(木) 【ムルスカソボタ ~ レテンイェ】 寒すぎて、5時になると、寝袋をたたんでバスターミナルへ 暖房が効いていて、目を閉じるとすぐに気を失った 仮眠から覚めると、ヒッチハイクポイントを探す 寝ているとき、若者から 「チンチョン」 と、バカにされたような声が聞こえた気がした 寝ぼけていたので、今となっては空耳かもしれないが… とりあえず、早くこの町から出たい そう思った だが、この街にもヒッチハイクできる場所がない 仕方なくバスターミナルに戻ってバスに乗った 9時発 AVTOBUSNI PROMET 社? 3.6ユーロ(約460円) 1時間弱の移動 スーパーの前で降ろされた そこでパンとチョコレートを買って朝食にした 小さな町を歩く 10分も歩けば、町の中心から離れる そんな小さいところ 教会の鐘がまた鳴っている この町にもヒッチハイクできるような場所はなさそうだ ここから今日は30kmも歩くことになるとは思ってもみなかった… 国境までのバスは14時過ぎ 今は10時 歩いていった方が早いと判断 歩道もないような道をトボトボ歩いていく 泥でぬかるんでいる場所もある 車はたまにしか通らない 大きなトラクターも通る のんびりとした田舎道 左右に広がる畑 作物を植える時期が近いのか耕運機で耕している そんな茶色の畑と、雑草が生えたまだ耕してない鮮やかな緑色の畑が延々と続く しばらく歩くと国境に到着 審査官がいるわけでもない 看板が立っているだけ ハンガリーにひっそりと入国 バスがハンガリー側の近くの町へ出ていることもなかった 国境まで来れば、何とかなるかなと思っていたが予想とは反する形となった ハンガリーのお金もないので歩くしか移動手段がない この時点で10kmはすでに歩いている 銀行やATMもない 延々と広がる畑から抜け出し、住宅地に入ったのはスロベニアから歩いて20km先 どこの家も番犬がおり、家の前を通る度に吠えられる 歩いている人も見かけない 風が冷たい 無駄に広い公園にさびれた遊具 自転車に乗ったおじいちゃん、おばあちゃんとすれ違う 油が足りていない、錆び