14日間の隔離

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10/24(日)  日本に帰国してから新しい職場になり、しばらく忙しくて、更新できていませんでした 今後も忙しそうなので、マイペースで更新していこうと思います いつもどんな風に書いていたのか忘れていました 以前の記事を見て思い出しながら、書きました 14日間隔離したのは、半年前の話です  インドから帰国してから14日間の隔離をしていました 隔離期間中はテレワークで、すぐに次の勤務先の仕事を開始 以前、11月に帰国した時よりも隔離に関して厳格になっていました スマホにアプリをインストールし、毎日ボタンを押して位置情報の報告 メールで毎朝、体調チェックの回答 アプリの方は、毎日不定期に通知が来ますので外出できません 1日4回来るときもあれば、午前と夕方に1回ずつの日もあったりしました ビデオ通話のアプリもインストールしましたが、かかってきませんでした メールとアプリの回答が遅れたりした方々にビデオ通話がかかってくるのだと思います 2020年の11月に帰国した時は、位置情報などの報告はありませんでした そのため、自由に外出してご飯を食べに行ったりしていました  帰ってきて困ったことは食事 Uber Eatsや出前館で簡単に注文できると思っていました しかし、実際は日本の電話番号がないとアカウント登録ができなかったりしました Uber Eatsに関しては、決済がうまくいかずに注文できませんでした 仕方ありませんが、1日目は機内食で食べきれなかったものでご飯を済ませました おかきとパウンドケーキのみ 2日目からは、アマゾンで注文した袋麺、レトルトカレー、缶詰など お米と炊飯器、卵や納豆、豆腐などもアマゾンで購入 2日目からは何とか食糧も確保  SIMカードを契約するにも住所が必要 そのため、面倒ですが実家の住所で登録 実家に届いたSIMカードを送ってもらいました 14日間の隔離期間中なのに、郵便局員からは転入届を出してくださいと注意されました 14日間の隔離期間中で外出できませんと答えても、同じことを繰り返されました 肩身が狭く感じたのを覚えています 役所にも転入届を出さないといけませんが、当時はできていませんでした 【今日のことば】 Más vale tarde que nunca. 2021年8月 日本 地元の風景

こんなにも晴れの日が似合わないなんて…

2/20(金)

【アウシュヴィッツ】

今日は行くかどうか悩んだ場所

アウシュヴィッツ

ここクラクフから日帰りで行くことができる

朝7時に起床

7時50分のミニバスに乗った

クラクフのバスターミナルの8番乗場

12ズロティ(約390円)

眠たかったので移動中は睡眠

1時間20分後、バスを降りた

歩いてミュージアム入口に向かう

エントランスは無料

ガイドは有料

私は1人で気ままに見て回ることにした

この時間、ガイドのグループはたくさん

紛れ込むことも可能だが、グループのみんなは音声ガイドのヘッドホンを付けている

そのため、ガイドも大きな声ではなく、囁くように喋るので外ではほぼ聞き取れない

また、ルートが決まっているようで、見学しない建物もあるようだった

ゲートをくぐって、ブロック4の建物から見学

中にはユダヤ人から回収した備品が並んである

絡まったイヤホンのようになった眼鏡

年期の入った革靴やサンダル

どれも真っ黒なので、赤い靴が混ざっていると目立つ

映画『シンドラーのリスト』を連想させる

革のスーツケースに編みかご

くしやブラシ

そのどれもが夥しい数の量

壁には風刺画

囚人が着るような縞模様の同じ服を着たユダヤ人

軍服に制帽を被ったドイツ兵が、彼らを見てニヤニヤと笑っている

強制収容されたユダヤ人の1日が絵で表現されていた

朝、起きる

いや、起こされるといった方が正しいかもしれない

体を洗って朝食を取り、作業場へと歩いて向かう

どの絵にも警棒をもった体格のいいドイツ兵がにらみをきかせていた

1日の食事は1500 ~ 1700カロリー

労働時間は11時間以上

そのため、収用されて数ヶ月で命を落とすことが普通だった

ガリガリの子どもや女性の写真もあった

まるで拒食症の患者のよう

あばら骨が浮き出ている

ブロック10と11の間の壁には花が供えられていた

そこはかつて、壁に並ばされて銃殺されていた場所

敷地内のいたるところには有刺鉄線が張りめぐらさている

一番外側には脱走しないように、有刺鉄線が2層

さらに、高い塀が設けられており、計3層で外の世界と隔てられている

また、脱走したらその脱走した人の家族らを探しだし

アウシュヴィッツに連れてこられることもあった

最初の頃は連れてこられたユダヤ人は全員犯罪者のような写真を撮られた

また、腕に番号のタトゥーをいれられる

それらで識別していたようだ

そんな写真が今でも多数現存しており、

建物内の壁には彼らの名前入り写真が掛けられていた

ブロック27には特に心を揺さぶられた

中に入ると白い壁をスクリーンとしてプロジェクタから映像が流されている

その映像は家族のホームビデオ

収用される前に撮られたものなのだろう

ビーチで砂遊びをする笑顔の子供たち

それを見て微笑む親

幸せそうなホームビデオの映像

それとは対照的に室内には悲しげな音楽が流れていた

余りにもその落差が激しい

彼らはこの後の地獄のような日々を知ることもなく、元気に笑っている

そんなことを想像すると、胸がしめつけられた

自然と目から涙がこぼれた

2階に上がると、ヒトラーの演説がモニターで流れていた

右手を挙手するナチドイツ式の敬礼

さらに奥に進むと、白い部屋に通じた

そこには子供の落書きが壁に描かれていた

子供の落書きなので、一回り下の目線の高さにあった

他にも、様々な施設を見学

毒ガスが撒かれた部屋

遺体を焼いた焼却炉

3段ベッドが所狭しと並べられた寝床

来た当初は、藁を床に敷いただけの家畜小屋みたいなところで寝させられていた

2時間ほどでミュージアム内を見終えた

11:30の無料シャトルバスでビルケナウ収容所へ向かった

バスで5分離れた場所に、実際にあった大型の収容所

空にある白い飛行機雲のように、入口から敷地の奥まで線路が延びている

周りには何もない

風が寂しく吹きすさぶ

こちらはミュージアムではない

入場も無料

歩いて回って、見て感じることがメインのようだ

1時間で1周して、シャトルバスに乗って戻ってきた

帰りはミュージアム前から出ている違うバス会社でクラクフに帰ってきた

こちらはミニバスではなく、大型のバス

13:10発

14ズロティ(約450円)

こんなに晴れの日が似合わない場所は初めてだ


2015年2月 ポーランド アウシュヴィッツ収容所の門

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